世界ライト級王者。世界王者になる前の試合&WBC戦。フランキー・クロフォード戦(初戦)、ペドロ・カラスコ(三戦目)戦を紹介します。
マンド・ラモス(アメリカ)
身長175cm:オーソドックス(右構え)
①フランキー・クロフォード 10R 判定 マンド・ラモス
(ライト級戦、1967年)
(感想:デビューから連勝だったラモスだが、徐強一に3-0で初黒星。再起二連勝でクロフォード戦。クロフォードはペンシルベニア州エリー出身の白人。ラモスと同様、ロサンゼルス「オリンピック・オーディトリアム」が主戦場。敗北はあったが、KO負けは無し。このところ四連続KO勝ち。「オリンピック・オーディトリアム」での一戦。ややアップライトなスタイルのクロフォード。足でリズムを取りながらジャブ連打、右ストレート、左右フック、ボディ打ち。2Rには力強い右ストレートからの左フック。手数が多いが、攻めるときのガードに甘さ。ラモスは徐戦のようにフックで応戦していたが、次第に本来のジャブ、ワンツーで相手を追う展開に。ガードの隙を突いて左フックもヒットさせる。7R、気合いが入ったラモスが「打ってこい!」アピール。8Rにクロフォードが激しい連打(ホントに打ってきた)。その後もジャブで攻めるラモス、足で距離を取りながら打ち返すクロフォード。10R終了。判定は2-0。映像ではラモスがジャブ、ワンツー、左フックで勝ったように見えたが、クロフォード勝利。力強いパンチを打つシーンは確かにあったが、それはラモスも同様。この後、ダイレクト・リマッチが行われ、3-0でラモスが雪辱。その後、クロフォードはカリフォルニア州王座(フェザー級)を獲得したり、来日して西城正三のWBA世界フェザー級王座に二度挑戦したり(2-0、3-0で敗北)。キャリア終盤にはビセンテ・サルディバル、ベン・ビラフロア、ボビー・チャコン、エデル・ジョフレに敗北。ジョフレ戦後に引退したが、カムバック。後の世界王者ホセ・ルイス・ラミレスにTKO負け(1976年)。この後、トラブルによりボクシング関係者に銃で撃たれたらしい。身体に障害が残り、1982年に35歳で死去。「銃での自殺」と報道されている。)
その後のラモス
当時、世界J・ライト級王者だった小林弘に判定勝ち。カルロス・テオ・クルス(ドミニカ)の世界ライト級王座に挑戦して判定負け。クルスと王座を懸けた再戦。TKO勝利で世界王者に。沼田義明をKOして初防衛。二度目の防衛戦でイスマエル・ラグナにTKO負けで王座陥落。シュガー・ラモス、ラウル・ロハス、ルーベン・ナバロ相手に連勝。ペドロ・カラスコとのWBC世界ライト級王座決定戦で反則負け。再戦は2-1でラモスがWBC王者に。初防衛戦はカラスコとの三度目の対戦で、決着戦。
②マンド・ラモス 15R 判定 ペドロ・カラスコ
(WBC世界ライト級タイトル戦、1972年)
(ダウンシーン)
1R:左フックでカラスコがダウン
2R:右フックでカラスコがダウン
(感想:ラモスがタイトル初防衛。挑戦者カラスコはスペイン・アロスノ出身。1962年にイタリアでプロデビュー。スペインを主戦場に移して連戦連勝で欧州ライト級王者に。王座を連続防衛後、欧州J・ウェルター級王座も奪取。そのまま勢いで、ラモスに勝利してWBC王者に。しかし、その試合ではダウンを喫する厳しい内容。再戦は2-1の敗北。王座奪回なるか、といったところ。スペイン・マドリードでの一戦。1R、似たタイプの二人。互いにジャブ、ワンツー、フック。攻める姿勢で前進するラモスは踏み込んで左フック。カラスコは相手と距離を取りながら戦おうとするが、右ストレートが効いた。フォローの左フックで痛烈なダウン。2Rには強烈な右フックでダウン。そこから粘るカラスコ。ワンツーからの左ジャブ、左フックダブルといったテクニック、パワフルな左ボディ打ち。ラモスはディフェンスしながら得意のジャブ、ワンツー。右ストレート、左フックを時折ヒットさせる。15R終了。判定は2-1。実力的には互角のものを感じた試合。攻勢点でラモス勝利。カラスコの受け身の試合ぶりは挑戦者としては不利だった印象。その後の二人。カラスコは二連続TKO勝ちで引退。ラモスは次の防衛戦でチャンゴ・カルモナにTKO負け。どうやら私生活に問題(薬やアルコール)があったらしく、王者として長く活躍することができなかったうえに王座陥落後は連続KO負けするなどの不安定さ。引退後は妻のサポートで回復。青少年組織を設立し、アルコール、薬物、ボクシングについて指導する生活。しかし2008年、59歳で死去。晩年は心臓が不調だったという。)