2025年4月7日月曜日

「ブルックリンのL・ヘビー級」エディ・ムスタファ・ムハマド②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

WBA世界L・ヘビー級王者。ロッテ・ムワーレ戦、スロボタン・カッチャー戦(IBF王座戦)を紹介します。


エディ・ムスタファ・ムハマド(アメリカ)

身長183cm:オーソドックス(右構え)


ジェリー・マーチン戦後のムハマド

マーチンをKOしてWBA王座の初防衛に成功した後、ルディ・クープマンズ(オランダ)をTKOして二度目の防衛に成功。しかし、ここから運命が大きく変わる。WBC王者マシュー・サァド・ムハマドと統一戦を行う予定だったが、有名な「ハロルド・スミス詐欺事件」。これにより大きな興行が流れてしまった(他に「トーマス・ハーンズ vs. ウィルフレド・ベニテス」などが予定されていたが、全てキャンセル)。それならば、といった感じでムハマドはWBC世界ヘビー級王者ラリー・ホームズへの挑戦を希望。しかし、レナルド・スナイプスに2-1で敗北。ヘビー級を諦め、WBA王座の防衛戦。マイケル・スピンクスに判定負けで王座陥落。結果的に「世界王者」としてリングに上がったのはこれが最後に。スピンクス戦後、二連勝でロッテ・ムワーレ戦。 


エディ・ムスタファ・ムハマド 4R KO ロッテ・ムワーレ

(ライトヘビー級戦、1982年)

「ブルックリンのL・ヘビー級」エディ・ムスタファ・ムハマド②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

4R:左フックでムワーレがダウン

(感想:これまで40勝(33KO)6敗1分のムハマド(29歳)。ムワーレ(28歳)はザンビアの黒人で24勝(20KO)1敗。デビューから連勝でザンビア王座、英連邦王座、アフリカ王座を獲得。しかし、マシュー・サァド・ムハマドのWBC王座への挑戦はKO負け(初黒星)。地元ザンビアで連勝してムハマド戦。ラスベガスでの一戦(リングアナはチャック・ハル、レフェリーはリチャード・グリーン)。パンチにキレがある両者。ムハマドがワンツーからの左フック、左ボディ打ち。しかしながらムワーレはジャブ、ワンツー、左フックに良いものがあるが、手が出ない(特に激しく攻められているわけでもなかったが、消極的な試合ぶり)。4R、ムワーレがワンツー。ムハマドがお返しのワンツー。ムワーレのマウスピースがこれで吹っ飛び、ムワーレが横向きの体勢になったところにムハマドの左フック。これをマトモに食ったムワーレはダウンし、完全KO。「ボクシングの残酷さ」が見られた試合。無防備な体勢になったところに容赦ないパンチ。ディフェンスできない状態でパンチを食らうと大変なダメージ。ムワーレは試合終了後も倒れたままだった。その後、ムワーレは地元ザンビアで活躍。WBCインター王者にもなったが、バージル・ヒルにKO負け。地元では強かったが、アメリカのトップクラスには勝てず。)


その後のムハマド

1983年7月15日に統一世界ライトヘビー級王者マイケル・スピンクスと再戦する予定だったが、計量トラブル。ムハマドがウェイトオーバー。結局、体重を作れず、試合はノンタイトル戦に変更。しかし、そのことによってファイトマネーが大幅に減ることを知ったスピンクスは試合を拒否(リングに上がる4時間前に中止決定)。ムハマドは世界ランク1位だったが、この失態によりWBAとWBCランキングから完全に除外されてしまった。84年にカムバックしたが、その年はその一試合のみ(1RでのKO勝ち)。85年は積極的。中堅どころ、後のIBF世界クルーザー級王者リッキー・パーキーらを相手に連勝。スピンクスが返上したIBF世界L・ヘビー級王座の決定戦に出場。


スロボタン・カッチャー 15R 判定 エディ・ムスタファ・ムハマド

(IBF世界L・ヘビー級王座決定戦、1985年)

「ブルックリンのL・ヘビー級」エディ・ムスタファ・ムハマド②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:カッチャーがタイトル獲得。カッチャーはボスニア・ヘルツェゴビナ出身。1980年のモスクワ・オリンピックに「ユーゴスラビア代表」として出場し、ライトヘビー級で金メダル。プロではイタリアを主戦場にこれまで全勝。アメリカ、フランスでも戦ってきており、実力者ジョニー・デービスには判定勝ち。テクニックはありそうだが、パワーはどうか? イタリア・ペーザロでの一戦(レフェリーはジョー・コルテス)。左フックからの右ストレートを出すムハマド。カッチャーはいかにもアマチュアボクシングといった戦い方。ガードを上げてアップライトスタイルからワンツー、左フック。パワーの乗らない打ち方で、連打してはクリンチのパターン。ただし、右ストレートと左ボディ打ちは悪くない。攻めようとするがクリンチされるムハマド。3Rには客席からリングにモノが投げ入れられる(クリンチにイラついた客の仕業か? 他のラウンドでも投げ入れられた)。その後、ムハマドは左フックを当てるシーンもあったが、クリンチが増えていく(スタミナ切れ)。カッチャーは「ジャブ、ストレート」連打&クリンチ。パッとしない展開の中、ムハマドが(思うように動けないイラ立ちからか?)バッティングして減点。15R終了。判定は2-1。カッチャーがクリンチ(本来は反則)作戦で勝利。ムハマドは衰え。パワーでは勝っていたが、上手く攻められず。やるだけ無駄な試合だったような印象も。その後の二人。カッチャーは初防衛戦でボビー・チェズにTKO負け、王座陥落。その後は一勝一敗で引退(ラストファイトはKO負け)。ムハマドはこれで引退したが、88年にカムバック。中堅どころと三試合して引退(ラストファイトはTKO負け)。引退後はトレーナーになり、選手のセコンドにつく姿はTV中継でもおなじみに。ニュージャージー州、ニューヨーク州、ネバダ州の「ボクシング殿堂」入り。2003年にはプロボクサーの組合を設立。ボクサーに健康保険、年金を提供する組織だとか。) 

「ブルックリンのL・ヘビー級」エディ・ムスタファ・ムハマド①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

WBA世界L・ヘビー級王者。マリオ・ローサ戦、デイブ・リー・ロイスター戦、ジェリー・マーチン戦を紹介します。


エディ・ムスタファ・ムハマド(アメリカ)

身長183cm:オーソドックス(右構え)


エディ・グレゴリー 8R KO マリオ・ローサ

(ミドル級戦、1974年)

「ブルックリンのL・ヘビー級」エディ・ムスタファ・ムハマド①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

6R:左ストレートでグレゴリーがダウン

7R:左フックでグレゴリーがダウン

8R:右フックでローサがダウン

(感想:「エディ・ムスタファ・ムハマド」というのは改名後の名。本名は「エディ・グレゴリー」。ニューヨーク・ブルックリン出身の黒人で、イスラム教徒(改名したのは世界王者になった後)。アマチュア時代はニューヨークの大会で優勝するなどの活躍。1972年にプロ入り。連勝だったが、ラダメス・カブレラ(プエルトリコ)にダウンを喫して判定負け(初黒星)。そこからユージン・ハートらに連勝。ローサはニュージャージー州の黒人サウスポーで、国籍はプエルトリコ。ボビー・ワッツ(後、マービン・ハグラーに勝利)に2-1で敗れたことがあるが、戦績はまずまず。ニューヨークでの一戦。正統派のグレゴリー。ダッキングしながらジャブ、ワンツー、接近して左右フック。打ち方は良いが、攻めるときのディフェンスに甘さがある印象。ローサはリズミカルなフットワーク&右ジャブでポイント狙い。時折左ストレートをカウンターでヒットさせる。6R、連打からの左ストレートでグレゴリーがダウン。立ったが、ラウンド終了間際にも連打を浴びる。7R、今度は左フックでダウン。8R、攻めるローサにグレゴリーは右ストレートで応戦。その右パンチが効いたローサ。攻めるグレゴリー。右フックでローサがうつぶせにダウン。立てず、KO。グレゴリーが逆転勝利。真っ直ぐ攻めるクセを突かれてダウンを喫したが、パンチは正確で強かった。ローサは正直なところ魅力に乏しい戦い方。ミドル級で「ポイント狙いのボクシング」は迫力不足。その後、ローサはエディ・デービス、カルロス・デ・レオンらに敗北。階級を上げたことにより苦戦が続いて引退。)


その後のグレゴリー

中堅相手に連勝。実力者ベニー・ブリスコに2-1で敗北。そこから連勝。後のWBC世界ライトヘビー級王者マシュー・フランクリン(マシュー・サァド・モハマド)に2-1で勝利。しかし、ビクトル・ガリンデスのWBA世界ライトヘビー級王座への挑戦は3-0で王座奪取ならず。連勝後、実力者ジェームス・スコットに3-0で敗北(78年、最後の試合。10月)。


エディ・グレゴリー 5R KO デイブ・リー・ロイスター

(ライトヘビー級戦、1979年)

「ブルックリンのL・ヘビー級」エディ・ムスタファ・ムハマド①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

4R:左フックでロイスターがダウン

5R:右ボディ、右ストレート、左ボディで3度、ロイスターがダウン

(感想:ジェームス・スコット戦後、二連勝のグレゴリー(負けても諦めず、現役続行)。ロイスターはフロリダ州の黒人。1972年のデビュー戦は判定負け。ジェームス・スコットとドロー。このところマシュー・フランクリン、ロッテ・ムワーレらを相手に連敗中。アトランチックシティでの一戦(リングアナはエド・デリアン、レフェリーはラリー・ハザード)。身長で上のグレゴリー。ワンツー、フック、左ボディ打ち。正確な左パンチを多用。ロイスターは豪快なフックを振るう男。相手から距離を取りながらジャブ、右ストレート、大きなフック。当たったら一発でKOになりそうな迫力のあるパンチだが、パワーを込める分、打ち終わった後のディフェンス、バランスに問題が。接近戦。パワフルなロイスター。グレゴリーは左ボディなど隙を突く攻撃。4R、グレゴリーが左フックからの右ストレート。これが効いたロイスターは劣勢になり、左フックでダウン。5Rには右ボディでダウン。強打で反撃するロイスターだが、さらに二度のダウンでKO。グレゴリーが正確な攻撃&ディフェンスで勝利。ただ、強打を食うなど危ないシーンも。ロイスターはプロらしいパンチを持った強い選手。しかしその後、ロイスターはマービン・ジョンソン、ジェームス・スコット(再戦)に敗れるなどさらに多くの敗北。パワフルだが、ディフェンスに問題。個人的にはそういう選手がいてもいいと思うが、実力がありながら負けが多いキャリアになったのは残念。)


その後のグレゴリー

ロイスター戦後、連勝で二度目の世界挑戦(80年、初試合。3月)。ターゲットはWBA世界L・ヘビー級王者マービン・ジョンソン。インディアナ州インディアナポリス出身の黒人サウスポー。アマチュアで優秀な成績。1972年のミュンヘン・オリンピックではミドル級で銅メダル。プロ入り後は連勝だったが、マシュー・フランクリンとの北米L・ヘビー級王座決定戦でKO 負け(1977年)。ロッテ・ムワーレに判定負け。マーテ・パルロフ(ユーゴ)をTKOで下してWBC世界L・ヘビー級王座獲得。しかし、初防衛戦でマシュー・フランクリンにまたしてもKO負け。ビクトル・ガリンデスをKOしてWBA世界L・ヘビー級王座獲得。グレゴリーを下して初防衛なるか、といったところだったが、TKOでグレゴリーが新王者に。勝ったグレゴリーは「エディ・ムスタファ・ムハマド」に改名。ジェリー・マーチンと初防衛戦。


エディ・ムスタファ・ムハマド 10R TKO ジェリー・マーチン

(WBA世界L・ヘビー級タイトル戦、1980年)

「ブルックリンのL・ヘビー級」エディ・ムスタファ・ムハマド①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

4R:連打でマーチンがダウン

10R:右カウンターでマーチンがダウン

(感想:ムハマドがタイトル初防衛。これまで35勝(30KO)5敗1分の王者ムハマド。挑戦者マーチンはカリブ海の島国アンティグア・バーブーダのボランズ出身の黒人。ニックネームは「The Bull」。主戦場はアメリカ。なかなか優秀な選手で19勝(12KO)1敗。北米王座、全米王座を獲得し、残すターゲットは世界王座のみ。直前の試合は実力者ジェームス・スコットに3-0で勝利。ニュージャージー州マカフィーでの一戦(レフェリーはトニー・ペレス。会場では世界王者になる前のトーマス・ハーンズ(WBA世界ウェルター級2位)が観戦)。互いにジャブ、右ストレート。前に出るマーチン、王者らしく応戦するムハマド。共に動きはそれほど速くはないが、パンチは速い。ジャブが中心のマーチンだが、接近戦ではクリンチされてしまう。ムハマドは左ボディ打ちなど隙を突く攻撃、ワンツー。ジャブを打ち合う比較的静かな展開。4R、右ストレートが効いたマーチン。ラウンド終了間際、ムハマドのワンツー、フックが次々にヒットしてロープ際でダウン。「試合終了」と思ったムハマド陣営は盛り上がったが、これは早とちり。5R、ムハマドが左フックからの右ストレート。マーチンはフックで反撃するが、目に見えて勢いが落ちた動き。その後も自分のペースで試合を進めるムハマド。10R、右カウンターでマーチンがダウン。立ったが、連打を浴びてレフェリーストップ。ムハマドが正確なパンチで相手を弱らせる老獪な試合運びで勝利。もっと勢い良く攻めてもよかったようにも見えたが、じっくりと試合を進めた。マーチンは一発のパンチは悪くはなかったが、「攻める激しさ」に欠けていた。その後、マーチンはマシュー・サァド・ムハマド、ドワイト・ムハマド・カウィのWBC世界L・ヘビー級王座に挑戦したが、いずれもTKO負け。ジョニー・デービス、プリンス・ママ・モハマッドに敗れて引退。世界王者になってもおかしくないパンチを持っていたが、世界王座にはついに手が届かなかった。)

 

2025年4月5日土曜日

「英国の番狂わせ男」ロイド・ハニガン③「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界ウェルター級王者。世界王座陥落後の試合。デルフィーノ・マリン戦、ジョン・ウェルターズ戦ほかを紹介します。


ロイド・ハニガン(イギリス)

身長173cm:オーソドックス(右構え)

  

ロイド・ハニガン 10R 判定 デルフィーノ・マリン

(J・ミドル級戦、1989年)

「英国の番狂わせ男」ロイド・ハニガン③「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:マーロン・スターリングにWBC世界ウェルター級王座を奪われたハニガン。アメリカで再起戦。マリンはフロリダ州の選手。デビューから連勝でフロリダ州王座(ウェルター級)獲得。しかし、その次の試合に判定負けで初黒星。勝ったり負けたりに。フロリダ州タンパでの一戦。リズミカルなハニガン。ジャブ連打、斜め下からの右フック、力強いコンビネーション(ワンツーからの左フック、ほか)、ボディ打ち。マリンはタフで、パンチを正確に当てる巧さ。接近戦では互いのパンチがヒット。手数&パワーでポイント上、ハニガン優勢。しかし、マリンは攻められても打ち返す。打ち合いが続き、10R終了。判定は3-0。マリンがよく頑張った試合。前世界王者相手に最後まで攻め続けた(ハニガンが最終ラウンド終了時に相手の健闘を讃えたほど)。しかしながら、マリン。その後はよろしくない。次の試合で後の世界王者クリサント・エスパニャにTKO負け。以降、ジェームズ・マクガートらを相手に多くの敗北。通算戦績14勝(7KO)32敗。)


ロイド・ハニガン 1R TKO ジョン・ウェルターズ

(J・ミドル級戦、1991年)

「英国の番狂わせ男」ロイド・ハニガン③「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:右ストレートでウェルターズがダウン

(感想:マリン戦の次の試合でマーク・ブリーランドのWBA世界ウェルター級王座に挑戦したハニガンだが、3RでのTKOで惨敗(かつてWBAベルトをゴミ箱に捨てるパフォーマンスをやったハニガン。今回、そのことを謝罪して挑戦)。90年はそれが唯一の試合に。91年1月にカムバックしてTKO勝ち。ウェルターズ戦は再起二戦目。ウェルターズはコロラド州の白人。中堅どころと試合してきたキャリア。コロラド州王座戦(J・ミドル級)で判定負け。このところ連勝中。英国バジルドンでの一戦。丸っこい身体になったハニガン。右ストレート、大きな左フックを振るい、接近して左右フック。豪快なボクシング、パワーは以前と変わらない。ウェルターズはフットワーク、ジャブ、右ストレート。距離を取って戦おうとするが、ハニガンに接近される。ジャブからの右ストレートでウェルターズがダウン。立ったが、レフェリーに止められた。ハニガンがパワーで勝利。二線級にはまだまだ強い。ウェルターズは右ストレートに良さがあったが、攻められて受け身の試合になってしまった。その後のウェルターズ。二連敗で引退。最後の相手はパット・ローラー(古豪ウィルフレド・ベニテス、ロベルト・デュランに連勝)だった。)


ロイド・ハニガン 3R TKO ミッキー・ダンカン

(ミドル級戦、1992年)

「英国の番狂わせ男」ロイド・ハニガン③「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

2R:右ストレートでダンカンがダウン

(感想:ダンカンは英国ニューカッスル出身の白人。デビュー以来、勝ったり負けたり。このところ判定で二連勝中。英国ケンジントンでの一戦(レフェリーはラリー・オコーネル)。正統派のダンカン。ガードを固め、ジャブ、ワンツー。ハニガンは好戦的で、右ストレート、斜め下からのフック。ダンカンの攻撃をディフェンス。2R、右ストレートでダンカンがダウン。ラウンド終了直前に左フックを食って足に来たダンカンはこのラウンド終了後に棄権。ハニガンがパワーで快勝。中堅にはまだまだ負けない。その後の二人。ダンカンは連敗で引退。ハニガンは英連邦J・ミドル級王座を獲得したが、アトランチックシティで ビニー・パジェンサにTKO負け。英連邦王座戦での勝利後、TKO負けで引退。結果的にマーク・ブリーランド戦が最後の世界戦に。引退後は何かとトラブル。1995年9月、「フランク・ブルーノ vs. オリバー・マッコール」のWBC世界ヘビー級王座戦で友人ブルーノではなくマッコール陣営としてリングに上がって批判された。引退前から音楽ビジネスに携わっていたが1994年に破産宣告を受け、1997年に破産から免責された。ボクシングのプロモートもやってみたが、資金繰りに苦労してプロモーターのライセンスを放棄。引退後は体重が増え、心臓発作に。さらに交通事故。今では不自由な体になっているという。) 

「英国の番狂わせ男」ロイド・ハニガン②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界ウェルター級王者。世界王座戦。モーリス・ブロッカー戦、ホルヘ・バカ戦(再戦)、鄭栄吉戦を紹介します。


ロイド・ハニガン(イギリス)

身長173cm:オーソドックス(右構え)


ロイド・ハニガン 12R 判定 モーリス・ブロッカー

(WBC・IBF世界ウェルター級タイトル戦、1987年)

「英国の番狂わせ男」ロイド・ハニガン②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ハニガンがタイトル防衛。シルベスター・ミッティを下して欧州、英連邦、英国ウェルター級王座を統一したハニガン。「欧州ナンバーワン」として当時連勝中だったドナルド・カリーの世界ウェルター級王座に挑戦。カリーは無敵のミドル級マービン・ハグラーに挑戦する話もあったほど期待されていたが、ハニガンがカリーを棄権に追い込んで勝利(大番狂わせ)。カリーは試合前、ハニガンを「Raggamuffin(ボロボロな姿の男)」呼ばわり。しかし、ハニガンはそれが気に入って、以後、ニックネームに(「ぼろぼろの男」とはハニガンの出身国ジャマイカでは「ストリートのタフガイ」を意味するそうだ)。WBA・WBC・IBFの三つの王座を一気に手に入れたが、トラブル。WBAが南アフリカのハロルド・ボルブレッチとの王座防衛戦を命じたが、ハニガンは南アフリカのアパルトヘイトを強く嫌悪。試合を拒否してWBA王座を返上(1986年12月)。さらにWBAベルトをゴミ箱に捨てるパフォーマンス(タブロイド紙のカメラマンにそそのかされてやったそうだ)。ベルトをゴミ箱に捨てるのは「王座への敬意を欠く行為」だと批判され、ハニガンは反省。初防衛戦の相手は元WBA世界J・ウェルター級王者ジョニー・バンフス。2RでのTKOでハニガン勝利(このところ好戦的なハニガン。なぜファイタータイプになったのかと聞かれ、「この業界には残業代が無いから」と答えたという。「どうせ同じファイトマネーなら試合を早く終わらせた方がいい」の意)。そしてブロッカーと二度目の防衛戦。挑戦者ブロッカーはワシントンDC出身の黒人(俳優のサミュエル・L・ジャクソンっぽい顔立ち)。学校時代の同級生サイモン・ブラウンの影響でボクシングを始める。アマチュアで優秀な戦績。長身(身長188cm)を活かしたスタイルでプロデビュー以来、全勝。北米ウェルター級王座を獲得した実績。英国ケンジントンでの一戦。スラリとしたブロッカーはウェルター級時代のトーマス・ハーンズのよう。しかし、パワーはそこそこで、距離を取ってジャブを飛ばすボクサータイプ。ただ、接近戦で見せるインサイドからのアッパー気味のボディ打ちは効果がありそう。ハニガンはジャブ、右ストレート、コンビネーション(ワンツーからの左フック、ほか)で攻めの姿勢。時折サウスポーにスイッチしてパワーで押そうとする。パワーのハニガン、テクニックのブロッカー。互いにディフェンスができるため、決定打を打ち込めない。11R、ハニガンがサウスポースタイルで左フックをクリーンヒットさせるが、ブロッカーは反撃。12R、ブロッカーがローブローでついに減点。12R終了。判定は3-0。ハニガンが攻勢点で勝利。ブロッカーはやはりパワー不足。タフさ、テクニックはあったが、「仕留めるパワー」に欠けるのが惜しい。その後、ブロッカーはマーロン・スターリングを破ってWBC王座獲得。親友サイモン・ブラウンに敗れて王座陥落。次いでIBF王座を獲得したが、「新星」フェリックス・トリニダードに強烈にKOされて王座陥落。実力はあったが、「真のトップ」にはなれなかった。)


その後のハニガン

ブロッカー戦の次の防衛戦の相手はジーン・ハッチャー(元WBA世界J・ウェルター級王者。ジョニー・バンフスを破って王座獲得)。45秒でハニガン防衛。その次はホルヘ・バカ(メキシコ)との防衛戦。負傷判定で王座陥落。しかし、バカはIBFランクに入っていなかったため、IBFはこの試合を認めず。IBF王座は空位になり、サイモン・ブラウンが新王者に。ドナルド・カリーを破ってWBA・WBC・IBFの世界ウェルター級王座を獲得したハニガンだが、結局、全て失ったうえに世界ウェルター級王座は分裂。そしてWBC王座のみを懸けてバカと再戦。しかし、マネージャーのミッキー・ダフとのスレ違いが表面化するなど不穏な雰囲気。   


ロイド・ハニガン 3R KO ホルヘ・バカ

(WBC世界ウェルター級タイトル戦、1988年)

「英国の番狂わせ男」ロイド・ハニガン②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

3R:右ボディフックでバカがダウン

(感想:ハニガンが王座奪回。王者バカ(変わった名だが、カタカナで書くと妙な感じになるだけ)。メキシコ・ウェルター級王座を長らく防衛してきた男で、ピークを過ぎたピピノ・クエバス、ソウル・マンビーに勝利。しかし、IBFからは評価されていなかったため、ハニガンに勝利して得たのはWBC王座のみ。英国ウェンブリーでのダイレクト・リマッチ(初戦もウェンブリーだったが、会場は別。レフェリーはジョー・コルテス)。共に足でリズムを取る。ややアップライトなバカはジャブ、ストレート、接近してフックを使うが、全体的に手打ち気味で迫力に欠ける。ただ、手数は多めで、積極的に前に出る姿勢。ハニガンはディフェンスしながらストレート、フック。時折、左フックを当てる。3R、ロープ際にバカを追い込むハニガン。右ボディフックでバカがダウン。座ったまま10カウントを聞いた。ハニガンが楽勝。「メキシカン」と言えば腰の入った強いフックを打つイメージがあるが、バカのパンチにはパワーが感じられず。ハニガンとしては「マトモに打たれなければ大丈夫」といった自信があったのでは?  その後のバカ。再起戦でサイモン・ブラウンのIBF王座に挑戦してKO負け。テリー・ノリスに2-1の敗北。クインシー・テーラー、マーク・ブリーランドに連勝。ロイ・ジョーンズ・ジュニアに1RでKO負け。メキシコ王座(J・ミドル級)、WBC米大陸王座(ウェルター級)を獲得するなど息の長い活動。しかし、世界戦はブラウンとのIBF王座戦が最後となり、世界王座に就いていた期間は短かった。)


ロイド・ハニガン 5R TKO 鄭栄吉

(WBC世界ウェルター級タイトル戦、1988年)

「英国の番狂わせ男」ロイド・ハニガン②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ハニガンがタイトル初防衛。奪回した王座の初防衛戦。挑戦者の鄭(24歳)は韓国人。三度目の挑戦で韓国王座(ウェルター級)獲得。連続防衛。李承純(マーク・ブリーランドとWBA世界ウェルター級王座決定戦を行って1RでKO負け)を破って東洋太平洋王座(ウェルター級)獲得。連勝の勢いでハニガン(28歳)に挑戦。アトランチックシティでの一戦(レフェリーはトニー・オーランド)。互いにジャブ、ストレート、左フック。タフそうな顔と体格の鄭はワンツー、ボディ攻め。ややゴツいパンチ。ハニガンはパンチのスピードで上だが、クリンチを多用(相手のスタミナを奪う作戦。以前はよくやっていた)。3R、激しい打撃戦。4R、ハニガンがサウスポーにチェンジして右ジャブ、左フックを当てる。5Rにハプニング。接近戦の中、ハニガンの左ボディ打ちがローブローに。倒れ、のたうち回る鄭。立つことができず、「戦意喪失」と見なされてTKO負け。ハニガンがつまらない勝ち方。ローブローがどの程度強烈なものだったのかは鄭にしかわからないが、「TKO」扱いには違和感。ただ、連打の回転はハニガン。続行していたとしても鄭が勝てたかどうか。また、この日のメインは「マーロン・スターリング vs. トーマス・モリナレス」のWBA戦。ゴング後のパンチでスターリングが倒れるハプニング。結局、「ノーコンテスト」扱い(この出来事がキッカケとなって「ラウンド終了10秒前に合図するルール」ができた)。世界ウェルター級王座戦が二つとも妙な結果に終わったのは偶然か? その後の二人。ハニガンは次の試合でマーロン・スターリングにTKO負けで、王座陥落。鄭は新王者スターリングのWBC王座に挑戦するチャンスを得たが、判定負け。東洋太平洋王座(J・ミドル級)を獲得して連続防衛。世界王座は獲れず、アジアの実力者にとどまった。)  

 

「英国の番狂わせ男」ロイド・ハニガン①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界ウェルター級王者。世界王者になる前の試合。ジャンフランコ・ロッシ戦、シルベスター・ミッティ戦ほかを紹介します。


ロイド・ハニガン(イギリス)

身長173cm:オーソドックス(右構え)


ロイド・ハニガン 12R 判定 クリフ・ギルピン

(英国ウェルター級タイトル戦、1983年)

「英国の番狂わせ男」ロイド・ハニガン①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ハニガンがタイトル防衛。ジャマイカ出身の黒人で、イギリス国籍のハニガン。英国に移住後、11歳でボクシングを始める。アマチュアを経験しプロへ。これまで全勝。英国王座をギルピンとの決定戦で獲得し、初防衛戦はギルピンとの再戦。挑戦者ギルピンは英国テルフォード出身の黒人。デビューから連勝だったが、カークランド・レインに判定で初黒星。英国のローカル王座を獲得後、ハニガンとの英国王座決定戦。ダウンを奪ったが、判定負け。再戦で雪辱を狙う状況。英国ケンジントンでの一戦。共に上体でリズムを取ってジャブ、右ストレート。パンチの速さはギルピン。ハニガンはコンビネーション(左フックからの右ストレート、ワンツーからの左フック、など)。接近戦では互いにフック。ギルピンが右クロスを狙い、ハニガンはクリンチが多い。4Rに試合の流れが変わる。ハニガンの右カウンター。これが効いたギルピンは以降、攻められてクリンチに逃げるシーンが増えていく。コンビネーション、ボディ打ちでハニガン優勢。ギルピンはサウスポーにスイッチしたりしながら対抗するが左目が腫れていき、反撃も単発に終わる。11R、ハニガンが左ボディからの左フック。ハニガン優勢のまま12R終了。レフェリーはハニガンの手を上げた(PTSによる判定)。ハニガンがコンビネーション(特に「左フックからの右ストレート」)で勝利。4Rの右カウンターまではクリンチ多用で「セコい戦い」のように見えたが、それは作戦だったようだ。ギルピンは攻めが単調。一発にパワーを入れ過ぎだったように見えた。その後、ギルピンはスンブ・カランベイ、マイケル・ワトソンらを相手に負けが込むようになっていった。)


ロイド・ハニガン 3R KO ジャンフランコ・ロッシ

(欧州ウェルター級タイトル戦、1985年)

「英国の番狂わせ男」ロイド・ハニガン①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

3R:右フックでロッシがダウン

(感想:ハニガンがタイトル獲得。英国王者のハニガンだが、ギルピン戦の次の試合(ロベルト・メンデス戦)で勝ったが親指を骨折。1984年は結果的にその試合のみに。英国王座は返上したらしく、欧州王座を狙う(85年、初試合。1月)。王者ロッシはイタリア人。デビュー六戦目でKO負けしてしまったが、以降は連勝。ペリコ・フェルナンデス(スペイン。元WBC世界J・ウェルター級王者)と欧州ウェルター級王座の決定戦を行い、3-0で獲得。ハニガンと初防衛戦。イタリア・ペルージアでの一戦。共にリズムカルな動き。アップライトスタイルのロッシ。足で相手から距離を取りながらジャブ連打、右ストレート。上半身のパワーを使う。ハニガンは伸びのあるジャブ、ストレートで攻めの姿勢。2R、ロッシの右パンチで会場が沸く。3R、力強いハニガン。ワンツーからの左フック。そして強烈な右フックでロッシがダウン。身体の半分がロープ外に飛び出るほどの痛烈なダウンで、ロッシは立てず。ハニガンが凄まじいKOで勝利。積極さ、パンチ力、コンビネーション、タイミングを捉える巧さがあった。ロッシはいつもの戦いぶり。パンチをマトモに食らって沈んだ。その後、ロッシはルペ・アキノからWBC世界J・ミドル級王座奪取。ドナルド・カリーに敗れて、王座陥落。ダーリン・バン・ホーンからIBF世界J・ミドル級王座獲得。11連続防衛を果たした。) 


ロイド・ハニガン 8R TKO シルベスター・ミッティ

(欧州、英連邦、英国ウェルター級王座統一戦、1985年)

「英国の番狂わせ男」ロイド・ハニガン①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

2R:左フックでミッティがダウン

6R:右フックでミッティがダウン

(感想:ハニガンが王座統一。ロジャー・スタフォードをTKOで下すなどこれまで25戦全勝の欧州王者ハニガン。しかし、マネージャーとモメて決裂。新マネージャー(ミッキー・ダフ)と再スタート。英連邦、英国王者のミッティと王座統一戦。ミッティはカリブのセントルシア出身の黒人(身長170cm)。アマチュアで実績。ただ、1976年のモントリオール・オリンピックに「英国代表」としてライト級で出場したが、メダル獲得ならず。プロでは英国を主戦場に概ね快調。ローカル王座戦で敗れたこともあったが、連勝。英連邦王座、次いで英国王座獲得。ハニガンと「欧州ナンバーワン」を懸けて勝負。ロンドンのマスウェル・ヒルでの一戦(レフェリーはジョン・コイル)。ミッティが先制攻撃。ハニガンは負けじと応戦。接近戦でフックの打ち合い。共に良いジャブ、ストレートを思い切って打つ。2R、左フックでミッティがダウン。ディフェンスとパンチを当てるテクニックではハニガンの方が上か。5R、ハニガンがサウスポーにスイッチし、右フックを強振する。6R、右フックでミッティがダウン。その後、次第に勢いが落ちてきたミッティはクリンチでしのぐ。8R、目の負傷によりTKO。ハニガンがハードな試合に勝利(なかなか強かった)。ミッティは力強く攻めたが、パンチの正確さに欠いた。その後、ミッティはカークランド・レインとの英国ウェルター級王座決定戦に敗れて王座返り咲きならず。それが最後のタイトル戦となった。)

 

2025年4月3日木曜日

「長い手足の毒ヘビ」バーノン・フォレスト②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界ウェルター級、S・ウェルター級王者。北米王座戦&その後。サンティアゴ・サマニエゴ戦、ビンス・フィリップス戦ほかを紹介します。


バーノン・フォレスト(アメリカ)

身長183cm:オーソドックス(右構え)


バーノン・フォレスト 7R KO サンティアゴ・サマニエゴ

(北米ウェルター級タイトル戦、1999年)

「長い手足の毒ヘビ」バーノン・フォレスト②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

7R:右ストレートでサマニエゴがダウン

(感想:フォレストがタイトル防衛。世界ランカーのフォレスト(28歳)。これまで29連勝(24KO)。三度目の防衛戦。挑戦者サマニエゴ(25歳)はパナマの黒人で、ロベルト・デュランのいとこ。27勝(23KO)4敗1分。パナマでデビュー。連勝して主戦場をアメリカへ。「NBA」なる団体のウェルター級王座戦で判定負け、初黒星。NABO王座(ウェルター級)獲得後、WBO世界ウェルター級王座決定戦に出場したが判定負け。一定の実力はあるようだが、時折取りこぼしがあるキャリア。ジョージア州オーガスタでの一戦(フォレストのセコンドにルー・デュバ。会場ではイベンダー・ホリフィールドが観戦)。ガードを上げてジャブのサマニエゴ(構え方、打ち方、後ろ姿がウィルフレド・バスケスに似た雰囲気)。フォレストは快調。ジャブ連打、ワンツー、左ボディ打ち、左フックトリプル、しゃくるようなアッパー気味の右フック。勇敢なサマニエゴは接近戦で打ち合うが、攻撃力ではフォレスト。ディフェンスしながら強打をヒットさせる。7R、左フックからの右ストレートでサマニエゴがダウン。立ったが、カウントアウト。フォレストが素晴らしいパンチ。しかし、もうそろそろ年齢的にも世界戦をやらねば。サマニエゴは打ち返す粘り強さはあったが、そこまで。その後、サマニエゴはIBA王座戦(スーパーウェルター級)で判定負け。中堅には強かったが、それ以上にはなれなかった。)


バーノン・フォレスト 12R 判定 ビンス・フィリップス

(北米ウェルター級タイトル戦、2000年)

「長い手足の毒ヘビ」バーノン・フォレスト②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:フォレストがタイトル防衛。フォレストの2000年初試合(1月)は実力者との四度目の防衛戦。これまで40勝(29KO)4敗の挑戦者フィリップスはフロリダ州ペンサコーラ出身の黒人(ロイ・ジョーンズ・ジュニアと同じ)。パワーが売り物。アマチュアで優秀な成績(タイトルも獲得)。プロ入り後は連戦連勝。薬物でブランクを作ってしまうなど問題もあったが、IBFのインター王座(J・ウェルター級)を獲得。アンソニー・ジョーンズ(パーネル・ウィテカーの統一世界ライト級王座に挑戦したこともある実力者)に負けて、初黒星。初の世界挑戦ではアイク・クォーティにKO負け(WBA世界ウェルター級王座戦)。コンスタンチン・チューをTKOで下してIBF世界J・ウェルター級王座獲得。四度目の防衛戦でTKO負け、王座陥落。再起戦に勝利してフォレストに挑戦。ラスベガスでの一戦(リングアナはマイケル・バッファ、レフェリーはリチャード・スティール)。フィリップスのベルトラインにニックネームの「COOL」(「カッコいい男」の意)。ゴング前、フォレストのセコンドのルー・デュバがフィリップスに何やらクレーム(うるさい男だが、それが名物になっている)。試合の方は一進一退。互いにジャブ。ロングレンジではフォレストが長いパンチで有利。接近戦では互いにディフェンスできるため、パンチが当たっても単発。両者、決め手に欠け、クリンチも目立つ。フィリップスは右パンチにパワーを込めるが、力みすぎて空転。しかも、左マブタ付近をカットするハンデ。フォレストの右フックがクリーンヒット。フィリップスが勢いで押すシーンも。12R終了。判定は3-0。フォレストのジャブ、長いフックが評価されたか。ポイントでは大差がついたが、大きな実力差は無し。派手なダウンシーンも無し。ディフェンスができる者同士の試合はこういう内容になりがち。これが本当のプロボクシング。その後もフィリップスはリングに上がり、WBC米大陸王座(スーパーウェルター級、次いでウェルター級)を獲得する活躍。しかし、敗北もあり、世界王座に返り咲くことはなかった。)


バーノン・フォレスト 4R KO エドガル・ルイス

(スーパーウェルター級戦、2001年)

「長い手足の毒ヘビ」バーノン・フォレスト②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

4R:右アッパーで2度、ルイスがダウン

(感想:ビンス・フィリップスに競り勝ったフォレスト。その次の試合は待望の世界戦。しかし、ノーコンテストで王座獲得ならず。改めてラウル・フランクとIBF世界ウェルター級王座決定戦を行い、3-0で王座獲得。ルイスとノンタイトル戦。ルイスはメキシカン。アマチュアで実績。1992年バルセロナ・オリンピックにライトウェルター級で出場(メダルは獲得ならず)。プロデビュー。連勝後、TKOで初黒星。WBC米大陸王座、NABO王座(ウェルター級)獲得。しかし、デビッド・カマウに敗北、NABO王座陥落。このところコーリー・スピンクスらを相手に二連敗中。ウェストバージニア州チェスターでの一戦。互いに力強いパンチ。しかし、パンチの伸び、パワーに違いが。ダッキングしながらジャブ連打、ワンツー、フック、アッパーのフォレスト。ルイスはフック、左ボディ打ちに強さがあるが、押され気味。4R、右アッパーでルイスがダウン。立ったが、再びアッパーで10カウント。フォレストが強打で快勝。強いパンチでありながら連打の回転が速く、隙を突くのが巧いのがフォレストの強味。ルイスはKOされたが、決して弱くはなかった。その後のルイス。二連敗で引退。カムバックしてWBCの地域王座(スーパーウェルター級)獲得。防衛にも成功。しかし、世界挑戦のチャンスは無かった。)


その後のフォレスト 

IBF王座を一度も防衛することなく返上。エドガル・ルイス戦の次の試合はシェーン・モズリーのWBC世界ウェルター級王座への挑戦。これに判定勝ち。再戦も3-0でフォレスト勝利(モズリーとは相性が良かった)。しかし、ニカラグアのリカルド・マヨルガにKO負けで王座陥落、初黒星。再戦もマヨルガ勝利(2-0の判定。マヨルガとは相性が良くなかった)。階級を上げて元世界ウェルター級王者カルロス・マヌエル・バルドミールとWBC世界スーパーウェルター級王座決定戦。二階級制覇。その後は不安定で、王座を防衛したり、失ったり、奪回したり。そして2009年7月25日。ガソリンスタンドで強盗と銃撃戦になり、フォレストは死んだ(38歳)。) 

「長い手足の毒ヘビ」バーノン・フォレスト①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界ウェルター級、S・ウェルター級王者。北米王座戦のエド・グリフィン戦、スティーブ・マルティネス戦ほかを紹介します。


バーノン・フォレスト(アメリカ)

身長183cm:オーソドックス(右構え)


バーノン・フォレスト 8R KO イサック・クルス

(J・ウェルター級戦、1996年)

「長い手足の毒ヘビ」バーノン・フォレスト①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

8R:ワンツーでクルスがダウン

(感想:ジョージア州出身の黒人フォレスト。ニックネームは「The Viper(毒ヘビ)」。スラリとした長身からキレとパワーのあるパンチを飛ばす様は「Black Mamba(毒ヘビ)」と呼ばれたロジャー・メイウェザーと雰囲気が似ている。ボクシングを始めたのは9歳。アマチュアで優秀な成績。バルセロナ・オリンピック(1992年)にライトウェルター級で出場(メダルは獲得ならず)。プロ入り後は中堅どころを相手にこれまで16連勝(13KO)で、25歳。クルス(22歳)はメキシカンで、10勝(9KO)3敗。実力者アイバン・ロビンソンに判定負けしたが、それ以来、三連勝中。カリフォルニア州インディオの屋外リングでの一戦(リングアナはジミー・レノン・ジュニア、レフェリーはルー・フィリポ)。しつこい連打が売りのクルス。開始からサウスポーにスイッチしたりしながらしつこく攻めの姿勢。ただ、ガチャガチャした粗い攻撃。フォレストは距離を取ってジャブ、ストレートで反撃したり、アッパー気味のボディ打ち、左フックのダブル(ボディからアゴへ)などを使ったり(器用かつパワフル)。4R、クリンチしたり、頭を押しつけたりしながら攻撃するクルスにフォレストが怒りのヘディングで試合中断。その後、クルスは前に出るが、勢いが落ちてさらに攻めが雑に。6R、フォレストが減点(ローブロー?)。結局、ボクサーとして優れているのはフォレストの方。8R、ジャブ連打からのワンツーでクルスがダウン。立てず、KO。フォレストがしなやかながらパワーのある強打で快勝。リーチが長い選手にありがちな「ぎこちなさ」は無し。デビューから連勝だった頃のトーマス・ハーンズのような戦いぶりだった。一方、ラフな攻撃で名レフェリーのルー・フィリポを困惑させたクルス。ただしつこいだけだったような気も。その後、クルスはメキシコ王座(ライト級)を獲得、防衛。ただ、ジョンジョン・モリナに敗れるなど上位陣には勝てず、ローカルな実力者としてキャリアを終えた。)


バーノン・フォレスト 7R TKO ペドロ・サイス

(ウェルター級戦、1997年)

「長い手足の毒ヘビ」バーノン・フォレスト①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:中堅相手に連勝中のフォレスト。サイスはドミニカ共和国の黒人サウスポー。アマチュアで実績。1988年のソウル・オリンピックにライトウェルター級で出場(アイク・クォーティに敗れてメダル獲得ならず)。プロではアメリカを主戦場にデビューから連勝だったが、ニューヨーク州王座戦(J・ウェルター級)で判定負け、初黒星。その後、同王座獲得。イサック・クルスに敗北。ニューヨーク州王座(ウェルター級)獲得。その次の試合でフォレストと勝負。アトランチックシティでの一戦(リングアナはメガネを掛けたエド・デリアン(昔は掛けていなかった。年月の流れを感じる)。フォレストのセコンドにルー・デュバ)。身長差のある試合(サイスは170cm)。左右の構えは違うが、共に速いジャブ、ワンツー。動きも機敏。接近戦では互いにフック、ボディ打ち。しかしながら、背が高いフォレストがリーチの長さ、懐の深さで優位。1Rから右ストレートをヒットさせるなど攻撃力で優勢(斜め下からのフックも迫力)。攻めるフォレスト。サイスはワンツー、右フックをディフェンスされて焦り。ホールドしながら攻撃してフォレストを怒らせる。6R終了後、サイスは棄権。それに不満の様子のサイス。ドクター、またはセコンドの申し出で棄権することになったのだろう。フォレストが激しい攻めで勝利。パンチにキレとパワー。サイスは右フックにパワーがあったが、体格差に泣いた。その後のサイス。シャンバ・ミッチェル(WBA世界J・ウェルター級王座戦)、ビンス・フィリップスらに敗北。大きな王座は獲れなかった。)


バーノン・フォレスト 2R TKO エド・グリフィン

(北米ウェルター級タイトル戦、1998年)

「長い手足の毒ヘビ」バーノン・フォレスト①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

2R:右フック、右フック連打、連打で3度、グリフィンがダウン

(感想:フォレストがタイトル初防衛。勝ち続けるフォレスト。レイ・オリベイラを判定で下してWBC米大陸王座(ウェルター級)獲得。決定戦でアドリアン・ストーンをTKOして北米王座(ウェルター級)も獲得。グリフィンと北米王座の初防衛戦(どうやら米大陸王座は返上したようだ)。グリフィンはメリーランド州ボルチモアの黒人で、これまで15勝(5KO)5敗。デビューから連勝だったが、判定で二連敗。その後、連勝したが、ライアン・ローデス戦(IBFインター王座戦(J・ミドル級))から三連敗でフォレスト戦。アトランチックシティ「Trump Taj Mahal」での一戦。共に27歳。フォレストが豪快なボクシング。長いジャブ、ワンツーからの左フック、左ボディ打ち。まさに「ヒットマン」と呼ばれた頃のトーマス・ハーンズ。グリフィンは何とか接近して左フック、しゃくるような右フックを使うが、相手の勢いに押される。2R、右フックでグリフィンがうつぶせにダウン。立ったが、右フック連打で二度目。最後は連打でロープ外に落とされてレフェリーストップ。フォレストが圧勝。実力差があったが、上位陣にも通用しそうな迫力の攻撃。グリフィンはフックに良さ。しかし、相手が強すぎた。その後、グリフィンは元世界王者チャールズ・マレイらに敗れて引退。)


バーノン・フォレスト 1R TKO スティーブ・マルティネス

(北米ウェルター級タイトル戦、1999年)

「長い手足の毒ヘビ」バーノン・フォレスト①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:左フック、右フック、連打で3度、マルティネスがダウン

(感想:フォレストがタイトル防衛。世界ランカーのフォレスト(28歳)。これまで27連勝(22KO)。二度目の防衛戦。挑戦者マルティネス(27歳)はテキサス州サン・アントニオ出身で、37勝(23KO)3敗1分。1987年、デビュー。連戦連勝。しかし、WBU王座戦(J・ミドル級)で判定負け、初黒星。北米王座(J・ミドル級)獲得。初防衛に成功したが、二度目の防衛に失敗。アンソニー・ジョーンズ(数度の世界挑戦)に2-1で敗北。中堅どころには勝ってきたが、重要な試合を落としてきた印象のキャリア。ミシシッピ州トゥニカでの一戦。ガードを高く上げてジャブのマルティネス。フォレストは長いジャブ、ワンツー、そして猛攻。連打からの左フックでマルティネスがダウン。再開後すぐに右フックで二度目。一気に攻めるフォレスト。連打でマルティネスが三度目のダウンを喫したところでレフェリーストップ。フォレストが一気に勝利。このレベルの相手とは最早勝負にならない。マルティネスは勢いに乗っている相手の豪快な攻めに何もできず。しかし、決して弱い選手ではない。その後、この王座(北米ウェルター級王座)を獲得。)