2025年7月5日土曜日

「20歳3ヶ月で戴冠」マンド・ラモス②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界ライト級王者。世界王者になる前の試合&WBC戦。フランキー・クロフォード戦(初戦)、ペドロ・カラスコ(三戦目)戦を紹介します。


マンド・ラモス(アメリカ)

身長175cm:オーソドックス(右構え)


フランキー・クロフォード 10R 判定 マンド・ラモス

(ライト級戦、1967年)

「20歳3ヶ月で戴冠」マンド・ラモス②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:デビューから連勝だったラモスだが、徐強一に3-0で初黒星。再起二連勝でクロフォード戦。クロフォードはペンシルベニア州エリー出身の白人。ラモスと同様、ロサンゼルス「オリンピック・オーディトリアム」が主戦場。敗北はあったが、KO負けは無し。このところ四連続KO勝ち。「オリンピック・オーディトリアム」での一戦。ややアップライトなスタイルのクロフォード。足でリズムを取りながらジャブ連打、右ストレート、左右フック、ボディ打ち。2Rには力強い右ストレートからの左フック。手数が多いが、攻めるときのガードに甘さ。ラモスは徐戦のようにフックで応戦していたが、次第に本来のジャブ、ワンツーで相手を追う展開に。ガードの隙を突いて左フックもヒットさせる。7R、気合いが入ったラモスが「打ってこい!」アピール。8Rにクロフォードが激しい連打(ホントに打ってきた)。その後もジャブで攻めるラモス、足で距離を取りながら打ち返すクロフォード。10R終了。判定は2-0。映像ではラモスがジャブ、ワンツー、左フックで勝ったように見えたが、クロフォード勝利。力強いパンチを打つシーンは確かにあったが、それはラモスも同様。この後、ダイレクト・リマッチが行われ、3-0でラモスが雪辱。その後、クロフォードはカリフォルニア州王座(フェザー級)を獲得したり、来日して西城正三のWBA世界フェザー級王座に二度挑戦したり(2-0、3-0で敗北)。キャリア終盤にはビセンテ・サルディバル、ベン・ビラフロア、ボビー・チャコン、エデル・ジョフレに敗北。ジョフレ戦後に引退したが、カムバック。後の世界王者ホセ・ルイス・ラミレスにTKO負け(1976年)。この後、トラブルによりボクシング関係者に銃で撃たれたらしい。身体に障害が残り、1982年に35歳で死去。「銃での自殺」と報道されている。)


その後のラモス 

当時、世界J・ライト級王者だった小林弘に判定勝ち。カルロス・テオ・クルス(ドミニカ)の世界ライト級王座に挑戦して判定負け。クルスと王座を懸けた再戦。TKO勝利で世界王者に。沼田義明をKOして初防衛。二度目の防衛戦でイスマエル・ラグナにTKO負けで王座陥落。シュガー・ラモス、ラウル・ロハス、ルーベン・ナバロ相手に連勝。ペドロ・カラスコとのWBC世界ライト級王座決定戦で反則負け。再戦は2-1でラモスがWBC王者に。初防衛戦はカラスコとの三度目の対戦で、決着戦。


マンド・ラモス 15R 判定 ペドロ・カラスコ

(WBC世界ライト級タイトル戦、1972年)

「20歳3ヶ月で戴冠」マンド・ラモス②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:左フックでカラスコがダウン

2R:右フックでカラスコがダウン

(感想:ラモスがタイトル初防衛。挑戦者カラスコはスペイン・アロスノ出身。1962年にイタリアでプロデビュー。スペインを主戦場に移して連戦連勝で欧州ライト級王者に。王座を連続防衛後、欧州J・ウェルター級王座も奪取。そのまま勢いで、ラモスに勝利してWBC王者に。しかし、その試合ではダウンを喫する厳しい内容。再戦は2-1の敗北。王座奪回なるか、といったところ。スペイン・マドリードでの一戦。1R、似たタイプの二人。互いにジャブ、ワンツー、フック。攻める姿勢で前進するラモスは踏み込んで左フック。カラスコは相手と距離を取りながら戦おうとするが、右ストレートが効いた。フォローの左フックで痛烈なダウン。2Rには強烈な右フックでダウン。そこから粘るカラスコ。ワンツーからの左ジャブ、左フックダブルといったテクニック、パワフルな左ボディ打ち。ラモスはディフェンスしながら得意のジャブ、ワンツー。右ストレート、左フックを時折ヒットさせる。15R終了。判定は2-1。実力的には互角のものを感じた試合。攻勢点でラモス勝利。カラスコの受け身の試合ぶりは挑戦者としては不利だった印象。その後の二人。カラスコは二連続TKO勝ちで引退。ラモスは次の防衛戦でチャンゴ・カルモナにTKO負け。どうやら私生活に問題(薬やアルコール)があったらしく、王者として長く活躍することができなかったうえに王座陥落後は連続KO負けするなどの不安定さ。引退後は妻のサポートで回復。青少年組織を設立し、アルコール、薬物、ボクシングについて指導する生活。しかし2008年、59歳で死去。晩年は心臓が不調だったという。) 

「20歳3ヶ月で戴冠」マンド・ラモス①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界ライト級王者。世界王者になる前の試合。ホルヘ・ベビー・サラサール戦、ピート・ゴンザレス戦、徐強一戦を紹介します。


マンド・ラモス(アメリカ)

身長175cm:オーソドックス(右構え)


マンド・ラモス 10R 判定 ホルヘ・ベビー・サラサール

(J・ライト級戦、1966年)

「20歳3ヶ月で戴冠」マンド・ラモス①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ラモスはカリフォルニア州ロングビーチ出身。1965年、ロサンゼルス「オリンピック・オーディトリアム」において17歳でプロデビュー。以来、連戦中。サラサールはメキシカンで、サウスポー。1956年デビューのベテランだが、連勝したり、ビセンテ・サルディバル、イスマエル・ラグナにKO負けしたりといったキャリア。直前の試合は実力者フランキー・クロフォードにアメリカで判定勝ち。「オリンピック・オーディトリアム」での一戦。身長差のある二人。長身のラモスは攻めの姿勢。正確なジャブ、右ストレート、左フック、斜め下からの右フック。サラサールは距離を取って受け身の姿勢を基本とし、接近して左ストレート、ボディ連打。しつこい攻撃が武器のようだ。2Rから激しい接近戦が続く。互いにフックの応酬。ラモスは背を曲げて小柄なサラサールのボディを叩く。サラサールは打たれ、勢いを削がれる。それでも最後まで打ち合いを継続し、10R終了。判定は3-0。ラモスがパンチの正確さ・手数で勝利。ただ、力強いパンチを打っていたが、ダウンを奪えず。サラサールは攻めたがディフェンスされ、攻撃の正確さ敗北。ただ、タフネスはあった。その後もサラサールはリングに上がったが、負けが続いて引退。)


マンド・ラモス 10R 判定 ピート・ゴンザレス

(ライト級戦、1967年)

「20歳3ヶ月で戴冠」マンド・ラモス①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:サラサール戦後も連勝のラモス。ゴンザレスはオレゴン州の選手。アマチュアではフライ級で全米王者に。プロでは勝ったり負けたりで苦戦(サラサールにTKO負け、ラウル・ロハスに判定負け。おそらく体格差の問題だと思われる。アメリカでは小さい選手が活躍する場が少なく、階級が上の選手との試合を強いられることも多い)。直前の試合は2-0で勝利。「オリンピック・オーディトリアム」での一戦。この試合もサラサール戦と同様、身長差。体格で不利なゴンザレスはジャブ連打で接近してフックを打つが、不正確。あまり接近戦は得意ではなさそうなのに加え、ディフェンスされてしまう。ラモスは離れた距離ではジャブ、ワンツー、接近戦ではフック連打、ボディ打ち。パンチを当てるラモスだがサラサール戦と同様、ボディ打ちがローブローになるシーンも。パンチの正確さでラモスがポイント上、優勢。しかし、ゴンザレスはタフネスで最後まで攻めの姿勢。10R終了。判定は3-0。ラモスが右ストレートで勝利。ゴンザレスは相手のディフェンスに飲み込まれた形。その後、ゴンザレスはカリフォルニア州王座(フェザー級)に挑戦して判定負けするなど大きな活躍をすることなく引退(1969年)。)


徐強一 10R 判定 マンド・ラモス

(ライト級戦、1967年)

「20歳3ヶ月で戴冠」マンド・ラモス①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:連勝中のラモスがアジア人と勝負。徐強一(ソ・ガンイル。日本では「じょ・きょういち」と呼ばれたことも)は韓国人(ソウル出身)。朝鮮戦争により家族が崩壊した過去。韓国フェザー級王者になったが、関光徳(東洋フェザー級王座戦)、フラッシュ・エロルデ(世界J・ライト級王座戦)、小林弘に敗北。日本で二連勝してラモス戦。「オリンピック・オーディトリアム」での一戦。似た体格、戦い方。ジャブ、ワンツー、左フック、ボディ打ち。攻めるラモス。やや受け身の徐はなかなかパワーがあり、叩きつけるような右フックからの左フックに迫力。手数を出し、ディフェンスしながら接近戦で互角の打ち合い。この試合、ラモスはジャブ、ストレートが少な目。相手のフック攻撃に付き合ってフックを使うシーンが多い。最後まで打ち合いが続いて10R終了。判定は僅差の3-0。徐がフックの強さで勝利。初黒星のラモスは作戦ミスだったのではないか? いつものようにジャブ、ワンツーで行けば結果は逆だったかも。その後、徐はラウル・ロハス(カリフォルニア州公認世界J・ライト級王座戦)、沼田義明(東洋J・ライト級王座戦)に敗北。世界王者にはなれなかった。)

 

2025年7月4日金曜日

「ピッツバーグのサウスポー」ポール・スパダフォーラ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

IBF世界ライト級王者。世界王者になる前の試合&世界王者時代の試合。デニス・ホルバエク・ペーダーセン戦ほかを紹介します。


ポール・スパダフォーラ(アメリカ)

身長175cm:サウスポー


ポール・スパダフォーラ 4R TKO マイケル・ロペス

(J・ライト級戦、1996年)

「ピッツバーグのサウスポー」ポール・スパダフォーラ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

3R:右フックでロペスがダウン

(感想:ペンシルベニア州ピッツバーグ出身の白人スパダフォーラ。貧困と薬物に苦しむ家庭の出。11歳でボクシングを始める。アマチュアで優秀な戦績。プロ入り後、これまで4連勝(2KO)。ロペスはフロリダ州マイアミの黒人だが、1勝(1KO)6敗の「かませ犬」的なキャリア。マイアミでの一戦(会場でビニー・パジェンザが美女(奥さん?)と観戦)。ゴング前、ちょっとしたダンスを披露するロペス(明るい人)。試合ではトリッキーな動きを入れながら勢いで連打(左右フックなど)。ただ、真っ直ぐ攻めるクセがあり、攻めているときのガードに甘さ。スパダフォーラはマジメなボクシング。「いかにもサウスポー」といった感じで、ダッキングしながら前進。右ジャブ、ワンツー、右フックを正確に入れようとする(パーネル・ウィテカーのようなタイプ)。2R、スパダフォーラの左ストレートがクリーンヒット。3R、左フックからの右フックでロペスがダウン。その後も左を打たれるロペスはこのラウンド終了後に棄権。スパダフォーラが正統派スタイルで勝利。当てるテクニックを見せた。ロペスは手数で頑張るタイプだが、ガードに問題。その後も若手時代のビビアン・ハリスにTKO負けするなど負け続けて引退。)


ポール・スパダフォーラ 10R 判定 チャールズ・チョニオウスキー

(J・ウェルター級戦、2001年)

「ピッツバーグのサウスポー」ポール・スパダフォーラ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

10R:左ストレートでチョニオウスキーがダウン

(感想:ロペス戦後のスパダフォーラ。さらに連勝後、王座決定戦で判定勝ちしてIBF世界ライト級王座を獲得。連続防衛。これまで33連勝(14KO)、25歳。チョニオウスキーとノンタイトル戦。チョニオウスキー(24歳)はペンシルベニア州フィラデルフィア出身の白人。デビューから概ね好調(「アリ・モハメド」なる選手に二連勝)で20勝(11KO)3敗1分。中堅どころに勝利してきたが、直前の試合は判定負け。ウェストバージニア州チェスターでの一戦。ゴツいパンチ&タフネスで勝負するチョニオウスキー。攻めの姿勢でジャブを連打し、右パンチ(ストレート、フック)を狙う。また、打つときはフックをまとめるなど手数も多い。スパダフォーラは左のテクニック。ジャブ、ワンツー、パワーを込めた右フック、コンビネーション(ワンツーからの右フック)。4R、スパダフォーラの左ストレートがヒット。チョニオウスキーは打たれても前進して逆にパンチを当てる勇ましさ。しかし、右目下を負傷。10R、スパダフォーラが右フックを決め、左ストレートでチョニオウスキーのマウスピースを落下させる。そしてラウンド終了間際、左ストレートでチョニオウスキーがダウン。立ち上がり、10R終了。判定は3-0。打たれるシーンもあったが、スパダフォーラがディフェンス&パンチの正確さで勝利。チョニオウスキーは最後まで前に出るなどよく頑張った。その後のチョニオウスキー。アイバン・ロビンソンに2-0で勝利できたが、マイケル・スチュワートとの全米スーパーライト級王座決定戦にTKO負け。以後は勝ったり負けたりでキャリア終了。)


ポール・スパダフォーラ 12R 判定 デニス・ホルバエク・ペーダーセン

(IBF世界ライト級タイトル戦、2002年)

「ピッツバーグのサウスポー」ポール・スパダフォーラ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:スパダフォーラがタイトル防衛。チョニオウスキー戦の次の試合でエンジェル・マンフレディ相手にIBF王座を防衛したスパダフォーラ。次の挑戦者ペーダーセンはデンマーク・コリング出身の白人で、IBCライト級王者でもある。ニックネームは「The Menace(脅威の男)」。これまでの試合は全てデンマーク。IBC王座(ライト級、スーパーフェザー級)、欧州王座(スーパーフェザー級)を獲得しているが、欧州王座戦でKO負け。その後は連勝で、IBFインターコンティネンタル王座(スーパーフェザー級)を獲得し、欧州王座を奪回している。ウェストバージニア州チェスターでの一戦(一応「IBF・IBCライト級王座統一戦」。「団体の格」が違いすぎるが)。細かい打ち合い。坊主頭のスパダフォーラはジャブが多く、ワンツー、右フック。ペーダーセンは細かい打ち方で左フックからの右ショートなどに当てる巧さ。4R、ペーダーセンの右フックで足に来たスパダフォーラだが、ジャブで体勢を立て直す。その後は互いにパンチを当てるが、スパダフォーラがジャブで試合をリード。ペーダーセンは単発のヒットに終わる。12R終了。判定は3-0。スパダフォーラがジャブ、左ストレート、ディフェンスで勝利。細かいパンチの応酬となったが、スパダフォーラは長いパンチ(左ストレート)も効果的だった。その後の二人。この試合後、ペーダーセンはブランク。カムバックしたが、リッキー・ハットンとWBU王座(スーパーライト級)を争ってTKO負けだった。スパダフォーラは次の試合でWBA王者レナード・ドーリンとIBF・WBA世界ライト級王座統一戦を行ったが、引き分け(2003年)。その後もリングに上がり続けたが、トラブル(刑務所に収監されたことも)などにより試合間隔が長めに。2013年、WBA世界スーパーライト級暫定王座戦で判定負け、プロ初黒星。ボクサーとして成功したが、数々のトラブル。キャリアを台無しにしてしまった。)

 

2025年7月3日木曜日

「金メダル&世界王座」ホエール・カサマヨール「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

WBA世界S・フェザー級王者。ノンタイトル戦のヨニ・バルガス戦、ラモント・ピアーソン戦、ジェイソン・デービス戦を紹介します。


ホエール・カサマヨール(キューバ)

身長170cm:サウスポー


ホエール・カサマヨール 5R TKO ヨニ・バルガス

(ライト級戦、2002年)

「金メダル&世界王座」ホエール・カサマヨール「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

5R:左ストレートで2度、バルガスがダウン

(感想:キューバ・グアンタナモ州出身の黒人サウスポー、カサマヨール。ニックネームは「El Cepillo」(英語で言うところの「The Brush(摩擦力)」。由来は?)。バルセロナ・オリンピック(1992年)でバンタム級金メダル。プロ入り後は快調で北米S・フェザー級王座、WBA世界S・フェザー級暫定王座を獲得し、正規王者の白鐘権(韓国)との王座統一戦で勝利。しかし、WBO王者アセリノ・フレイタスと王座統一戦を行い、初黒星。これまで27勝(17KO)1敗、31歳。バルガス戦は再起二戦目。23勝(12KO)3敗のバルガス(28歳)はメキシコ・メヒカリ出身で、デビューから主戦場はアメリカ。カリフォルニア州王座(ライト級)、NABO王座(スーパーフェザー級)を獲得するなどの実績。フロリダ州マイアミでの一戦。キューバの国旗をデザインしたコスチューム&トランクスのカサマヨールは「典型的なサウスポー」。相手から距離を取ってディフェンスしながら右ジャブ、左カウンター。ワンツーからの右ジャブといったテクニック。受け身な試合ぶりだが、左にパワーがある(キューバの強豪にありがちな強さ)。バルガスは攻めの姿勢でジャブ、ワンツー、メキシカンらしい左右フックボディ打ち。しかし、ディフェンスされるため接近してボディ攻めに集中。5R、左パンチを食うバルガス。右目下のキズが悪化。左ストレートでダウン。立ったが、左ストレートで二度目のダウン。今度も立ったが、キズもあってレフェリーストップ。カサマヨールがキューバ人らしいディフェンス&強打で勝利。バルガスは悪くはなかったが、攻めても逆に打たれた。自分のパンチが効かないうえに強く打たれるのはさぞかし恐怖だったろう。その後、バルガスはフィリップ・ヌドゥにTKO負けしたり、地域王座戦に敗れたりでキャリア終了。)


その後のカサマヨール 

バルガス戦後、ネート・キャンベル、ディエゴ・コラレスに連勝して好調だったが、WBO世界スーパーフェザー級王座決定戦でコラレス(再戦)に敗北。WBC世界ライト級王者ホセ・ルイス・カスティージョへの挑戦は判定負け。続くWBC世界ライト級挑戦者決定戦はドロー。


ホエール・カサマヨール 9R TKO ラモント・ピアーソン

(スーパーライト級戦、2006年)

「金メダル&世界王座」ホエール・カサマヨール「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ピアーソンはメリーランド州の黒人。アマチュア王者(ライト級)からプロ入り。デビューから連勝でNABA王座、全米王座(いずれもスーパーフェザー級)獲得。しかし、判定で初黒星。タイ・バンコクでヨーサナン・3KバッテリーにTKO負け(WBA世界スーパーフェザー級王座挑戦)。全米王座奪回に失敗。ブランク後、全米王座奪回。ピークは過ぎているが、どんな動きを見せるか? アリゾナ州フェニックスでの一戦(会場では元WBO世界ヘビー級王者トミー・モリソンが観戦)。カサマヨールはいつものように右ジャブ、左ストレート。ピアーソンは意外にパンチにキレがあり、右ストレート、力を入れた左フック。しかしながら、慎重姿勢で受け身。いいパンチを打っているが、カサマヨールに攻められてブロック。攻勢点でカサマヨール優勢。9R、左ストレートでピアーソンがダウンしたが、「スリップ」の裁定。そのままピアーソンが右目付近のキズのドクターチェック。試合終了。カサマヨールが終始攻めの姿勢で勝利。残念だったピアーソン。バランスが良く、筋のいい打ち方をしていたが、手数が少なかった。これが最後の試合に。)


その後のカサマヨール 

ピアーソン戦の次の試合はコラレスとの三度目の対戦。コラレスのWBC世界ライト級王座に挑戦して2-1の勝利。ところがややこしい話。コラレスがウェイトオーバーで王座剥奪。それにより暫定王者デビッド・ディアスが正規王者に昇格。カサマヨールがコラレスとの三戦目で獲得したのはWBC世界ライト級暫定王座になってしまった。その王座も一度防衛後、剥奪。ファン・マヌエル・マルケスにTKO負け。ジェイソン・デービスと再起戦。


ホエール・カサマヨール 8R 判定 ジェイソン・デービス

(スーパーライト級戦、2009年)

「金メダル&世界王座」ホエール・カサマヨール「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:38歳のカサマヨール。デービス(27歳)はオレゴン州セイラム出身の白人。デビューから中堅相手にまずまずだったが、このところスティーブ・フォーブス戦、ローカル王座戦に敗れて連敗中。ラスベガスでの一戦。パンチにスピードがないカサマヨール。小手先のテクニックで戦い、左カウンターを狙う。デービスはジャブを使いながら右ストレートを打つが、ディフェンスされて単発に終わる。2Rに押されて転倒したカサマヨールだが、その後はディフェンス&カウンターでポイント。8R終了。判定は3-0(三者とも「79-73」)。カサマヨールが往年のテクニックで勝利。ただ、パワーは無し。デービスは単調な攻めをかわされて敗北。その後の二人。デービスはさらに負けが増えていった。カサマヨールはデービス戦後、一勝一敗。そして40歳でWBO世界スーパーライト級王者ティモシー・ブラッドリーに挑戦してTKO負け。スピード感に欠ける試合ぶりだったせいだろうか、これで引退。)

 

2025年7月2日水曜日

「シャープな左フック」フリオ・ディアス「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

IBF世界ライト級王者。世界王者になる前の試合&再起ロード。ホセ・マンハレス戦、フスト・センシオン戦ほかを紹介します。


フリオ・ディアス(メキシコ)

身長175 cm:スイッチヒッター(両構え)


フリオ・ディアス 4R 判定 ホセ・マンハレス

(ライト級戦、2000年)

「シャープな左フック」フリオ・ディアス「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:メキシコのミチョアカン州ヒキルパン・デ・ファレス出身のディアス(名前が似ているライバル、ファン・ディアス(テキサス出身)とは別人)。ニックネームは「The Kid」。兄がトレーナーとしてサポート。これまで11連勝(8KO)、20歳。マンハレス(30歳)はメキシカンで、14勝(6KO)20敗4分。勝ったり連敗したりのキャリア。葛西裕一に2-0の敗北、ローカル王座戦でKO負け。ところが、ナルシソ・バレンズエラをTKOで下してNABOジュニアライト級王座獲得。しかし、そこまで。バレンズエラとの再戦に敗れ、レバンダー・ジョンソン、ウィリー・ホーリン、セサール・バサンといった選手に連敗。WBC米大陸王座、WBOインターコンティネンタル王座(いずれもジュニアライト級)挑戦失敗。ただ、経験は充分(にもかかわらず四回戦に出場)。カリフォルニア州インディオでの一戦(TV解説席にエンジェル・マンフレディ。後、ディアスと対戦)。スリムなディアス。相手から距離を取ってシャープなジャブ連打、踏み込んで右ストレート、左フック。マンハレスも右ストレート、左フック。攻めの姿勢で特に右ストレートにパワーを込める。2R、好戦的なところを見せるディアス。ワンツーからの左フック、左パンチをボディからアゴへ連打するコンビネーション。パンチは軽めだが、当てる勘がある。マンハレスは経験に基づくしぶとさはあるが、大きなフックを空振りするなど攻めが単発傾向。4R、サウスポーにチェンジするディアス(器用さは感じられたが、中途半端なスイッチだった印象)。4R終了。判定は3-0。ディアスがシャープなコンビネーションで勝利。ただ、パワーが課題。マンハレスは一発狙いが空転。次第に受け身の試合ぶりになっていった。その後もマンハレスは勝ったり負けたりだったが、多くの試合。戦うのが好きだったのだろう。)


フリオ・ディアス 9R KO フスト・センシオン

(NABAライト級王座決定戦、2001年)

「シャープな左フック」フリオ・ディアス「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

6R:左ボディでセンシオンがダウン

7R:右ボディでセンシオンがダウン

9R:左ボディでセンシオンがダウン

(感想:ディアスがタイトル獲得。マンハレス戦後も中堅選手相手に連勝(21勝(15KO))のディアスが注目の全勝対決。センシオンはドミニカの黒人で、主戦場はアメリカ。ニックネームは「センセーショナル」(凄い試合をするのだろう)。マイアミでのデビューから連勝でドミニカ王座、ニューヨーク州王座(スーパーフェザー級)獲得。16戦全勝(9KO)でディアスと決定戦。ニューヨークでの一戦。共通点が多い二人。共にスリムな体型(センシオンはドレッドヘアー)。速いジャブを連打し、長いストレート、フック。サウスポーにスイッチ。ディフェンスしながらパンチのキレで勝負。互角の勝負。互いにボディ打ち。先に参ったのはセンシオン。6R、左フックを当てるディアスにセンシオンは打ち返すが、左ボディでダウン。7Rには右ボディでダウン。挽回すべくボディを攻めるセンシオンだが、9Rに左フックからの左ボディでダウン。片ヒザをキャンバスに着いたまま10カウント。ライバル対決はボディ攻撃で決着。パワーは同じぐらいに見えたが、ディフェンスと当てるテクニックに僅かに差があったか。センシオンは中途半端にスイッチ。もっと一貫したスタイルで戦った方がよかったのでは? その後、センシオンはWBC米大陸王座戦(ライト級)で判定負けするなど世界戦をすることなくキャリアを終えた。) 


その後のディアス

エンジェル・マンフレディに2-1で初黒星。さらにファン・バレンズエラに1RでTKO負け。再起してWBCの地域王座を獲得するなど連勝。ハビエル・ハウレギを判定で下してIBF世界ライト級王者に(2004年)。防衛戦を行うことなくIBF王座を返上し、その次の試合でWBC世界ライト級王者ホセ・ルイス・カスティージョに挑戦したが、TKO負け。再起戦に勝利して、ラッセル・ストーナー・ジョーンズと再起二戦目。


フリオ・ディアス 1R KO ラッセル・ストーナー・ジョーンズ

(J・ウェルター級戦、2005年)

「シャープな左フック」フリオ・ディアス「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:左フックでジョーンズがダウン

(感想:ジョーンズはガーナ・アクラ出身の黒人(期待大。アズマー・ネルソン、アイク・クォーティのような選手なのだろうか?)。アクラでデビュー。ガーナ王座(J・フェザー級)を獲得できたが、アフリカ王座(J・フェザー級)は獲れず。ガーナ王座戦にも敗北し、主戦場をアメリカに。トレーシー・ハリス・パターソン、ホエル・カサマヨールに敗北するなど苦戦。このところ三連勝でディアス戦。カリフォルニア州オーシャンサイドでの一戦(リングアナはジミー・レノン・ジュニア)。力強いジャブのジョーンズ。ディアスはややゴツい身体になった印象だが、速いジャブ&ワンツー。左フックの器用さは変わらず。左フックを食ったジョーンズ。クリンチするが、ヒザを着いてカウントを取られる。一旦立ったが、またヒザを着いてカウントアウト。よくわからない終わり方。どうやら左フックを食って右目を痛めたらしい。クリンチで耐えようとしたが耐えきれずにヒザを着いた、ということらしい。ボクシングは真剣勝負。こういうあっけない終わり方をすることは珍しくない。ディアスが左のテクニックで勝利。目指すは世界王座返り咲きのみ。その後、ジョーンズはランドール・ベイリーにTKO負けするなど全敗でキャリア終了。記録によると2006年に引退して2023年にナイジェリアのラゴスで一試合。2RでTKO負け(何のために復帰?)。)


その後のディアス

IBF暫定王座を獲得。正規王者ヘスス・チャベスをKOし、「正規王者に昇格」という形でIBF王座返り咲き。しかし、次の試合でWBA・WBO世界ライト級王者ファン・ディアスと三団体統一戦を行い、TKO負け。復帰したが、試合間隔が長めに。


ローランド・レイジェス 5R TKO フリオ・ディアス

(J・ウェルター級戦、2009年)

「シャープな左フック」フリオ・ディアス「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

5R:連打、左フックで2度、ディアスがダウン

(感想:これまで36勝(26KO)4敗、29歳のディアス。レイジェスと再起三戦目。30勝(19KO)4敗2分のレイジェス(30歳)はカリフォルニアの選手。NABO王座(ライト級)獲得、ホセ・ルイス・カスティージョに判定負け、スティーブ・ジョンストンにTKO勝ち(IBAライト級王座戦)、といった実績。このところ連勝中だが、一年に一試合のペース。テキサス州オースティンでの一戦。ディアスが上体でリズムを取りながらジャブ、コンビネーション(ワンツー、左フックからの右ストレート、右ストレートからの左ボディ打ち)で手数。レイジェスは手数が少な目。ガードしながら右パンチを狙う構えで、1Rに右ストレートを決める。左のテクニックのディアス、一発を狙うレイジェス。5R、右パンチが効いたディアス。連打されてダウン。ラッシュされて左フックでダウン。それと同時に試合ストップ。レイジェスが狙い通りに右パンチで勝利。ディアスは相手が狙っていたのはわかっていただろうが、マトモに打たれて敗北。アウトボクシングに徹すればよかったかもしれない。勝ったレイジェスはこれが最後の試合に。元世界王者をKOして満足したのだろう。その後のディアス。リングに上がり続けてショーン・ポーターと地域王座戦を行うなどの頑張りはあったが、タイトル獲得ならず。最後の試合はWBA世界ウェルター級暫定王者キース・サーマンへの挑戦で、棄権負け。もう少しパワーがあれば、といった選手だった。)

LINK:

 ファン・ディアス

ブラッドリー・ジェンセン戦、アデイルトン・デ・ヘスス戦

2025年7月1日火曜日

「好戦的なライト級」ファン・ディアス「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界ライト級王者。若手時代&キャリア終盤の試合。ブラッドリー・ジェンセン戦、アデイルトン・デ・ヘスス戦を紹介します。


ファン・ディアス(アメリカ)

身長168 cm:オーソドックス(右構え)


ファン・ディアス 6R 判定 ブラッドリー・ジェンセン

(J・ウェルター級戦、2001年)

「好戦的なライト級」ファン・ディアス「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:テキサス州ヒューストン出身のディアス。童顔だが勇敢、ということでニックネームは「Baby Bull」。アマチュアで素晴らしい成績(大会で何度も優勝する天才ぶり)。しかしながら、年齢制限により2000年のシドニー・オリンピックには出場ならず。16歳でプロデビュー。メキシコでのデビュー戦は1RでTKO勝ち。これまで6連勝(5KO)。年齢はまだ17。ジェンセン(26歳)はコロラド州デンバー出身。身長が179cmもある。年齢の割には試合数が少なく、7勝(4KO)1敗。直前の試合は判定負け。コネチカット州アンカスビルでの一戦(リングアナはジミー・レノン・ジュニア、レフェリーはエド・コットン)。身長差のある二人。ジェンセンが長身のためディアスがちっちゃく見える。ガードを上げ、踏み込んでジャブを打ち込むディアス。フックが主武器のようで、斜め上から叩きつける右フック、左ボディ打ちにパワー。ジェンセンは長身選手にありがちなことだが、ぎこちなさ。ジャブ、フックなどで応戦するが、真っ直ぐ攻めるクセ(攻めるときのガードに甘さ)。しかも、パンチにはパワーが乗っていない。頑張るディアスだが、身長差のせいなのか決定打を打ち込めず。ジェンセンは打ち返すが、ディフェンスされる。6R終了。判定はフルマーク(60-54)の3-0。ディアスが攻勢点で勝利。倒せなかったが、フックに思い切りの良さ、迫力があった。ジェンセンはタフだったが、バランスが悪い、その後、スティーブ・ジョンストンにTKO負けするなど勝ったり連敗したり。負けの方が多いキャリアとなった。)  


その後のディアス

中堅相手にさらに連勝。WBCのユース王座(ライト級)を獲得、連続防衛。ラクバ・シンを判定で下してWBA世界ライト級王座獲得。ジュリアン・ロルシー、ランディ・スイコらを相手に防衛に成功(シンとロルシーは畑山隆則を破った実力者)。アセリノ・フレイタスを下してWBO王座も獲得。IBF王者フリオ・ディアスと統一戦。これにも勝利(9RでTKO)。しかし、次の防衛戦でネート・キャンベルに敗北、王座陥落(初黒星)。再起戦でマイケル・カティディスを2-1で破り、IBO王座(ライト級)獲得。世界王座返り咲きを目指したがファン・マヌエル・マルケスに二度も阻止され、果たせず(素晴らしい選手だったが、上には上が)。マルケスとの再戦(2010年)後、ブランク。カムバック。アデイルトン・デ・ヘススと再起二戦目。


ファン・ディアス 5R TKO アデイルトン・デ・ヘスス

(J・ウェルター級戦、2013年)

「好戦的なライト級」ファン・ディアス「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:29歳のディアス。デ・ヘスス(30歳)はブラジル・サルヴァドール出身。ブラジル王座(スーパーフェザー級)を獲得するなどデビューから連勝(「フリオ・セサール・カマチョ(チャベスとカマチョの良いところを併せ持つ選手なのだろう)」なる選手をKOしている)。アメリカでも勝利したが、IBFラティノ王座戦(フェザー級)で判定負け、初黒星。続いてパナマでも判定負け。アメリカでTKO負けで三連敗。その後は地元やメキシコなどで試合。マルコ・アントニオ・バレラに判定負け、ウンベルト・ソトにKO負けするなど実力者には勝てない状況。テキサス州ラレドでの一戦。開始から攻めまくるディアス。ワンツー、左右フック連打、ボディ打ち。デ・ヘススは何とかフック、ボディ打ちで対抗するが、パワーの乗ったパンチではないためディアスの接近を止められない。5R、ディアスが左ボディからの右ストレートなどで連打。デ・ヘススのセコンドがタオルを投入して試合終了。ディアスが勢いで勝利。しかし、多くの手数を出したが、ダウンは奪えず。デ・ヘススはタフだったが、パワー不足。実力者に勝てないのを物語る攻撃力だった。その後の二人。デ・ヘススは再起戦にKO勝ちして事実上のキャリア終了。ディアスは結局、マルケス戦後は世界戦は無し。ボクシングだけではなく学業もしっかり修めたディアス(地域活動に参加する人格者でもある)。引退後は弟と一緒に運送会社を経営しているとか。) 

LINK:

ホセ・マンハレス戦、フスト・センシオン戦ほか

2025年6月30日月曜日

「クロンク初の世界王者」ヒルマー・ケンティ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

WBA世界ライト級王者。世界王座陥落後のジョン・モンテス戦、ロベルト・エリゾンド戦を紹介します。


ヒルマー・ケンティ(アメリカ)

身長179cm:オーソドックス(右構え)


ヒルマー・ケンティ 10R 判定 ジョン・モンテス

(ライト級戦、1982年)

「クロンク初の世界王者」ヒルマー・ケンティ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:テキサス州オースティン出身の黒人ケンティは長身。デトロイトの「クロンクジム」所属。アマチュアで優秀な選手だったが、オリンピックには出場ならず。プロ入り後は連戦連勝でエルネスト・エスパーニャからWBA世界ライト級王座奪取。三度の防衛(呉英鎬、エルネスト・エスパーニャ、ビロマー・フェルナンデス)に成功したが、ショーン・オグラディに判定負け(初黒星)で王座陥落。これで自信を失ったのだろうか? 一年以上間が空いて復帰戦(KO勝ち)。モンテスと再起二戦目。年齢は27。モンテスは(21歳)はカリフォルニア州ウィッティア出身。中堅相手にこれまで22連勝(17KO)。WBA世界ライト級8位に入っている。ニューメキシコ州アルバカーキでの一戦。左のガードを下げた構えから左ジャブを飛ばすケンティ。そして右ストレート、左フック。上半身のパワーを生かす打ち方(クロンクらしい)。モンテスもまたテクニックで勝負。ジャブ、右ストレート、左フック、左ボディ打ち。特に左フックをダブルで打ち込むなど左のテクニックに自信を持っているような打ち方。正確なパンチでケンティがやや優勢。ただ、真っ直ぐ攻めるクセがあり、時折左フックを食う。終盤は接近戦でのもみ合い。疲れたか、ケンティが打たれるシーンも。10R終了。共に両手を上げて自身の勝利をアピール。判定は僅差の3-0。勝って大喜びのケンティ。ガードの隙があり、終盤は疲れ。ラウンドカットされた映像で観戦したため判定については何とも言えない部分もあるが、あまり良い勝ち方ではなかった印象。モンテスはやや線が細い。上位陣にはパワーで苦労するのではないか? その後のモンテス。再起戦でヘクター・カマチョに1RでKO負け。そこから連勝したが、コーネリアス・ボサ・エドワーズ、パーネル・ウィテカー(後に大物に)に判定で二連敗。しかし、底力。連勝後、WBC米大陸王座奪取(J・ウェルター級)。フレディ・ペンドルトンにKO勝ち。サミー・フエンテスにKO負け。ブランク後、カムバック。ラストファイトはIBFインターコンティネンタル王座戦(J・ミドル級)で、判定負け。相手は後の世界王者ポール・ベイデンだった。) 


ロベルト・エリゾンド 3R TKO ヒルマー・ケンティ

(J・ウェルター級戦、1982年)

「クロンク初の世界王者」ヒルマー・ケンティ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:モンテス戦の次の試合。これまで23勝(19KO)3敗のエリゾンド(26歳)はテキサス州コーパス・クリスティ出身(眉毛が濃い男で、つながっているのが特徴)。アレクシス・アルゲリョのWBC世界ライト級王座に挑戦してKO負け。その再起戦でコーネリアス・ボサ・エドワーズに判定負け。TKO勝利で連敗を脱出してケンティ戦。ニュージャージー州マカフィーでの一戦(レフェリーはトニー・ペレス)。シャープなパンチを打ち込むケンティ。まるでトーマス・ハーンズのように左ジャブ、ワンツー、左フックからの右ストレート。しかし、打たれる。エリゾンドがダッキングしながらジャブで前進し、フック攻撃。2R、左ジャブ、左フックを食うケンティ。このラウンド終了後、棄権。エリゾンドが攻めの姿勢で勝利。ケンティは打たれるクセ。勢いがあるときはカバーできるが、そうでないときは打たれて弱気に。ボクサーにはそれぞれ特徴やクセがあり、一度身に付いたものは直せないことが多い。その後の二人。エリゾンドは連勝して再び世界挑戦。エドウィン・ロサリオのWBC世界ライト級王座に挑戦して何と1RでKO負け。さらにフランキー・ウォーレン、ビニー・パジェンザにTKO負け。中堅相手には強かったが、大きな試合を落とすキャリアだった。ケンティはリングに上がり続けて若手時代のフレディ・ペンデルトン(後のIBF世界ライト級王者)を下すなど連勝だったが、世界挑戦は無し。良い選手ほど初黒星のダメージ・ショックが大きいということか。)