2025年5月6日火曜日

「スペインの山猫」ハビエル・カスティリェホ②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界二階級制覇王者。世界王座防衛戦。パオロ・ロベルト戦、トニー・マーシャル戦、ハビエル・マルティネス戦を紹介します。


ハビエル・カスティリェホ(スペイン)

身長178cm:オーソドックス(右構え)


ハビエル・カスティリェホ 7R TKO パオロ・ロベルト

(WBC世界S・ウェルター級タイトル戦、1999年)

「スペインの山猫」ハビエル・カスティリェホ②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:カスティリェホがタイトル防衛。ベルナール・ラザノを破って欧州王座(J・ミドル級)を獲得したカスティリェホ。その後、王座を連続防衛したが、苦難。ローラン・ブードゥアニに敗北(ブードゥアニは後、フリオ・セサール・バスケスを破ってWBA世界J・ミドル級王座獲得)。再戦でも敗北。地域王座を獲得するなど連勝し、二度目の世界挑戦。キース・ムリングスを判定で下し、WBC王者に。TKOで初防衛に成功。そして二度目の防衛戦。挑戦者ロベルトはスウェーデンのサウスポー。ヨーロッパを中心にリングに上がってきた。アメリカでも試合をしているが、王座戦はこれが初めて。スペイン・レガネスでの一戦。相手から距離を取ってジャブを出すカスティリェホ。ロベルトは「攻めるタイプのサウスポー」(ヘクター・カマチョ、ナジーム・ハメドの雰囲気)。右ジャブを使いながら左ストレート、右フック。慎重姿勢のカスティリェホだが、攻めるときは左フックからの右ストレート、フック連打(どうやらサウスポーはあまり得意ではないようだ)。互いに相手を警戒してディフェンス。6R、カスティリェホが攻め、フック、左アッパーをヒットさせる。ロベルトはクリンチ&反撃。7R、攻めるロベルトだが、左フックを連続で食って動きが止まったところでレフェリーストップ。カスティリェホが強打を爆発させて勝利。勝って大喜びしていた。ロベルトは悪くはなかったが、攻めが単調。攻撃のバリエーションがもっとあれば、といったところ。その後、ロベルトはWBO世界ミドル級王座に挑戦したが、判定負け。WBCインター王座(ウェルター級)などを獲得する活躍を見せたが、世界王座には手が届かなかった。)


ハビエル・カスティリェホ 12R 判定 トニー・マーシャル

(WBC世界S・ウェルター級タイトル戦、2000年)

「スペインの山猫」ハビエル・カスティリェホ②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:カスティリェホがタイトル防衛。四度目の防衛戦。挑戦者マーシャルはガイアナの黒人で、ニックネームは「The Tiger」。元世界王者アーロン・デービスに判定勝ち、フリオ・セサール・バスケスに判定負け(WBA世界J・ミドル級王座戦。カスティリェホとマーシャルは「バスケスに判定負け」という共通点がある)、ロナルド・ライトに判定負け(北米J・ミドル級王座戦)、グレンウッド・ブラウン、デービス(再戦)に判定負け。キース・ムリングスに判定勝ちして浮上。北米J・ミドル級王座獲得、防衛。連勝中の勢いでカスティリェホに挑戦。レガネスでの一戦。共に速いジャブ。接近戦。フックでの打ち合い。カスティリェホはパワー。マーシャルはパンチのキレがあり、インサイドからのフック、しゃくるようなフックに強さ。互角の勝負で、一進一退。ディフェンスとジャブを当てる巧さでややカスティリェホが上か? 12R終了。判定は3-0。ジャッジの一人は8ポイント差。2ポイント差のジャッジも。大きな実力差が無かった好勝負。「互角の場合は王者がポイントを取る」というボクシング界のルールが「3-0」になった原因かもしれない。その後、意外なことにマーシャルはIBAインターコンティネンタル王座戦(S・ウェルター級)、フェルナンド・バルガス戦に連敗するなど大きな活躍は無かった。)


ハビエル・カスティリェホ 4R TKO ハビエル・マルティネス

(WBC世界S・ウェルター級タイトル戦、2000年)

「スペインの山猫」ハビエル・カスティリェホ②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:左ボディでマルティネスがダウン

4R:ワンツー、連打で2度、マルティネスがダウン

(感想:カスティリェホがタイトル防衛。これまで50勝(33KO)4敗のカスティリェホが五度目の防衛戦。WBC15位の挑戦者マルティネスもスペイン。1988年のソウル・オリンピックにウェルター級で出場(メダルは獲得ならず)。プロでは35勝(18KO)2敗1分。地元で連勝し、スペイン王座(ウェルター級)獲得。パトリック・シャルパンティエとの欧州王座戦(ウェルター級)でTKO負け、初黒星(シャルパンティエは後、オスカー・デラ・ホーヤのWBC世界ウェルター級王座に挑戦してKO負け)。欧州J・ミドル級王座挑戦もTKO負け。以来、スペイン王座を防衛するなど連勝でカスティリェホに挑戦。メキシコ・ポランコでの一戦。体格、構え方、ジャブから入るところなど共通点がある二人。しかし、実力差。フック連打で攻めるカスティリェホ。マルティネスがなぜか自らしゃがみ込むようにヒザを着く。そして左ボディでマルティネスがあっけなくダウン。この試合、左フックが冴えるカスティリェホ。左フックをアゴからボディへ。右フックも力強い。2R、左アッパーでマルティネスのマウスピースが落下。レフェリーは試合を止めてマウスピースをマルティネスに入れさせようとするが、それはカスティリェホのものだった(映像では打たれてマルティネスが落下させたように見えた。カスティリェホがパンチを打つときにマウスピースを吹き出してしまったようだ)。4R、強烈なワンツーでマルティネスがダウン。立ったが、ラッシュされて二度目のダウン。それと同時にレフェリーは試合を止めた。カスティリェホが世界王者らしい攻めで勝利。マルティネスは悪い選手ではなかったが、パワー、コンビネーションなど全体的にカスティリェホには及ばなかった。これが最後の試合に。)


その後のカスティリェホ 

次の六度目の防衛戦でオスカー・デラ・ホーヤに判定で敗北、王座陥落。再起戦で欧州連合王座(ミドル級)獲得。WBC世界スーパーウェルター級暫定王座、WBA世界ミドル級レギュラー王座を獲得。しっかりしたディフェンスに攻めの姿勢。フリオ・セサール・チャベス型の選手だった印象。) 

「スペインの山猫」ハビエル・カスティリェホ①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界二階級制覇。世界王者になる前の試合。エディソン・マルティネス戦、ベルナール・ラザノ戦ほかを紹介します。


ハビエル・カスティリェホ(スペイン)

身長178cm:オーソドックス(右構え)


ハビエル・カスティリェホ 3R KO エディソン・マルティネス

(J・ミドル級戦、1992年)

「ペインの山猫」ハビエル・カスティリェホ①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

2R:左ボディでマルティネスがダウン

3R:左ボディでマルティネスがダウン

(感想:カスティリェホはマドリード州パルラ出身。ニックネームは「El Lince de Parla(パルラの山猫)」。マドリードでプロデビュー。プロ八戦目で判定負け。そこから連勝。スペイン・ウェルター級王座を獲得、防衛。マルティネスはコロンビア人。コロンビア王座に挑戦して判定負け。以来、ルイス・ガルシア(後、モーリス・ブロッカー、フェリックス・トリニダードの世界王座に挑戦、敗北)、ロナルド・ライト(後の世界J・ミドル級王者)、フレディ・ペンドルトン(後のIBF世界ライト級王者)らを相手に連敗中。スペイン・レガネスでの一戦。互いにジャブ。マルティネスは足で距離を取ってジャブ(構え方、足のステップがエドウィン・ロサリオ風)。カスティリェホはパワフルな男。前進し、左フックからの右ストレート、左ボディ打ち。実に迫力のある打ち方でマルティネスをロープ際に追い込む。2R、左ボディでマルティネスがダウン。これが効いたらしく、3Rに左ボディで再びダウン、完全KO。カスティリェホが快勝。迫力のある攻めをする魅力的なファイター。マルティネスは単なる「いけにえ」だった印象。その後、マルティネスはセグンド・メルカド、ギレルモ・ジョーンズ、グレン・ジョンソンらを相手に全敗。負けが多いキャリアだったが、多くの実力者と対戦できた。)


その後のカスティリェホ

元世界王者ハリー・アローヨ、ソウル・マンビーに連勝、WBCの地域王座(J・ミドル級)獲得。フリオ・セサール・バスケスのWBA世界J・ミドル級王座に挑戦したが、パワーで押されて判定負け。ハビエル・リベラと再起戦。


ハビエル・カスティリェホ 4R TKO ハビエル・リベラ

(J・ミドル級戦、1993年)

「ペインの山猫」ハビエル・カスティリェホ①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:右ストレートでリベラがダウン

3R:連打でリベラがダウン

(感想:リベラはプエルトリカン。勝ったり負けたりの選手。レガネスでの一戦。1R、ガードを固めてストレート、フック連打、アッパー気味フックのカスティリェホ。コンディションは良さそう。リベラはパンチのキレに欠けるが、フックでの打ち合いに応じる。右ストレートでリベラがよろめいてダウン。3Rには連打でダウン。4R、リベラがワンツーからの左ボディ打ち(なかなか良いパンチ。どうやらリベラはスロースターターらしい)。しかし、キズのドクターチェック。再開後、左フックからの右ストレートを打たれたところでレフェリーストップ。カスティリェホが力強いストレート、フックで手数を出して勝利。リベラは特別な強さがない普通の選手。その後、WBCの地域王座(S・ミドル級)に挑戦して1RでKO負けするなど連敗で引退。)


ハビエル・カスティリェホ 6R TKO ベルナール・ラザノ

(欧州J・ミドル級タイトル戦、1994年)

「ペインの山猫」ハビエル・カスティリェホ①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:カスティリェホがタイトル獲得。リベラ戦後、WBCの地域王座を防衛したカスティリェホ(25歳)。今度は欧州王座にチャレンジ。王者ラザノ(30歳)はフランス人。勝ったり負けたりだったが、フランス王座(J・ミドル級)獲得。ローラン・ブードゥアニに勝利して欧州王座も獲得。これが初防衛戦となる。フランス・ディジョンでの一戦(レフェリーはジョン・コイル)。いかにもフランス人ボクサー、といった感じのラザノ。ガードを固めてジャブ、ストレート。右ストレートからの左ジャブといったテクニックも。カスティリェホは開始から攻撃。右ストレートからの左フックにパワー。ラザノは1Rから左目下をカット。その後もパワフルなカスティリェホ。ラザノはジャブで応戦するが、左マブタもカット。そして5R。強烈なバッティングでラザノがさらにダメージ。結局、このラウンド終了後、ラザノが棄権。カスティリェホが攻めの姿勢で勝利。残すターゲットは世界王座のみ、といった感じの力強さだった。ラザノはテクニシャンタイプ。相手のパワーに押された。そして一年後の再起戦に判定負けで引退。二つの王座を獲って満足したのだろう。)

 

2025年5月5日月曜日

「全盛期を捨てた雄牛」トニー・アヤラ・ジュニア「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

J・ミドル級。事件前と事件後の試合。ホセ・ルイス・バルタザール戦、トニー・メネフィ戦ほかを紹介します。


トニー・アヤラ・ジュニア(アメリカ)

身長184cm:オーソドックス(右構え)


トニー・アヤラ・ジュニア 2R TKO ホセ・ルイス・バルタザール

(J・ミドル級戦、1981年)

「全盛期を捨てた雄牛」トニー・アヤラ・ジュニア「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

2R:左フックでバルタザールがダウン

(感想:テキサス州サンアントニオ出身のアヤラ。兄弟もボクサーの「ボクシング一家」(兄マイク・アヤラは世界王者にはなれなかったが、北米王座を獲得)。アマチュアの大会で優勝。プロでは「明日の王者たち」というキャッチフレーズでミッチ・グリーン、アレックス・ラモス、ドナルド・カリー、ジョニー・バンフスらと共に売り出され、非常に期待されている。これまで7連勝。バルタザールはメキシカン。1965年デビューのベテラン。ヘッジモン・ルイス、アーニー・ロペスに敗北後、メキシコ・ウェルター級王者に。防衛にも成功。連敗後、王座陥落。直前の試合はKO勝ちだが、それから約一年ぶりのリングとなる。サンアントニオでの一戦。互いに慎重姿勢で相手をうかがう。先に攻めたのはバルタザール。左右フックを振るうが手打ち気味で、攻めるときのディフェンスに甘さ。アヤラが右ストレート、フックで反撃。打ち方が良く、左フックをダブルで打ち込んだりする。接近戦。互いにフックを出し合うが、打たれるのはバルタザール。2R、左フックでバルタザールがダウン。立ったが連打を浴びてセコンドからタオル投入、TKO。それに納得いかないバルタザールは悔しそうだったが、そのまま続けても打たれるだけだったろう。これが最後の試合に。)


その後のアヤラ

KOの山を築き、世界ランク上位に。WBA世界ジュニアミドル級王者デビー・ムーアに挑戦が決まった矢先に強盗。それに加え、女性への暴行。とんでもないことをやらかし、懲役35年。ボクサーとして完全に終わった、と思われたが・・・。


トニー・アヤラ・ジュニア 8R TKO トニー・メネフィ

(S・ミドル級戦、1999年)

「全盛期を捨てた雄牛」トニー・アヤラ・ジュニア「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

7R:左フックでメネフィがダウン

(感想:1999年に仮釈放で出所したアヤラ。サンアントニオでカムバックして二連勝。戦績は24勝(22KO)に。年齢は36。メネフィ(27歳)はネブラスカ州の白人。プロになったのは17歳の時。以来、多くの試合。これまで67勝(37KO)6敗1分。93年にロベルト・デュランにTKO負け、ローカル王座(J・ミドル級)に挑戦してTKO負け、ヘクター・カマチョに判定負け。数字の上ではなかなかの戦績だが、実力の方はどうか? サンアントニオでの一戦(アヤラのセコンドにシニア。会場ではアヤラの妻リサが観戦)。メネフィがジャブ、ストレート、フック。しかし、パンチにキレが無く、動きの機敏さにもやや欠ける。アヤラ(前髪が寂しい)はメネフィと同じようなスピードだが、ディフェンス、当てるテクニック(左フック、右ストレートからの左ジャブ、ほか)で優勢。2R終了直前、アヤラの左フックからの右ストレートがクリーンヒット。7R、右フックが効いたメネフィ。左フックでダウン。8R、打ち合いの中、レフェリーが突然試合ストップ(どうやらメネフィのセコンドが棄権を申し入れたらしい)。アヤラが正確なパンチで勝利。しかし、スピード、勢いの無さ。そんな状態でリングに上がってどうしようというのか? メネフィは残念ながらトップクラスに通じる動きの鋭さは無い。その後、ヨリボーイ・カンパス、ラウル・マルケス、ドニー・ラロンデらに敗北。一定のレベルより上の選手には勝てないキャリアだった。)


トニー・アヤラ・ジュニア 2R TKO マヌエル・ロペス

(S・ミドル級戦、2001年)

「全盛期を捨てた雄牛」トニー・アヤラ・ジュニア「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:右フックでロペスがダウン

2R:右フック、左フックで2度、ロペスがダウン

(感想:復帰後、連続KO勝ちだったアヤラだが、ヨリボーイ・カンパスにTKO負けで初黒星。再起戦でサントス・カルドナ(数度の世界挑戦経験)に判定勝ちしてロペス戦。ロペスはコロラド州デンバー出身(メキシコ系アメリカ人らしい)。ニックネームは「The Raging Bull」(ジェイク・ラモッタと同じ)。NBAのミドル級王座を獲得したことがあるが、マルクス・バイエルとのWBCインター王座戦(S・ミドル級)でKO負け。アヤラ戦はその再起戦となる。サンアントニオでの一戦。似た体型の二人(少しズングリ)。残念ながら共にスピードが無い。サウスポーのロペスが右ジャブ、左パンチ(ストレート、フック)。アヤラは左を使いながら右ストレート、左フックで攻撃。コーナー付近での右フックでロペスがダウン。2R、左フックからの右フックでロペスがダウン。立ったロペスだが、強烈な左フックで二度目のダウン。倒れると同時にレフェリーは試合を止めた。アヤラが快勝。スピードは無いが、コブシ自体は頑丈なようだ。ロペスはイマイチ。スピードが無いとサウスポーのテクニックも発揮できまい。これが最後の試合に。その後のアヤラ。連勝後、2003年に空位のIBA王座(S・ミドル級)に挑戦してTKO負け、引退。2015年、薬物により52歳で死去。勢いのあった頃にデビー・ムーアとの対戦が実現しなかったのが残念。) 

2025年5月4日日曜日

「"斧" と呼ばれた男」チャールズ・ブルーワー③「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

IBF世界スーパーミドル級王者。全米王座戦&キャリア後期の試合。グレグ・ライト戦、フリーマン・バー戦ほかを紹介します。


チャールズ・ブルーワー(アメリカ)

身長185cm:オーソドックス(右構え)


チャールズ・ブルーワー 3R TKO アダム・ガーランド

(S・ミドル級戦、1995年)

「斧と呼ばれた男」チャールズ・ブルーワー③「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

3R:左フックでガーランドがダウン

(感想:このところ不調のブルーワー(26歳)。ロドニー・トニーに2-1で敗れた再起戦。これまで23勝(17KO)5敗。21勝(13KO)4敗のガーランド(30歳)はニュージャージー州の黒人。デビューから連勝だったが、セグンド・メルカド(後、バーナード・ホプキンスとIBF世界ミドル級王座決定戦、敗北)に2-0で初黒星。後のWBA世界S・ミドル級王者スティーブ・リトルに2-0で勝利。その後は勝ったり負けたり。直前の試合は全米S・ミドル級王座戦で、TKO負け。フィラデルフィアでの一戦(リングアナはエド・デリアン)。似た体格の二人。右ストレート、左フックで攻めるガーランド。しかし、攻めるときのバランスが悪く、ディフェンスに甘さ。ブルーワーはディフェンスしながら得意のワンツー、左フック。接近戦では激しいフックの応酬(打たれ弱さがあるブルーワーだが、打ち合いに積極的。なかなか勇敢)。3R、左フックでガーランドがダウン。立てそうもないのを見て、レフェリーは試合を止めた。ブルーワーが力強い勝ち方。しかし、相手はガードが甘い選手。勝っても自慢にならないが、再起できてよかったといったところ。ガーランドは接近戦でのフックに良さがあったが、そこまで。これが事実上のラストファイト。後、カムバックしたが、バイロン・ミッチェルに1RでTKOされて引退。)


チャールズ・ブルーワー 12R 判定 グレグ・ライト

(全米S・ミドル級タイトル戦、1997年)

「斧と呼ばれた男」チャールズ・ブルーワー③「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ブルーワーがタイトル初防衛。フランク・ローデスを破って全米S・ミドル級王座を獲得したブルーワー。ノンタイトル戦に勝利して、この初防衛戦。挑戦者ライトはニューヨーク・ブロンクスの黒人で、これまで13勝(5KO)1敗1分。中堅どころと戦ってきており、王座戦はこれが初めて。フィラデルフィア「ブルー・ホライズン」(ブルーワーがフィラデルフィアで試合するときはほぼこの会場)での一戦(リングアナはおなじみエド・デリアン)。似たタイプの二人。ディフェンスしながら長いワンツー、大きめの左フック。ブルーワーが左ボディからの右ストレート、ライトは右アッパーからの左フックなどのコンビネーション。接近戦を仕掛けるブルーワー。それにライトが応じて激しい打ち合いに。手数で押していこうとするブルーワー。ライトは大振りのパンチを空振りした疲れもあってか、受け身の姿勢に。ただ、時折パワフルな右ストレート、左フックで反撃。そのパターンで12R終了。判定は3-0。ブルーワーが攻めの姿勢で勝利。フルラウンドに渡って攻めるスタミナがあった。ライトは迫力のある打ち方をしていたが、途中でバテたようだ。その後、ライトは連敗しながらも北米ライトヘビー級王者に。防衛にも成功したが、世界戦は敗北もあって実現しなかった。)


その後のブルーワー

ライト戦の次の試合は待望の世界戦。ゲーリー・バラードをTKOしてIBF世界S・ミドル級王者に(1997年)。古豪ヘロール・グラハムらを相手に三度の防衛。ドイツでスベン・オットケに敗北し、王座陥落。オットケとの再戦も2-1で敗北。北米王座(S・ミドル級)を決定戦で獲得後、WBO世界S・ミドル級王者ジョー・カルザゲに挑戦したが判定負け。再起二勝でフリーマン・バー戦。


チャールズ・ブルーワー 5R TKO フリーマン・バー

(ライトヘビー級戦、2003年)

「斧と呼ばれた男」チャールズ・ブルーワー③「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:バーはバハマ出身の黒人。アマチュアでは国内王者に。プロではバハマでデビュー後、主戦場をアメリカに。フロリダ州王座、IBO王座、NABO王座(全てミドル級)獲得後、WBO世界ミドル級王座決定戦に出場したがTKO負け。その後はNABOスーパーミドル級王座を獲得、防衛するなど連勝だったが、TKO負け。その再起戦でブルーワーと勝負。ニュージャージー州トムズ・リバーでの一戦(レフェリーは元ヘビー級選手のランディ・ニューマン)。ゴツい身体になったブルーワー。全体的にパワーアップ。ジャブ、ワンツー、左フック。バーはプレッシャーを掛けられてジャブ、右カウンターで応戦。2R、ブルーワーが左フック連打(迫力)。3Rには左フックからの右ストレート。5R、斜め下からの左フックが効いたバー。次々に被弾してレフェリーストップ。ブルーワーが力強い勝利。S・ミドル級よりもライトヘビー級の方がパワフルで魅力的。バーは右パンチに威力があったが、終始押され気味でそのまま負けてしまった。その後の二人。バーはブランクがちにリングへ。中堅相手に四連勝でキャリア終了。ブルーワーは次の試合でWBO世界S・ミドル級暫定王者マリオ・ベイトに挑戦してTKO負け。再起戦はWBOインターコンティネンタル・スーパーミドル級王座決定戦。これもTKO負けで引退。不安定なキャリアだったが、スランプを乗り越えて世界王者になった根性は立派だった。)

 

「"斧" と呼ばれた男」チャールズ・ブルーワー②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

IBF世界スーパーミドル級王者。世界王者になる前の挫折。スティーブ・ダーネル戦、ラファエル・ウィリアムス戦ほかを紹介します。


チャールズ・ブルーワー(アメリカ)

身長185cm:オーソドックス(右構え)


チャールズ・ブルーワー 2R TKO スティーブ・ダーネル

(S・ミドル級戦、1993年)

「"斧" と呼ばれた男」チャールズ・ブルーワー②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:左フックでダーネルがダウン

2R:左フックでダーネルがダウン

(感想:中堅との試合が続くブルーワー。これまで20勝(14KO)2敗。WBOの10位にランクイン。ダーネル(29歳)はミシガン州の白人サウスポー。26勝(15KO)4敗2分。後の世界王者リンデル・ホームズと全米王座を争って2RでTKO負け。このところ二連続TKO負け。フィラデルフィアでの一戦(リングアナはエド・デリアン、レフェリーはフランク・カプチーノ)。共に長身、というより「やせている」といった感じの二人。ダーネルは右ジャブ、左ストレートを出すがパワーが感じられず、ガードに甘さ。ブルーワーは相手がサウスポーでも関係なし。いつものようにジャブ、ストレート、左フック。接近戦では互いに連打。右ストレートが効いたダーネル。左フックでダウン。立ったが、足に来ている。2R、右ストレート、左フックを食うダーネル。左フックでダウン。今度も立ったが、攻められ続けてレフェリーストップ。ブルーワーが楽勝。隙があり、パワーも無い相手に勝ったところで自慢にはならない。ダーネルはこれで引退。) 


ロニー・ビースリー 1R TKO チャールズ・ブルーワー

(S・ミドル級戦、1994年)

「"斧" と呼ばれた男」チャールズ・ブルーワー②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:右アッパーでブルーワーがダウン

(感想:連勝中のブルーワー。IBF6位、WBOは8位にアップ。ビースリーはミシガン州の黒人で、これまで20勝(6KO)1敗1分。IBOジュニアミドル級王座を決定戦で獲得するなどこのところ連勝中。勢いのある者同士の対戦。どんな内容になるか? フィラデルフィアでの一戦(リングアナはエド・デリアン、レフェリーはルディ・バトル)。共にスリムな体型でジャブ。ビースリーは右パンチが武器。思い切りのいい打ち方で右ストレート、右フック。ブルーワーは長いストレート、左フック。意表を突くタイミング、角度でビースリーが右アッパー。一撃でダウンしたブルーワーは立ったがフラフラでレフェリーストップ。ビースリーが衝撃のKO勝利。本人もセコンドも興奮状態となった。ブルーワーはガックリ。元々、線が細いが、一発でやられるとは。その後のビースリー。フリオ・セサール・グリーンとの北米王座決定戦(ジュニアミドル級)でTKO負け。連勝後、ロニー・ブラッドリーのWBO世界ミドル級王座に挑戦したが、判定負け。以後は全敗でキャリア終了。実力はあったが、「一発屋」に終わった印象。)    


ラファエル・ウィリアムス 6R TKO チャールズ・ブルーワー

(S・ミドル級戦、1994年)

「"斧" と呼ばれた男」チャールズ・ブルーワー②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:ワンツーでブルーワーがダウン

6R:右フックでブルーワーがダウン

(感想:ビースリーに倒されたブルーワーが再起戦。ウィリアムス(32歳)はパナマの黒人で、これまで33勝(19KO)13敗。1980年デビュー。元々はライト級で、地元で連戦連勝。地域王座も獲得したが、リビングストン・ブランブルに判定で初黒星。続くヘクター・カマチョ戦はTKO負け。パーネル・ウィテカー、バディ・マクガートに判定負け。ニューヨーク州王座(ジュニアミドル級)を獲得したが、バーノ・フィリップスらを相手に連敗。ジョー・ガッティに判定勝ちして連敗脱出。ブルーワーと対戦。フィラデルフィアでの一戦(リングアナはエド・デリアン)。1R、なかなか動きがいいウィリアムス。マイク・タイソンばりにヘッドスリップしてブルーワーのジャブをかわす。ブルーワーの左フックがヒット。攻めるブルーワー、応戦するウィリアムス。 ワンツーでブルーワーがダウンし、今度はブルーワーがピンチ。その後、ジャブで体勢を立て直すブルーワーだが、3Rに右フックを食ってダウン寸前(グローブがキャンバスにタッチしたようにも見えた)。接近戦。勢いが落ちていく両者。6R、大きな右フックでブルーワーがダウン。立ったが、フラついてレフェリーストップ。ブルーワーが二連続で強烈なKO負け。長いパンチを使う選手は攻めるときに隙ができる(トーマス・ハーンズもそうだった)。ディフェンスを磨かねばならない。勝ったウィリアムスは得意の右で「してやったり」といったところ。しかし、その後もリングに上がり続けたが、ビニー・パジェンザ、クインシー・テーラー、グレンウッド・ブラウン、ラウル・マルケスといった実力者に敗北。ロニー・ビースリーと同様、実力はあったが、「一発屋」に終わった印象。)


チャールズ・ブルーワー 2R TKO テリー・シェイ

(S・ミドル級戦、1994年)

「"斧" と呼ばれた男」チャールズ・ブルーワー②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

2R:左ボディ連打でシェイがダウン

(感想:ウィリアムスに倒されたブルーワーの再起戦。シェイはコネチカット州の黒人で、これまで7勝(7KO)5敗。直前の試合は1RでKO負けだが、「勝利は全てKO」というのが気になる男。コネチカット州マシャンタケットでの一戦(リングアナはジミー・レノン・ジュニア、レフェリーはスティーブ・スモーガー)。ブルーワーが打たれ弱いのを知ってか、シェイがダッキングしながら前進。ジャブ連打、右ストレートで攻めの姿勢。ブルーワーは足で距離を取ってジャブ連打、ワンツーからの左フック。2R、左ボディ連打でシェイがロープ外にはみ出すダウン。立てず、レフェリーストップ。ブルーワーが復活。攻撃のセンスは素晴らしい。後は「パンチを食わないテクニック」のみ。しかし、次のロドニー・トニー戦でダウンを喫して2-1の敗北。シェイは思い切ってチャンスに賭けたが、失敗。これが事実上のラストファイトに。)  

 

「"斧" と呼ばれた男」チャールズ・ブルーワー①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

IBF世界スーパーミドル級王者。世界王者になる前の試合。ジェローム・ジョンソン戦、ロバート・トーマス戦ほかを紹介します。


チャールズ・ブルーワー(アメリカ)

身長185cm:オーソドックス(右構え)


チャールズ・ブルーワー 3R TKO ジェローム・ジョンソン

(J・ミドル級戦、1989年)

「"斧" と呼ばれた男」チャールズ・ブルーワー①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

3R:左ストレートでジョンソンがダウン

(感想:ペンシルベニア州フィラデルフィア出身の黒人ブルーワー。ニックネームは「The Hatchet(斧)」。アマチュアを少し経験してプロへ。身長185cm、リーチ198cm。ジョンソンとデビュー戦。メリーランド州の黒人ジョンソンもまたこれがデビュー戦。互いにどんな動きを見せるか? フィラデルフィアでの試合(レフェリーはフランク・カプチーノ)。共にジャブ。身のこなしも良い。ジョンソンがワンツー。ブルーワーはフックにパワー。左フックからの右ストレート、左ボディ打ち。3R、右フックを決めたブルーワー。右手をぐるぐる回すパフォーマンスを入れながら連打。左ボディが効いたジョンソン。左ストレートでダウン。立てず、KO。ブルーワーが積極的な攻めで勝利。パワフルな打ち方をしていたが、一発で相手を倒すタイプではなさそう。ジョンソンは動き・パンチは悪くなかったが、相手の勢いに飲み込まれる形で敗北。その後、数試合やって全て敗北。デビュー戦で負けたのが、影響したのかもしれない。)


チャールズ・ブルーワー 8R 判定 ロバート・トーマス

(S・ミドル級戦、1992年)

「"斧" と呼ばれた男」チャールズ・ブルーワー①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:デビュー戦後、連勝だったブルーワーだが、ロバート・トーマスに2-1の判定で敗北。少し間を置いて復帰戦でトーマスと再戦。これまで14勝(7KO)1敗。16勝(4KO)18敗1分(TVテロップより)のトーマスもまたフィラデルフィアの黒人。1980年デビューのベテラン。ロビー・シムズ、ジェームス・シュラー、ジョン・デビッド・ジャクソンといった実力者に敗北しているが、経験は豊富。ブルーワー戦後、連勝で、勢いがある状況。アトランチックシティでの一戦(リングアナはマイケル・バッファ)。後頭部の髪を薄く刈っている二人。サウスポーのトーマスはダッキングしながら低い位置から左ストレート、右フック。ややトリッキーな攻めで、積極的に手数。ブルーワーは足を使いながらディフェンス、ジャブ連打、フック連打、右ストレートからの左フック。長いリーチながらパンチにはキレとスピード。しつこく前進するトーマス、時には受け身になりながらも連打で反撃するブルーワー。8R終了。判定はまたしても2-1。ブルーワーがディフェンスで何とか勝利。トーマスは前回勝っているのもあって強気の攻め。ただ、攻撃の正確さに欠けた。その後、残念なことにトーマスは薬物の問題。ブランク後、カムバックしたが、中堅どころを相手に負けに負けてキャリア終了。通算戦績17勝(8KO)57敗4分(「BOXREC」より)。)


チャールズ・ブルーワー 1R KO アーネスト・ケネディ

(S・ミドル級戦、1992年)

「"斧" と呼ばれた男」チャールズ・ブルーワー①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:左フックでケネディがダウン

(感想:22歳のブルーワー。ケネディもフィラデルフィアの黒人。年齢は33で、プロデビューは1989年。中堅どころを相手にまずまずの戦績だが、ロバート・トーマスに判定負け。アトランチックシティ「Trump Plaza Hotel」での一戦(リングアナはエド・デリアン)。共に長いパンチの使い手。スリムなサウスポーのケネディが右ジャブ、左ストレート、フック連打。ブルーワーはワンツー、左フック。右ボディストレートからの左フックでケネディがうつぶせにダウン。立てず、KO。ブルーワーが楽勝。ケネディの振りが大きいパンチは隙が大きかったようだ。その後、数試合やって引退。) 


チャールズ・ブルーワー 3R KO ダニー・ミッチェル

(S・ミドル級戦、1992年)

「"斧" と呼ばれた男」チャールズ・ブルーワー①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

3R:連打でミッチェルがダウン

(感想:ミッチェルはペンシルベニア州ピッツバーグ出身の黒人。ニックネームは「Mad Dog」(荒々しい攻めをするのだろう)。このところ連敗中であるが、オーティス・グラント、ティム・リトルズ、ジェラルド・マクラレン、バーナード・ホプキンス、トニー・ソーントンといった実力者と対戦してきた。フィラデルフィアでの一戦(リングアナはエド・デリアン)。スキンヘッドのミッチェル(マービン・ハグラーの雰囲気)。右ストレート、左フックに強さ。しかし、ブルーワーはコンビネーションを使い、実に手数が多い。ワンツーからの左フック、斜め下からの左フックに迫力。相手の手数に押されるミッチェルはブロックしながら何とか反撃するが、焦りからかローブロー。3Rにローブローで減点されたミッチェル。これまでのローブローに怒りのブルーワーに連打されてダウン。片ヒザをキャンバスに着いたまま10カウントを聞いた。ブルーワーが自在に連打して勝利。できればもっとレベルが上の選手と対戦して欲しいところ。ミッチェルは良いところもあったが、押され気味のまま敗北。その後も多くの試合、多くの敗北。)

 

「全勝のドイツ人」スベン・オットケ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界スーパーミドル級王者。世界王座防衛戦。シルビオ・ブランコ戦、アリ・エネバッティ戦を紹介します。


スベン・オットケ(ドイツ)

身長178cm:オーソドックス(右構え)


スベン・オットケ 12R 判定 シルビオ・ブランコ

(IBF世界S・ミドル級タイトル戦、2000年)

「全勝のドイツ人」スベン・オットケ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:オットケがタイトル防衛。王者オットケは「Phantom(幽霊)」と呼ばれ、アマチュアではヨーロッパの大会で優勝した経験。29歳で遅いプロデビュー。チャールズ・ブルワーに勝利してIBF世界スーパーミドル級王者に。トーマス・テートらを相手に防衛。直前の試合はブルワーを2-1で返り討ち。これまで20連勝(3KO)で、33歳。(KO数が少ないのが気になる)。ブランコ戦は8度目の防衛戦。挑戦者ブランコ(34歳)はイタリア人(チビタベッキア出身)。兄もボクサーの「ボクシング兄弟」。40勝(24KO)4敗2分で悪くない。イタリア王座、WBCインター王座(いずれもミドル級)獲得後、WBUミドル級王座を獲得して連続防衛。王座陥落後、グレン・ジョンソンとの決定戦でWBUスーパーミドル級王座を獲得。ロビン・リードを相手に防衛に成功して、このオットケへの挑戦。ドイツ・カールスルーエでの一戦(オットケは世界王者になる前にウィーンで試合をしたことがあるが、それ以外は全てドイツで試合)。アップライトスタイルでジャブ、右ストレートのブランコ。フックは手打ち気味で、パワーが感じられない。オットケ(背中に「○○.com」の文字。何かの宣伝だろうが、選手の身体自体が「掲示板」になっているのはカッコ悪い)はそんなパンチをブロックしながら右ストレートからの左ジャブ、ガチャガチャした連打。実績がある二人だが、実に盛り上がらない試合。パワーのないブランコにオットケがジャブ、ストレート(あまり当たらない)、のパターンで12R終了。判定は3-0。オットケが攻勢点で勝利。後に全勝のまま引退することになるとは思えないほど魅力のない戦いぶり。会場のファンは喜んでいたが、海外のファンはこの試合を観てどう思っただろう? ブランコの「手打ちボクシング」は世界レベルではないように見えた。その後もブランコは多くの試合。階級を上げてWBA世界ライトヘビー級暫定王座獲得。正規王者に昇格。WBCシルバー王座(クルーザー級)も獲得。意外な活躍ぶり。)


スベン・オットケ 11R TKO アリ・エネバッティ

(IBF世界S・ミドル級タイトル戦、2001年)

「全勝のドイツ人」スベン・オットケ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

11R:右ストレート、右フック連打で2度、エネバッティがダウン

(感想:オットケがタイトル防衛。10度目の防衛戦。挑戦者エネバッティ(32歳)はアルジェリア出身で、フランス国籍。これまで30勝(20KO)3敗1分。WBCのインター王座を獲得したが、欧州王座は獲れず(いずれもミドル級)。このところ連勝中。ドイツ・ニュルンベルクでの一戦。共にガードしながらジャブ、ストレート、フック。エネバッティは右パンチに力を入れるが、特別な強さは感じられない(普通の選手)。オットケはディフェンスしながら隙を突くショートパンチ連打。左フックからの右ストレート、右フックからの左ジャブといった細かいボクシングだが、ブランコ戦と比べると攻撃のバリエーションが多い。11R。それまでと同じような展開の中、右ストレートでエネバッティがダウン。立ったが、さらに右パンチを食ってピンチ。ロープ際での右フック連打で二度目のダウン。今度も立ったがダメージ深く、レフェリーストップ。オットケがパワフルな勝利。全体的に地味なボクシングではあるが、ショートパンチを正確に当てる巧さ。そして右ストレートを「ガツン」と当てる思い切りの良さ。コブシ自体が強いのが「強さの秘密」だと思われる。エネバッティは頑張る選手だが、オットケのディフェンスを吹っ飛ばすほどの強さは無し。これが最後の試合に。その後のオットケ。WBA王者バイロン・ミッチェルと統一戦を行い、判定勝ち(2003年)。統一王座を防衛し続けて全勝で引退。世界王座を21度防衛。「地元で勝てる相手を選んでいたのでは?」という気もするが、それだけでは21度も防衛できない。引退後はゴルフのインストラクターになったとか。)