WBA世界L・ヘビー級王者。ロッテ・ムワーレ戦、スロボタン・カッチャー戦(IBF王座戦)を紹介します。
エディ・ムスタファ・ムハマド(アメリカ)
身長183cm:オーソドックス(右構え)
ジェリー・マーチン戦後のムハマド
マーチンをKOしてWBA王座の初防衛に成功した後、ルディ・クープマンズ(オランダ)をTKOして二度目の防衛に成功。しかし、ここから運命が大きく変わる。WBC王者マシュー・サァド・ムハマドと統一戦を行う予定だったが、有名な「ハロルド・スミス詐欺事件」。これにより大きな興行が流れてしまった(他に「トーマス・ハーンズ vs. ウィルフレド・ベニテス」などが予定されていたが、全てキャンセル)。それならば、といった感じでムハマドはWBC世界ヘビー級王者ラリー・ホームズへの挑戦を希望。しかし、レナルド・スナイプスに2-1で敗北。ヘビー級を諦め、WBA王座の防衛戦。マイケル・スピンクスに判定負けで王座陥落。結果的に「世界王者」としてリングに上がったのはこれが最後に。スピンクス戦後、二連勝でロッテ・ムワーレ戦。
①エディ・ムスタファ・ムハマド 4R KO ロッテ・ムワーレ
(ライトヘビー級戦、1982年)
(ダウンシーン)
4R:左フックでムワーレがダウン
(感想:これまで40勝(33KO)6敗1分のムハマド(29歳)。ムワーレ(28歳)はザンビアの黒人で24勝(20KO)1敗。デビューから連勝でザンビア王座、英連邦王座、アフリカ王座を獲得。しかし、マシュー・サァド・ムハマドのWBC王座への挑戦はKO負け(初黒星)。地元ザンビアで連勝してムハマド戦。ラスベガスでの一戦(リングアナはチャック・ハル、レフェリーはリチャード・グリーン)。パンチにキレがある両者。ムハマドがワンツーからの左フック、左ボディ打ち。しかしながらムワーレはジャブ、ワンツー、左フックに良いものがあるが、手が出ない(特に激しく攻められているわけでもなかったが、消極的な試合ぶり)。4R、ムワーレがワンツー。ムハマドがお返しのワンツー。ムワーレのマウスピースがこれで吹っ飛び、ムワーレが横向きの体勢になったところにムハマドの左フック。これをマトモに食ったムワーレはダウンし、完全KO。「ボクシングの残酷さ」が見られた試合。無防備な体勢になったところに容赦ないパンチ。ディフェンスできない状態でパンチを食らうと大変なダメージ。ムワーレは試合終了後も倒れたままだった。その後、ムワーレは地元ザンビアで活躍。WBCインター王者にもなったが、バージル・ヒルにKO負け。地元では強かったが、アメリカのトップクラスには勝てず。)
その後のムハマド
1983年7月15日に統一世界ライトヘビー級王者マイケル・スピンクスと再戦する予定だったが、計量トラブル。ムハマドがウェイトオーバー。結局、体重を作れず、試合はノンタイトル戦に変更。しかし、そのことによってファイトマネーが大幅に減ることを知ったスピンクスは試合を拒否(リングに上がる4時間前に中止決定)。ムハマドは世界ランク1位だったが、この失態によりWBAとWBCランキングから完全に除外されてしまった。84年にカムバックしたが、その年はその一試合のみ(1RでのKO勝ち)。85年は積極的。中堅どころ、後のIBF世界クルーザー級王者リッキー・パーキーらを相手に連勝。スピンクスが返上したIBF世界L・ヘビー級王座の決定戦に出場。
②スロボタン・カッチャー 15R 判定 エディ・ムスタファ・ムハマド
(IBF世界L・ヘビー級王座決定戦、1985年)
(感想:カッチャーがタイトル獲得。カッチャーはボスニア・ヘルツェゴビナ出身。1980年のモスクワ・オリンピックに「ユーゴスラビア代表」として出場し、ライトヘビー級で金メダル。プロではイタリアを主戦場にこれまで全勝。アメリカ、フランスでも戦ってきており、実力者ジョニー・デービスには判定勝ち。テクニックはありそうだが、パワーはどうか? イタリア・ペーザロでの一戦(レフェリーはジョー・コルテス)。左フックからの右ストレートを出すムハマド。カッチャーはいかにもアマチュアボクシングといった戦い方。ガードを上げてアップライトスタイルからワンツー、左フック。パワーの乗らない打ち方で、連打してはクリンチのパターン。ただし、右ストレートと左ボディ打ちは悪くない。攻めようとするがクリンチされるムハマド。3Rには客席からリングにモノが投げ入れられる(クリンチにイラついた客の仕業か? 他のラウンドでも投げ入れられた)。その後、ムハマドは左フックを当てるシーンもあったが、クリンチが増えていく(スタミナ切れ)。カッチャーは「ジャブ、ストレート」連打&クリンチ。パッとしない展開の中、ムハマドが(思うように動けないイラ立ちからか?)バッティングして減点。15R終了。判定は2-1。カッチャーがクリンチ(本来は反則)作戦で勝利。ムハマドは衰え。パワーでは勝っていたが、上手く攻められず。やるだけ無駄な試合だったような印象も。その後の二人。カッチャーは初防衛戦でボビー・チェズにTKO負け、王座陥落。その後は一勝一敗で引退(ラストファイトはKO負け)。ムハマドはこれで引退したが、88年にカムバック。中堅どころと三試合して引退(ラストファイトはTKO負け)。引退後はトレーナーになり、選手のセコンドにつく姿はTV中継でもおなじみに。ニュージャージー州、ニューヨーク州、ネバダ州の「ボクシング殿堂」入り。2003年にはプロボクサーの組合を設立。ボクサーに健康保険、年金を提供する組織だとか。)