2025年9月11日木曜日

「アルメニアの雄牛」ビック・ダルチニアン③「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界二階級制覇王者。世界王座戦のグレン・ドネア戦、ホセ・ビクトル・ブルゴス戦を紹介します。


ビック・ダルチニアン(アルメニア)

身長166cm:サウスポー


ビック・ダルチニアン 6R 負傷判定 グレン・ドネア

(IBF世界フライ級タイトル戦、2006年)

「アルメニアの雄牛」ビック・ダルチニアン③「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

4R:右ショートでドネアがダウン

(感想:ダルチニアンがタイトル防衛。これまで26連勝(21KO)のダルチニアン。IBF王座の五度目の防衛戦。挑戦者ドネアはあのノニト・ドネアの兄。フィリピンのヘネラル・サントス出身。2000年のシドニー・オリンピックを目指したが、ブライアン・ビロリアに敗れて出場ならず。アメリカでプロデビュー。連勝だったが、判定負けを喫してフィリピンに帰国。WBOアジア王座(フライ級)を獲得後、アメリカに乗り込んだがZ・ゴレスに1RでTKO負け。NABA、NABO王座(フライ級)を同時に獲得した次の試合でダルチニアンに挑戦。16勝(9KO)2敗1分、IBF15位。ランクは低いが、あのノニトの兄。パワーで勝負。ラスベガス「Mandalay Bay Resort & Casino」での一戦(リングアナはジミー・レノン・ジュニア、レフェリーはトニー・ウィークス)。右を使いながら左パンチのダルチニアン。ドネアは接近して右ストレート、フックを出すがパワーを込めすぎで、手数が少な目。共にパワーがあり、フライ級とは思えない緊張感。しかし、ダルチニアン がワンツー、左フックを当てて優勢。4R、斜め下からの大きな左フック後の右ショートでドネアがダウン。その後も右のリードブロー&左パンチでダルチニアン。6R、突然相手に背を向けるドネア。口の中を負傷したらしく、ドクターチェック。試合ストップ。「TKO」と思われたが、負傷判定(3-0)でダルチニアン。残念だったドネア。狙いすぎでせっかくのパワーを活かせない戦い方。共にパワーファイターだが、ダルチニアンがリードパンチを使いながら得意の左強打を当てていったのとは対照的だった。その後のドネア。ブランク。カムバックしてウリセス・ソリスのIBF世界ライトフライ級王座に挑戦して3-0の敗北。世界王者にはなれなかった。)


ビック・ダルチニアン 12R TKO ホセ・ビクトル・ブルゴス

(IBF世界フライ級タイトル戦、2007年)

「アルメニアの雄牛」ビック・ダルチニアン③「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

2R:左ボディでブルゴスがダウン

(感想:ダルチニアンがタイトル防衛。六度目の防衛戦。IBF3位の挑戦者ブルゴスはメキシコ・コパラ出身で、これまで39勝(23KO)14敗3分。身長は156cmで小柄。デビューから連敗。経験を積んでメキシコのローカル王座(フライ級)、メキシコ王座(ライトフライ級)獲得。WBO世界ミニマム級王座に挑戦して3-0の敗北。決定戦でIBF世界ライトフライ級王座獲得。防衛にも成功。ウィル・グリッグスビーに3-0で王座陥落。そこから試合間隔が長くなったが、ダルチニアンに挑戦するチャンス。カリフォルニア州カーソンでの一戦。軽快なフットワークのブルゴス。しかし、パンチは速いが軽めで、フックは大振り。攻撃の正確さに欠ける印象。攻めるダルチニアンも大振りパンチで、大味な試合ぶり。2R、左ボディでブルゴスが片ヒザを着くダウン。その後、ブルゴスはサウスポーにこまめにスイッチしたり、クリンチしたりでしぶとく応戦。7R、滑ってバランスを崩したダルチニアンが連打されてちょっとしたピンチ。その後もパワーでダルチニアンが押す。12R、ブルゴスが攻められたところでレフェリーストップ。思ったよりダメージ深く、ブルゴスは担架で運ばれていった。ダルチニアンが雑な攻めで勝利。ブルゴスはパワー不足(これが最後の試合に)。「勝負」という点では物足りない試合だった。その後のダルチニアン。ブルゴス戦の次の防衛戦でノニト・ドネアに豪快にKOされて王座陥落。ディミトリー・キリロフをKOしてIBF世界スーパフライ級王座奪取、二階級制覇(2008年)。WBA・WBC王者クリスチャン・ミハレスをKOして王座統一。ホルヘ・アルセに勝利で王座防衛。IBF世界バンタム級王座挑戦は判定負けで三階級制覇ならず。アンセルモ・モレノ、山中慎介の世界バンタム級王座への挑戦も失敗。WBA世界フェザー級王座も獲得ならず。パワーはあったが、粗さがあった。)

 

2025年9月10日水曜日

「アルメニアの雄牛」ビック・ダルチニアン②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界二階級制覇王者。世界王者になる前の試合&世界戦。ワンディー・シンワンチャー戦、ディオスダード・ガビ戦ほかを紹介します。


ビック・ダルチニアン(アルメニア)

身長166cm:サウスポー


ビック・ダルチニアン 3R TKO ラン・ソンプラコン

(IBFパンパシフィック・フライ級タイトル戦、2002年)

「アルメニアの雄牛」ビック・ダルチニアン②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

3R:連打でランがスタンディングダウン

(感想:ダルチニアンがタイトル初防衛。デビューから連勝のダルチニアン(26歳)が防衛戦。挑戦者ランはタイ人(タイ人との対戦が目立つダルチニアン。楽に勝てる相手ばかりでなければよいが)。イーグル・デン・ジュンラパン(後のWBC世界ミニマム級王者)に判定負けするなど多くの敗北。タイ王座(フライ級)を獲得したが、日本やインドネシアで連敗中。オーストラリア・ローズヒルでの一戦(ダルチニアンのセコンドにあのジェフ・フェネック)。ランは慎重な男。ブロックしながら左フック、右ストレート。ダルチニアンは右ジャブを使いながら相手のガードを崩そうと左ストレート、フックを打ち込み、時には連打。3R、連打を浴びたランがスタンディングカウント。ドクターが介入して試合終了。ダルチニアンが勢いで勝利。ランは特に弱い選手ではなく、鍛えた感じの身体。攻めの姿勢に欠けていたのが惜しい。その後、ランはタイ王座戦で勝利できたが、日本で連敗、PABAフライ級王座戦でKO負けするなどサッパリ。積極さに欠けているのが原因か?)


ビック・ダルチニアン 4R TKO ワンディー・シンワンチャー

(IBFパンパシフィック・フライ級タイトル戦、2003年)

「アルメニアの雄牛」ビック・ダルチニアン②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

4R:左ストレート、左ボディ、左ボディで3度、ワンディーがダウン

(感想:ダルチニアンがタイトル防衛。挑戦者ワンディーはタイ・ウドーンターニー出身で、これまで39勝(9KO)5敗。日本でロッキー・リンを破ってWBC世界ストロー級暫定王座を獲得したが、王座陥落後は階級アップ。直前の試合はWBFスーパーフライ級王座への挑戦で、3-0の敗北。オーストラリア・シドニーでの一戦。やはり体格差が。トリッキーな動きをしながらダルチニアンが右ジャブ、左ストレートでプレッシャーを掛け、モーション大きめの左フック(いわゆるテレフォンパンチ)。相手の圧力に押されるワンディーは右パンチで反撃するが、単発に終わる。4R、ワンディーが三度ダウンしてレフェリーストップ。ダルチニアンが楽勝。対戦相手がいないのだろうが、勝てる相手とばかりやっても仕方がない。その後のワンディー。再起戦はダルチニアンとのIBF世界フライ級王座挑戦者決定戦で、KO負け。階級を下げて成功。WBC世界ライトフライ級暫定王座を決定戦で獲得(2006年)。王座陥落後はまた階級を上げて勝ったり負けたりになったが、2013年までリングに上がった。) 


ビック・ダルチニアン 8R TKO ディオスダード・ガビ

(IBF世界フライ級タイトル戦、2006年)

「アルメニアの雄牛」ビック・ダルチニアン②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

8R:左ストレートでガビがダウン

(感想:ダルチニアンがタイトル防衛。全勝のままイレーネ・パチェコをTKOしてIBF王者になったダルチニアン。30歳で、これまで24連勝(19KO)。ガビ戦は三度目の防衛戦(ダルチニアンはIBO王者でもある)。挑戦者ガビ(26歳)はフィリピン・ダバオ出身のサウスポーで26勝(19KO)2敗1分。ニックネームは「プリンス」(ナジーム・ハメドと同じ。かなり期待されているのだろう)。アマチュアの大会で優勝経験。プロでは連勝後、サムソン・ダッチボーイジムに判定負けでWBFスーパーフライ級王座奪取ならず、初黒星(初の海外試合(タイ)だった)。WBCアジア王座(スーパーフライ級)も獲得ならず(タイでの試合)。地元では強く、WBCインター王座(フライ級)獲得。直前の試合はアメリカで、負傷判定勝ち。カリフォルニア州サンタ・イネスでの一戦(ダルチニアンのセコンドにジェフ・フェネック。ガビには元ライト級のフレディ・ローチが付く)。共にサウスポー。右ジャブ、左ストレート、右フック、互いにディフェンス。ガビは速いパンチで手数。ダルチニアンは例によって左パンチにゴツいパワー。パンチ力でややダルチニアンが有利。しかし、ガビの左ストレート、右フックにも力強さ。8R、それまでのラウンドと同じような一進一退の中、ダルチニアンの強烈な左ストレート。一発で倒れたガビは立ったが、かなりのダメージ。レフェリーは試合を止めた。ダルチニアンがパワーで勝利。隙を突く、良いパンチだった。ガビは悪い選手ではないが、ダルチニアンのガードを突破するほどの攻めが少な目だった印象。その後のガビ。再起後は階級アップ。連勝だったが、NABOバンタム級王座戦でTKO負け。それが最後の試合となった。)

 

「アルメニアの雄牛」ビック・ダルチニアン①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界二階級制覇王者。世界王者になる前のウィン・ネイションマン戦、パノムデット戦ほかを紹介します。


ビック・ダルチニアン(アルメニア)

身長166cm:サウスポー


ビック・ダルチニアン 3R TKO ウィン・ネイションマン

(スーパーフライ級戦、2002年)

「アルメニアの雄牛」ビック・ダルチニアン①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:左ストレートでウィンがダウン

(感想:ダルチニアンはアルメニアのヴァナゾル出身。オーストラリア国籍でプロ活動。サウスポースタイルで左を荒っぽく振るうファイター(ファン・マルチン・コッジに似ている)。ニックネームは「Raging Bull(怒れる雄牛)」。2000年、アルメニア代表としてシドニーオリンピックに出場(フライ級。メダルは獲得ならず)。同年、オーストラリアに移住してプロデビュー。以来、オーストラリア・フライ級王座を決定戦で獲得するなど連勝中。年齢は25。ウィン(24歳)はタイ・ナコーンパノム出身。日本が主戦場で、内藤大助にTKO負けするなどこれまで勝ち星無し(結局、全敗でキャリア終了)。オーストラリア・シドニーでの一戦。1R、ウィンが単発の左ストレート。ダルチニアンが逆に左ストレートでダウンを奪う。その後、ダルチニアンは右を使いながら左ストレート、フック。斜め下からの左フックに威力。ウィンはショートフックなどで反撃するが、ストレートを打った後にバランスを崩すなどディフェンスに甘さ。3R、破れかぶれな打ち方のウィン。ダルチニアンが攻めたところでレフェリーストップ。ダルチニアンが基本ができていない相手に勝利。できればもっとスッキリとKOして欲しかったところ。) 


ビック・ダルチニアン 2R TKO パノムチャイ・デトリタ

(スーパーフライ級戦、2002年)

「アルメニアの雄牛」ビック・ダルチニアン①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

2R:左カウンターでパノムチャイがダウン

(感想:これまで9連勝(6KO)のダルチニアン。ウィン戦の次の試合は再戦。パノムチャイはタイ人で、13勝(5KO)4敗2分。タイ王座(J・フライ級)を獲得したことがある。来日したときは判定負け。ダルチニアンに6RでTKO負け。シドニーでの一戦(ディナーショー形式らしく、リングの周囲に丸いテーブル)。パノムチャイは平均的なタイ人。ジャブ、右ストレート。パンチにはそれなりに速さがあるが、真っ直ぐ動くクセがある。ダルチニアンはダッキングしながら接近し、得意の左パンチ。2R、強烈な左カウンターでパノムチャイがダウン。レフェリーはカウントを途中で止め、試合終了の合図。ダルチニアンが楽勝。「勝てる相手」だった。その後、パノムチャイはグレン・ドネア(ノニトの兄)と空位のWBOアジア王座(フライ級)を争って判定負けするなど全敗だった。)


ビック・ダルチニアン 4R TKO パノムデット・オーユタナコーン

(IBFパンパシフィック・フライ級王座決定戦、2002年)

「アルメニアの雄牛」ビック・ダルチニアン①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:右フック連打でパノムデットがダウン

2R:連打でパノムデットがダウン

4R:左ストレートでパノムデットがスタンディングダウン

(感想:ダルチニアンがタイトル獲得。連勝のダルチニアンがIBFの地域王座戦。パノムデットはタイ・スリン出身で、これまで14勝(4KO)3敗。1997年、マニー・パッキャオに1RでKOされた過去(東洋太平洋フライ級王座戦)。タイ王座(フライ級)を獲得。数度の来日は全て敗北。シドニーでの一戦。1R、のらりくらりとしたところがあるパノムデット。左ジャブ、右ストレートを出すが、打ち方やバランスがよろしくない。ダルチニアンはパターンを確立。右を使いながら左パンチにパワーを込める。右フック連打でパノムデットがダウン。フックで攻めるダルチニアン。パノムデットはサウスポーにチェンジして左ストレート、右フック。サウスポーの時の方が良いパンチ。しかし、ダルチニアンがディフェンス&パワーで優勢。2R、勢いのある連打でパノムデットがダウン。立ったパノムデット。なかなかのしぶとさ。ワンツー、左ストレートからの右フックなどで反撃。4R、左ストレートでパノムデットがスタンディングダウン。再開後、ダルチニアンのワンツーからの右ジャブが入ったところでレフェリーストップ。ディフェンスと手数でダルチニアン勝利。パノムデットはタイ人らしく一発一発にパワーを込めるため、連打の回転力で負けた。その後のパノムデット。タイ王座戦で勝ったり負けたり。日本でも試合したが、一度も日本では勝てなかった。)

 

2025年9月9日火曜日

「メキシコのケンカ小僧」ホルヘ・アルセ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界五階級制覇王者。世界戦のファニト・ルビリアル戦、シンピウェ・ノンクアイ戦ほかを紹介します。


ホルヘ・アルセ(メキシコ)

身長164cm:オーソドックス(右構え)


ホルヘ・アルセ 12R 判定 ファニト・ルビリアル

(WBC世界ライトフライ級タイトル戦、2004年)

「メキシコのケンカ小僧」ホルヘ・アルセ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:アルセがタイトル防衛。メキシコのロス・モチス出身のアルセ。世界三階級制覇するフェルナンド・モンティエルとは同郷の友人で、一緒にトレーニング。ニックネームは「Travieso(やんちゃ坊主)」。好戦的なスタイルで人気。アマチュアを少し経験し、16歳でプロデビュー。敗北はあったが、WBAの地域王座、NABO王座(いずれもライトフライ級)を獲得。ファン・ドミンゴ・コルドバ(アルゼンチン)を判定で下し、19歳でWBO世界ライトフライ級王者に。しかし、二度目の防衛戦の相手はあのマイケル・カルバハル。11RでのTKOで王座陥落。WBC王座奪取、防衛。これまで26勝(27KO)3敗1分、25歳。挑戦者ルビリアル(27歳)はフィリピン・マティ出身のサウスポーで、33勝(14KO)6敗7分。1994年、デビュー。ポンサクレック・ウォンジョンカムにKO負けで初黒星。日本で二連敗。ポンサクレックとの再戦に判定負け、タイで連敗。WBCインター王座(ミニマム級)獲得、防衛。ゾラニ・ペテロのIBF世界ミニマム級王座に挑戦して3-0の敗北。以来、全勝で、WBCインター王座(ライトフライ級)獲得、防衛。アルセとのWBC世界ライトフライ級暫定王座決定戦で3-0の敗北。正規王者となって防衛を続けるアルセと再戦。メキシコ・ティフアナでの一戦(レフェリーはトビー・ギブソン)。ガードを上げる両者。アルセは打ち方が良く、手数を出していくタイプで、左ジャブ、右ストレート、左フック。ルビリアルは左ストレート狙いで、カウンターを取ろうとする。なかなかガードが固いルビリアル。アルセは左のテクニック(斜め下からのフックなど)、コンビネーション(左ボディからの右ストレートなど)を使うが、相手のガードを崩せず。ただ、ルビリアルは応戦するが受け身の姿勢で、手数で劣る。8Rから変化。攻めるルビリアル、フットワーク&連打で反撃のアルセ。9R、ルビリアルが背後からの攻撃で減点。11R、ルビリアルの左ストレートがヒット。12R、両者もつれ合ってロープ外に転落。12R終了。判定は3-0。アルセが手数&ディフェンスで勝利。しかし、攻められて押され気味になるシーンも。ルビリアルは攻撃を仕掛けるのが遅すぎ。そういう性格なのか、その後も世界挑戦のチャンスを得たが勝てず。地域王座を獲得できたが、負けが込むようになっていった。)


ホルヘ・アルセ 6R TKO トマス・ロハス

(WBCラティノ・バンタム級王座決定戦、2007年)

「メキシコのケンカ小僧」ホルヘ・アルセ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

6R:左ボディでロハスがダウン

(感想:アルセがタイトル獲得。ルビリアル戦後のアルセ。WBC世界フライ級暫定王座獲得、防衛(アルセは「世界五階級制覇王者」とされるが、フライ級は暫定王者だった)。クリスチャン・ミハレスに敗れ、WBC世界スーパーフライ級王座奪取ならず。ロハスと再起戦。ロハスはメキシコ・ベラクルス出身のサウスポー。身長は173cmもある。メキシコ王座(スーパーフライ級)を獲得、防衛したが、クリスチャン・ミハレスに王座を奪われたことがある。直前の試合はパナマでアンセルモ・モレノに判定負け。ラスベガスでの一戦(レフェリーはジョー・コルテス)。ドレッドヘアーのロハスはボクサータイプ。右のガードをやや下げた構えから右ジャブ、シャープな左ストレート、フック連打。パワーはまずまずだが、当てるテクニックがある。アルセは左を使いながら右パンチ、左フックを狙うが、1Rから左ストレートを食う。接近戦。互いに手数。ロハスはディフェンスが巧く、時折パンチを入れる。アルセも右パンチを入れるが、巧くかわされるシーンも。6R、アルセが左フック、左ボディ攻め。ロハスは左右フック乱れ打ちで対抗するが、左ボディ一発でダウン。立ったがボディがかなり効いているらしく、反撃できずに連打されてレフェリーストップ。アルセがボディ打ちで勝利。良い打ち方のうえパワー。基本がしっかりできていることによって得られた勝利。ロハスは動きは良かったが、パワー不足か。しかしその後、WBC世界スーパーフライ級王座獲得。日本でも防衛。王座陥落後、山中慎介のWBC世界バンタム級王座に挑戦してTKO負け、二階級制覇ならず。その後も2022年まで多くの試合に出場した。)


その後のアルセ

ロハス戦の次の試合でメッグン・シンスラット(マニー・パッキャオをKOしてWBC世界フライ級王座を獲得したことがあるタイ人)を左ボディカウンターなどでダウンを奪い、1RでTKO勝ち。WBA世界スーパーフライ級暫定王者ラファエル・コンセプション(パナマ)にTKO勝ちで暫定王座を獲得(2008年)。WBA・WBC・IBF世界スーパーフライ級王者ビック・ダルチニアンに挑戦したが、敗北。ダルチニアンが王座返上。IBF王座の決定戦に出場することに。


シンピウェ・ノンクアイ 12R 判定 ホルヘ・アルセ

(IBF世界スーパーフライ級王座決定戦、2009年)

「メキシコのケンカ小僧」ホルヘ・アルセ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ノンクアイがタイトル獲得。ノンクアイは南アフリカの東ケープ州ボーダーポスト出身の黒人。ニックネームは「Golden Master」(どういう意味なのだろう?)。アマチュアで活躍。プロではデビューから連勝でWBF王者に(スーパーフライ級)。王座を連続防衛。メキシコのロス・モチスでIBF世界スーパーフライ級王座挑戦者決定戦を行い、判定勝ち(相手はアルセの弟フランシスコ・アルセ)。その次の試合が、この決定戦。アルセ兄弟を連破なるか、といったところ。メキシコ・カンクンでの一戦(リングアナはジミー・レノン・ジュニア。アルセのセコンドにナチョ・ベリスタイン)。個性的なスタイルのノンクアイ。髪とヒゲを染め、頭はサッカーボールのよう。試合では距離を取ってジャブ、右ストレート、ディフェンス。なかなか地味な試合ぶりだが、左フックやインサイドからのパンチなどを当てる巧さがある。アルセはいつものように左フックからの右ストレートなどにパワー。しかし、パワーを入れすぎているのか、ブロックされたり、クリンチされたり、細かいパンチを食ったりでしっくりいかない。共に相手以外にも敵が。なぜかリングが濡れており、両者スリップ(特にアルセの方がよくバランスを崩していた)。レフェリーの指示でラウンド中にスタッフがモップやタオルでキャンバスを拭く。結局、 ノンクアイが細かいテクニック&ディフェンスでポイント上、優勢のまま12R終了。判定は3-0。ボクシングは不思議なもの。思いっ切り打ったからといって勝てるわけではないし、パワーがある方が負けることも珍しくない。負けたがアルセは最後まで前進。勝っても負けても自分らしい試合ができれば満足なのかも。その後のノンクアイ。実に意外なことに初防衛戦はドロー。二度目の防衛戦でTKO負け、王座陥落。アルセとWBO世界スーパーバンタム級王座を懸けて再戦したが、TKO負け。その次の試合もTKO負けで引退。アルセとの初戦後は勝ち星無し。パワー不足が原因か?)


ホルヘ・アルセ 10R 引分 ロレンソ・パーラ

(WBO世界スーパーバンタム級王座挑戦者決定戦、2010年)

「メキシコのケンカ小僧」ホルヘ・アルセ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ノンクアイ戦の再起戦がWBO世界スーパーフライ級王座決定戦だったアルセ。これに勝利。しかし、防衛戦を行うことなく、上の階級へ。パーラはベネズエラ・マチケス出身。日本でもおなじみで、元WBA世界フライ級王者。坂田健史との防衛戦で体重を作れず、王座剥奪。しかも、試合に敗北。一気に階級を上げ、WBA世界スーパーバンタム級王者セレスティーノ・カバジェロに挑戦したが、勝てず。このところ二連勝だが、試合間隔がある。メキシコ・クリアカンでの一戦(リングアナはルペ・コントレラス。会場ではフェルナンド・モンティエルが観戦)。共に左のテクニック(ジャブ、フック)、ディフェンス。右ストレート、左ボディ打ちなどで攻めるアルセ。パーラは受け身の姿勢で足を使ったアウトボクシング。右ストレートからの左フックなど良いパンチを持っているが、パワーはあまり感じられない。攻めるアルセ、距離を取るパーラ。7R、パーラがラビットパンチで減点。8R、打ち合いに応じないパーラにアルセが「打ってこい」アピール。10R、パーラがワンツーからの左フック。10R終了。判定はドロー。攻勢点でアルセの勝ちでもよかったと思うが、逃げられるシーンが多かった。パーラは器用だったが、パワー不足。負けずに済んでよかった、といったところ。しかし、アルセとの再戦にKO負け。その後は連敗続きで引退。上の階級では通用しなかった。)


その後のアルセ

ウィルフレド・バスケス・ジュニアをTKOしてWBO世界スーパーバンタム級王座奪取で四階級制覇(2011年)。防衛戦でシンピウェ・ノンクアイにTKOで雪辱。決定戦でWBO世界バンタム級王座獲得、五階級制覇。ノンタイトル戦でロレンソ・パーラにKO勝ち。王座返り咲きを狙ってWBO世界スーパーバンタム級王者ノニト・ドネアに挑戦したが、KO負け。ラストファイトはWBC世界フェザー級王者ジョニー・ゴンサレスへの挑戦で、TKO負け。ゴング前には棒付きキャンディを口にくわえてリングアナにコールされるユーモラスな演出。試合では小さい身体ながらパワーとタフネス。最後まで挑戦する男だった。

 

2025年9月7日日曜日

「メキシコの狼」フェルナンド・モンティエル「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界三階級制覇王者。世界戦のイシドロ・ガルシア戦、ファン・ドミンゴ・コルドバ戦、Z・ゴレス戦を紹介します。


フェルナンド・モンティエル(メキシコ)

身長163cm:オーソドックス(右構え)


フェルナンド・モンティエル 7R TKO イシドロ・ガルシア

(WBO世界フライ級タイトル戦、2000年)

「メキシコの狼」フェルナンド・モンティエル「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

2R:ワンツーでガルシアがダウン

3R:右フックでガルシアがダウン

6R:左フックでガルシアがダウン

7R:右フック、連打で2度、ガルシアがダウン

(感想:モンティエルがタイトル獲得。小柄ながら腕っぷしが強かったモンティエル。メキシコのロス・モチス出身で、ニックネームは「Cochulite(狼)」。「兄弟ボクサー」で、兄アレハンドロは世界ランカー、父もプロボクサーだった(トレーナーとして息子をサポート)。強豪ホルヘ・アルセとは友人で、一緒に練習してきたという(強くなるのが当たり前、といった環境)。16歳でプロデビュー。WBAアメリカ王座(スーパーフライ級)を獲得したり、クルス・カルバハルを破ったりで、これまで無敗。初の世界挑戦。王者ガルシアもメキシコ(ビヤ・ゲレロ出身)。身長160cm。主戦場はアメリカ。デビューから連勝。NABOフライ級王座に挑戦してTKO負け、初黒星。同王座を獲得、連続防衛。決定戦でWBO王者に。モンティエル戦は二度目の防衛戦。メキシコのシウダード・オブレゴンでの一戦。互いにジャブ。右ストレート、左フックにパワーを込めるガルシアだが、狙いすぎの傾向。モンティエルはアップライトな構えからジャブ連打、ストレート、フック。真っ直ぐ攻めるタイプだが、正確に当てていこうとし、ディフェンス(ブロック、バックステップ、首を振ってパンチをかわす小技)もしっかり。2R、ワンツーでガルシアがダウン。3Rには左フックからの右フックでダウン。4R、ガルシアの左フックが当たり、モンティエルは足で距離を取りながらジャブ中心に。6R、左フックが効いたガルシア。左フックでダウン。7R、ジャブ連打からの右フック、連打でガルシアが二度ダウン。セコンドからタオル投入で試合終了。終わってみればモンティエルの圧勝。正確に当てるボクシングだが、パワーを感じるシーンもあった。ガルシアは一発にパワーを入れすぎ。地道に相手を追い込む攻めができないタイプか? 力んだ右ストレート、左フックをかわされるシーンが目立った。その後、ガルシアはWBA世界フライ級王者エリック・モレルに挑戦して3-0の敗北、IBAフライ級王座を決定戦で獲得、WBA世界スーパーフライ級暫定王者ホルヘ・アルセに挑戦してTKO負け。トップには及ばなかった。)


フェルナンド・モンティエル 1R KO ファン・ドミンゴ・コルドバ

(WBO世界フライ級タイトル戦、2001年)

「メキシコの狼」フェルナンド・モンティエル「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:左フックで2度、コルドバがダウン

(感想:モンティエルがタイトル防衛。これまで21勝(16KO)1分のモンティエル。 ガルシアから奪った王座の初防衛戦をドイツで行い、TKO勝ち。二度目の相手コルドバはアルゼンチンのサンチアゴ・デル・エステロ出身で、34勝(19KO)5敗3分。ウンベルト・ゴンザレス、チャッチャイ・サーサクンとの世界戦に敗れた後、メルチョル・コブ・カストロからWBO世界ライトフライ級王座奪取。二度目の防衛戦でホルヘ・アルセに判定負け、王座陥落。ブランク、カムバック二連勝でモンティエルに挑戦。二階級制覇なるか、といったところ。メキシコ・アカプルコでの一戦(レフェリーはロベルト・ラミレス)。ジャブを出すモンティエル。ワンツー、左パンチ(フック、ボディ打ち)。コルドバは相手を警戒しているうえにスピードに乏しく、右ストレートを出してそれっきり。右ストレートからの左フックでコルドバがダウン。立ったが、今度は左ボディからの左フックで二度目。倒れたまま10カウント。モンティエルが楽勝。あまり意味のない試合だった印象。コルドバは動きが鈍かった。これが最後の試合に。)  


その後のモンティエル

WBO世界スーパーフライ級王座もTKO勝ちで獲得し、二階級制覇。ところが二度目の防衛戦でマーク・ジョンソンに2-0で敗れて王座陥落、初黒星。イバン・エルナンデスをKOして王座奪回(2005年)。三階級制覇を狙ってジョニー・ゴンサレスのWBO世界バンタム級王座に挑戦したが、2-1の敗北(2006年)。再起戦はWBO世界スーパーフライ級王座の防衛戦。


フェルナンド・モンティエル 12R 判定 Z・ゴレス

(WBO世界スーパーフライ級タイトル戦、2007年)

「メキシコの狼」フェルナンド・モンティエル「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:モンティエルがタイトル防衛。これまで32勝(24KO)2敗1分のモンティエル。挑戦者ゴレスはフィリピン・ナシピット出身のサウスポー。本名は「ZC Oliveros Gorres」で、ニックネームは「The Dream」(「期待の星」ということか?)。2001年にデビューで、25勝(12KO)1敗1分。フィリピン王座(フライ級)への挑戦はTKO負けに終わったが、そこから連勝で東洋太平洋王座(スーパーフライ級)を決定戦で獲得。フィリピン・セブでの一戦(モンティエルのセコンドに父マヌエルら家族総出でサポート。会場ではマニー・パッキャオが観戦)。ゴレスはなかなか良い選手。足でリズムを取って右ジャブ、ワンツー、フック。「フィリピンのサウスポー」には大振りのフックを振り回すイメージがあるが、ゴレスはそうではないスタイリッシュなタイプ。モンティエルは左を使いながら右パンチを狙うが、真っ直ぐ攻めるクセは昔から変わらない。互いにディフェンス。2R、ゴレスが攻め、バッティングでモンティエルが被害。その後も一進一退。ゴレスが右ボディからの右アッパー。モンティエルはワンツー、左フック。互いのパンチが時折ヒット。終盤はモンティエル。左フックを当て、その流れで右ストレートをヒットさせる。10R、連打が効いたゴレス。倒れまいと必死にクリンチするが、減点。12Rにはホールドで減点。12R終了。共にセコンドにかつがれて自身の勝利をアピール。判定は僅差の2-1。終盤にキャリアの差が出た試合。モンティエルが左フック&ディフェンスで勝利。ただ、左目が腫れるなど苦しい試合だった。ゴレスは正統派。最後に底力の差を見せつけられて敗れた。その後のゴレス。IBFインターコンティネンタル王座獲得(スーパーフライ級)、実力者ビック・ダルチニアンとドローといった活躍はあったが、二度目の世界戦は無かった(なぜ?)。)


その後のモンティエル

WBO世界スーパーフライ級王座をさらに防衛後、決定戦でWBO世界バンタム級暫定王座獲得。正規王者ジェリー・ペニャロサが王座を返上したことによって正規王者に格上げ。1RでのTKOで初防衛に成功し、来日。WBC王者長谷川穂積を猛烈な連打でTKOしてWBC・WBO世界バンタム級王座統一(2010年)。しかし、世界は広い。ノニト・ドネアに2RでTKO負けし、世界バンタム級王座陥落。以後も多くの試合。IBF世界フェザー級王者リー・セルビーに3-0で判定負けを喫し、四階級制覇ならず。小柄だったが、海外でもKO勝ちする本物の王者だった。

 

2025年9月6日土曜日

「ハワイの強打者」ブライアン・ビロリア「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界ライトフライ、フライ級王者。世界王者になる前のレオナルド・グチェレス戦、ファン・アルフォンソ・ケブ・バース戦を紹介します。


ブライアン・ビロリア(アメリカ、ハワイ)

身長163cm:オーソドックス(右構え)


ブライアン・ビロリア 4R TKO レオナルド・グチェレス

(スーパーフライ級戦、2002年)

「ハワイの強打者」ブライアン・ビロリア「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

3R:右カウンターでグチェレスがダウン

4R:ワンツー、左ボディで2度、グチェレスがダウン

(感想:ハワイ・ホノルル出身のビロリア。ニックネームはその強打から「The Hawaiian Punch」。9歳でボクシングを始め、シドニーオリンピック(2000年)にはライトフライ級で出場(メダル獲得はならず)。プロ入り後はこれまで5連勝(3KO)。グチェレスはメキシカン。勝ったり負けたりのベテラン。ローカル王座(フライ級)獲得、ホルヘ・アルセに判定負け、アレハンドロ・モンティエルに判定負け(WBC米大陸フライ級王座戦)、ダニー・ロメロにKO負け、ジョニー・ブレダルにデンマークで判定負け。このところ負けが込んでいるが、経験は充分。ニューヨークでの一戦。背は低いが、よく鍛えられたガッチリした身体のビロリア。1R開始早々、「グローブを合わせる挨拶」を無視してフック攻撃。足でリズムを取ってディフェンスしながら左のテクニック、右ストレートからの左ジャブ、ワンツー、ボディ打ち。力んでいるが、コンビネーション主体の攻め。グチェレス(コチラも背は低いが、ガッチリした身体)はワンツー、左フックを出すが、残念ながら動きのスピードとパンチのキレに欠ける。2R、左パンチで目を痛めるグチェレス。ビロリアは右パンチを被弾。3R、右カウンターでグチェレスがダウン。4R、右ストレート連打からのワンツーでグチェレスがダウン。立ったが、左ボディで二度目のダウン。ダメージ深いと見て、レフェリーは試合を止めた。なかなかの馬力のビロリア。多少打たれたが、タフネスでカバー。グチェレスはスピードの無さで敗北。これが事実上のラストファイトに。数年後にカムバックして1RでTKO負けだった。)


ブライアン・ビロリア 12R 判定 ファン・アルフォンソ・ケブ・バース

(北米フライ級タイトル戦、2004年)

「ハワイの強打者」ブライアン・ビロリア「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

8R:左フック、右ストレートで2度、バースがダウン

(感想:ビロリアがタイトル防衛。グチェレス戦後も好調のビロリア(23歳)。一つノーコンテスト試合があったが、WBCユース王座、北米王座(いずれもフライ級)を獲得、防衛してきた。挑戦者バース(33歳)はメキシコ・メリダ出身で、これまで30勝(20KO)9敗2分。メキシコのローカル王座(ライトフライ級)を獲得できたが、メキシコ王座、WBC米大陸王座(いずれもライトフライ級)は獲得ならず。WBCの地域王座(ライトフライ級)を獲得後、ケルミン・グアルディアのWBO世界ミニマム級王座に挑戦して判定負け。ホセ・アントニオ・アギーレのWBC世界ミニマム級王座への挑戦はTKO負け。以来、ウリセス・ソリスにTKO負けするなど勝ち星無し。コネチカット州アンカスビルでの一戦。開始から攻めるビロリア。早いジャブ、ワンツー、フック連打。バースはビロリアよりも小さいが、ガッチリした身体。ガードを上げて応戦。左フックからの右ストレート、ボディ連打に強さがあるが、相手の勢いに受け身の姿勢。ビロリアがコンビネーションで先手を取る展開。また、ビロリアはインサイドから右フックを当てるなど腕力だけの選手ではないところも披露。8R、強烈な左フックでバースがダウン。立ったが、追い込まれて右ストレートで二度目。KOを狙って攻めるビロリアだが、終盤はジャブ中心の受け身な試合ぶり(コブシを痛めたか?)。バースは攻めるが、ブロックされてしまう。12R終了。判定は3-0(三者とも「119-107」)。8Rまで勢いがあったビロリア。その後、失速したが、全体的に力強い攻め&正確な強打。バースはタフでパンチもあったが、8Rに強烈なダウンを食った。KOされなかったのを讃えるべきか。しかしその後、バースはエリック・モレル、グレン・ドネアらを相手に多くの敗北。)


その後のビロリア

エリック・オルティスを何と1RでKOしてWBC世界ライトフライ級王座奪取(2005年)。しかし、二度目の防衛戦で判定負け、王座陥落&初黒星。ウリセス・ソリスを11RでKOしてIBF世界ライトフライ級王座奪取(2009年)。しかし、またしても二度目の防衛戦で王座陥落。フリオ・セサール・ミランダに3-0でWBO世界フライ級王座奪取(2011年)。WBA王者エルナン・マルケスとの統一戦でTKO勝ちし、WBO・WBA王座統一(2012年)。しかし次の防衛戦でファン・フランシスコ・エストラーダに敗北。その後はローマン・ゴンザレスに敗北し、王座返り咲きならず。パワフルでエキサイティングな選手だったが、当時は実力者が競い合うハードな時代だった。

 

2025年9月4日木曜日

「指揮者と呼ばれた男」ミゲル・カント「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

WBC世界フライ級王者。世界王座防衛戦の大熊正二戦(三戦目)、ファコムロン・ビボンチャイ戦、朴賛希戦(初戦)を紹介します。


ミゲル・カント(メキシコ)

身長152cm:オーソドックス(右構え)


ミゲル・カント 15R 判定 大熊正二

(WBC世界フライ級タイトル戦、1978年)

「指揮者と呼ばれた男」ミゲル・カント「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:カントがタイトル防衛。「El Maestro(指揮者、師匠を意味する)」と呼ばれたメキシカン、カント(日本では「教授」と呼ばれた)。優秀な選手であるが他のメキシカンとは違い、KOを狙うタイプではない(ただし、相手をKOできるだけのパワーはある)。デビュー戦に敗北。その後も敗北と引き分けを経験するが、コツをつかんだか、連勝。メキシコ・フライ級王座獲得。ベツリオ・ゴンザレス(ベネズエラ)と空位のWBC世界フライ級王座を争ったが、2-0で判定負け。二度目の世界挑戦でサウスポーの小熊正二を破り、WBC世界フライ級王座獲得。以来、ベツリオ・ゴンザレスに雪辱したり、高田次郎、花形進、触沢公男、小熊ら日本勢を相手に防衛したり。12度目の防衛戦の相手は名前を「小熊」から「大熊」に変えた大熊正二(「新日本木村」所属)。大熊はカントに王座を奪われた後、アルフォンソ・ロペス(パナマ)のWBA世界フライ級王座に挑戦したが、2-0で敗北。触沢公男にはKO負け。再起二連勝でカントに挑戦して、2-1の敗北。そして、「世界2位」としてダイレクト・リマッチ。両国国技館での一戦(三度目の対戦)。左右の構えは違うが、互いにディフェンスしながらジャブ、ワンツー、ボディ打ち、隙を狙う攻撃。共にテクニシャンタイプだが、時折パワーの乗ったパンチを披露。微妙に「当てるテクニック」でカント。大熊が打ち終わった後や前進する際に右ストレート、左フック、カウンターをヒットさせる。15R終了。小差の3-0。カントがテクニックで勝利。しかし、いざというときはパワーもあった。大熊は力強いシーンもあったが、相手に合わせてテクニック合戦。もっと相手を引っかき回すような戦いをすべきだったと思うが、相手のペースで試合。いつの間にかテクニックの勝負に持ち込むのがカントが「指揮者」と呼ばれる所以か?)


ミゲル・カント 15R 判定 ファコムロン・ビボンチャイ

(WBC世界フライ級タイトル戦、1978年)

「指揮者と呼ばれた男」ミゲル・カント「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:カントがタイトル防衛。これまで54勝(14KO)4敗3分のカントが13度目の防衛戦。挑戦者ファコムロンはタイ人。記録が抜け落ちているのか、試合数が少ない。このところ三連勝中だが、世界挑戦できるほどの実績が見当たらない「謎の男」(井岡弘樹とWBC世界ストロー級初代王座を争ったマイ・トンブリファームみたいなものか?)。テキサス州ヒューストンでの一戦。身長差。スラリとしたファコムロンがアップライトな構えから左ジャブ。しかし、手数が極端に少ない。ただ、右ストレートからの左フックに良さがある(ポーン・キングピッチのようなタイプ)。小柄なカントは左ジャブ、そして踏み込んで左フック。左フックからの右ストレートといったコンビネーションも使うが、相手との身長差にやりにくそうな雰囲気。手数が少ないファコムロン。11Rに左フックをマトモに食ってダウン寸前。その後、ショートフック、ボディ打ちで攻めるが、カントはディフェンス、カウンター、左フック。15R終了。判定は2-1。カントが左フックを当てる巧さで勝利。ファコムロンは慎重すぎ。(前に出る姿勢を評価したジャッジもいたが)もっと早いラウンドから攻めるべきだった。その後のファコムロン。タイ王座(バンタム級)に挑戦してKO負け、日本で小林光二にKO負けして引退。最後まで「謎の男」だった印象。)


朴賛希 15R 判定 ミゲル・カント

(WBC世界フライ級タイトル戦、1979年)

「指揮者と呼ばれた男」ミゲル・カント「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:朴がタイトル獲得。同じメキシコの強打者アントニオ・アベラル(後、WBC王者に)を3-0で下して14度目の防衛に成功したカント。15度目の相手は韓国人。朴は韓国プサン出身。無敗だが、これまでの試合は全て韓国。「プロとしての経験」という点ではどうか? プサンでの一戦。ゴング前、両選手に花輪の贈呈。ゴング。忙しく上体を動かしながらシャープなジャブ、左フックを振るう朴。カントもリズミカルに足を使いながらジャブ、左フック。実に積極的な朴。右ストレートからの左フックなどを力強く打ち、打たれても反撃してラッシュをかける。カントもまた強い。パンチにはキレがあり、右ストレート、左フック、突き上げるフックにパワー&迫力(カントはウェルター級のピピノ・クエバスに戦い方、パンチの打ち方が似ている。同じ人の指導を受けたのかも)。互いに強さを見せるが、攻めの勢いは朴。15R終了。判定は3-0。一人は僅差。大差をつけたジャッジも。ついに陥落のカント。決して衰えてはいなかった。相手がより頑張った結果。再戦が行われ、ドロー。カントはその後もリングに上がったが、結果的にそれが最後の世界戦に。朴は王座を順調に防衛後、ソウルで大熊正二にKO負けで王座陥落。二度、大熊に日本で挑戦したが、いずれも僅差の判定負け。カントも朴も王座陥落後、返り咲きならず。)