2025年7月8日火曜日

「左右フック強打」ロッキー・ロックリッジ②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界J・ライト級王者。IBF王座防衛戦のジョニー・デラ・ローサ戦、ハロルド・ナイト戦を紹介します。


ロッキー・ロックリッジ(アメリカ)

身長169cm:オーソドックス(右構え)


ロッキー・ロックリッジ 10R TKO ジョニー・デラ・ローサ

(IBF世界J・ライト級タイトル戦、1987年)

「左右フック強打」ロッキー・ロックリッジ②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

3R:左フックでロックリッジがダウン

10R:右フックでデラ・ローサがダウン

(感想:ロックリッジがタイトル初防衛。バリー・マイケル(オーストラリア)をTKOしてIBF王者になったロックリッジが初防衛戦。挑戦者デラ・ローサはドミニカの黒人。ドミニカでプロデビュー後、主戦場をアメリカへ。全勝のままファン・ラポルテのWBC世界フェザー級王座に挑戦したが、2-1の敗北(ロックリッジはラポルテに強烈なKO負けをしたことがある)。その後、アントニオ・エスパラゴサ(後のWBA世界フェザー級王者)にTKO負けしたが、WBC米大陸J・ライト級王座奪取。ジャッキー・ビアード(後、ブライアン・ミッチェルのWBA世界J・ライト級王座に挑戦して敗北)相手に防衛成功。連勝の勢いでロックリッジに挑戦。アリゾナ州ツーソンでの一戦(TVテロップになぜか「IBF」ではなく「IFB」)。クロンクジム所属のデラ・ローサ(金色トランクス)。クロンクの選手らしいジャブ連打、ワンツー。ワンツーからの左ジャブといったテクニックも披露。ロックリッジは昔から変わらない。ひたすら相手に接近してジョー・フレージャーまたはケン・ノートンばりにフックを打ち込む。ただ、攻めが単調なせいか、クリンチされてもみ合うシーンも。3R終了間際にハプニング。左フックでタフなロックリッジがダウン。それでも打って出るロックリッジ。6R、デラ・ローサの左フックが連続ヒット。ロックリッジはタフネスで打ち返す。10R、ロックリッジの強烈な右フック、左フックが立て続けにヒットし、右フックでデラ・ローサがダウン。立ったが、朦朧。レフェリーストップ。ロックリッジが逆転勝利。タフネスとパワーで勝てたが、デラ・ローサの正確なパンチをマトモに食うシーンも。デラ・ローサはややテクニック指向。ボクシングとケンカは別物だが、闘争心で押し切られた印象。その後、デラ・ローサはブランクがちにリングに上がり、ダンデ・フォスター、ホルヘ・パエスらに敗北。)


ロッキー・ロックリッジ 15R 判定 ハロルド・ナイト 

(IBF世界J・ライト級タイトル戦、1988年)

「左右フック強打」ロッキー・ロックリッジ②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ロックリッジがタイトル防衛。29歳のロックリッジ。デラ・ローサ戦の次の試合はIBF王座の二度目の防衛戦。挑戦者ナイト(24歳)はニュージャージー州の黒人。アマチュアで好成績。プロではこれまで全勝。全米J・ライト級王座を獲得、防衛。このところ連続KO勝ち。ただ、相手は中堅どころが多い。アトランチックシティでの一戦(リングアナは名物男エド・デリアン。ロックリッジのセコンドにルー・デュバ)。器用なナイト。突き刺すように左ジャブを連打し、ワンツーからの左フック。しゃくるようなフックに迫力。ロックリッジは無骨な攻めで接近戦を仕掛ける。フックの応酬が続く。ナイトが強いパンチと軽めのパンチを使い分ける。ロックリッジはどのパンチも全力。ただ、この試合ではパンチと動きのキレがもう一つ。どちらかが一方的になるシーンがないまま15R終了。判定は3-0。映像では互角に見えたが、ロックリッジがパワー、当てる巧さで微妙に上回ったようだ。ただ、パッとしない動き。歴戦の疲れがあったか。善戦のナイト。脳の検査に引っかかり、これが最後の試合に。引退後はトレーナーに転身し、レノックス・ルイスらを指導。2000年、ニュージャージー州のボクシング殿堂入り。ロックリッジは次の防衛戦で新鋭トニー・ロペスに判定負け、王座陥落。王座を懸けた再戦もロペス勝利。再起戦に勝利して引退したが、1992年にカムバック。後の世界王者ラファエル・ルエラス、シャンバ・ミッチェルに判定負けで引退。 引退後はつらい状況。2019年、身体の不調により死去(享年60)。)   

 

「左右フック強打」ロッキー・ロックリッジ①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界J・ライト級王者。世界王者になる前のレフジオ・ロハス戦、トニー・トリス戦ほかを紹介します。「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」


ロッキー・ロックリッジ(アメリカ)

身長169cm:オーソドックス(右構え)


ロッキー・ロックリッジ 10R 判定 レフジオ・ロハス

(フェザー級戦、1981年)

「左右フック強打」ロッキー・ロックリッジ①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:右フックでロハスがダウン

2R:右ストレートでロハスがダウン

(感想:ワシントン州タコマ出身の黒人ロックリッジ。アマチュアで優秀な成績。食っていくためプロ転向。デビューから全勝のままエウセビオ・ペドロサの持つWBA世界フェザー級王座に挑戦したが、15R判定負け。さらに強打者ファン・ラポルテにまるで交通事故のような強烈なKO負けで全米フェザー級王座陥落。ロハスと再起戦。これまで20勝(17KO)2敗。16勝(11KO)6敗のロハスはメキシカン。ヘルマン・トーレス、アントニオ・アベラルにKO負け。主戦場をアメリカに。階級を上げ、中堅どころを相手に連勝しては敗北。ローランド・ナバレッテ、エドウィン・ロサリオに敗北。このところ三連勝でロックリッジ戦。ニュージャージー州イーストラザフォードでの一戦(レフェリーはトニー・ペレス。ロックリッジのセコンドにルー・デュバ)。まるで「フェザー級のケン・ノートン」といった感じのロックリッジ。やや前傾姿勢で前進し、右ストレート、フックを強打する。ロハスはアレクシス・アルゲリョ風のスリムな身体、テクニック。相手から距離を取ってガードしながらジャブ連打、右カウンター。左フックに巧さ。強烈な右フックでロハスがダウン。2Rには右ストレートでダウン。その後も攻めるロックリッジ。ロハスは次第に相手のパワーに慣れてきたようでディフェンス、クリンチしながら反撃。ただし、パンチは軽め(そのへんがアルゲリョとは違うところ)。強打、攻める姿勢でロックリッジ優勢だが、倒せない。10R終了。判定は何と2-0。映像では3-0に見えたが、ジャッジの一人はロハスのテクニックを評価したらしい。ロックリッジがパワーで勝利。しかし、KOできず。どうやらロックリッジの攻撃はディフェンスされやすいようだ(外からのフックが多いから?)。その後のロハス。バーナード・テーラー、ヘクター・カマチョに敗れたが、カリフォルニア州王座、全米王座(それぞれフェザー級とJ・ライト級)獲得。フリオ・セサール・チャベスのWBC世界J・ライト級王座への挑戦はTKO負け。カリフォルニア州王座(ライト級)獲得。ヘナロ・エルナンデスにKO負け。世界王者にはなれなかったが、名のある選手と対戦できた。)


ロッキー・ロックリッジ 10R 判定 トニー・トリス

(J・ライト級戦、1981年)

「左右フック強打」ロッキー・ロックリッジ①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ロハス戦の次の試合。トリスはドミニカ人。このところ連敗中であるが、レオネル・エルナンデス、ベニス・ボーコーソー、エドウィン・ロサリオといった実力者と対戦してきた。ニュージャージー州トトワでの一戦。互いにジャブ、ストレート、接近戦で振りの大きいフック。ロックリッジはいつものように前進。パワーで上か? トリスは距離を取ろうとし、右カウンター、右ストレートからの左フックなどに良さ。しかし、受け身の試合ぶりでクリンチも使用。同じように打ち合う接近戦が続き、10R終了。判定はフルマークの3-0。ロックリッジが攻勢点で勝利。しかし、攻め続けたが、ダウンを奪えず。トリスは惜しい選手。器用さがあったが、自分から攻めて相手を圧倒するような試合運びではなかった。その後、トリスはブランクがちに試合。二連敗で引退。)


その後のロックリッジ

ノンタイトル戦で連勝後、再びエウセビオ・ペドロサのWBA世界フェザー級王座に挑戦したが、またしても15R判定負け。実力者コーネリアス・ボサ・エドワーズに判定勝ちして三度目の世界挑戦。ロジャー・メイウェザーを1Rで始末してWBA世界J・ライト級王座獲得。文泰鎮、カメル・ブ・アリ相手に防衛。三度目の防衛戦でウィルフレド・ゴメスに微妙な判定負け、王座陥落(1985年)。フリオ・セサール・チャベスのWBC世界J・ライト級王座への挑戦は判定負け(1986年)。再起戦に勝利してデニス・クルス戦。


ロッキー・ロックリッジ 7R KO デニス・クルス

(J・ライト級戦、1987年)

「左右フック強打」ロッキー・ロックリッジ①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

7R:右フックでクルスがダウン

(感想:クルスはニューヨーク・ブロンクスのサウスポー。アマチュアで活躍後、プロ入り。デビューから連勝後、TKOで初黒星。北米J・ライト級王者になったが、ドワイト・プラチェットに判定負けで初防衛ならず(勝ったプラチェットはチャベスのWBC世界J・ライト級王座に挑戦して判定負け)。ジャッキー・ビアード(後、ブライアン・ミッチェルのWBA世界J・ライト級王座に挑戦して敗北)らを相手に三連勝でロックリッジ戦。テキサス州コーパス・クリスティでの一戦。クルスが右ジャブを連打してワンツーからの右ボディ打ち。ロックリッジは髪がスキンヘッド風になり、まるで「小型マービン・ハグラー」といった雰囲気。相手がサウスポーであっても関係なく当然のように1Rから接近して右ストレート、左右フックで攻撃的。やや強引な攻めだが、ディフェンスもしっかり。攻めるロックリッジ、応戦するクルス。打ち返していたクルスだが、7Rにピンチ。右フックを食い、さらに右フックを追撃されてダウン。立とうとするが立てず、KO。ロックリッジがパワーで勝利。KOできないときはもどかしいが、KOで勝つときは実に豪快なのがロックリッジ。最後のパンチはなかなかキツい一撃だった。クルスはよく頑張ったが、タフな強打者に終始攻められて陥落。その後、クルスはブランク。カムバックして四連勝したが、カルビン・グローブにKOされて引退。)

 

2025年7月7日月曜日

「伸びるパンチ」レバンダー・ジョンソン「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

IBF世界ライト級王者。世界王者になる前のノンタイトル戦。ラリー・オシールズ戦、エマニュエル・オーガスタス戦を紹介します。


レバンダー・ジョンソン(アメリカ)

身長175cm:オーソドックス(右構え)


レバンダー・ジョンソン 4R TKO ラリー・オシールズ

(ライト級戦、2000年)

「伸びるパンチ」レバンダー・ジョンソン「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:右ストレートでオシールズがスタンディングダウン

4R:連打でオシールズがスタンディングダウン

(感想:ニュージャージー州アトランチックシティ出身の黒人ジョンソン。兄もボクサーだった「ボクシング兄弟」。アマチュアで好成績。プロ入り。よく伸びる素晴らしいパンチを武器にデビューから連勝。後の世界王者シャンバ・ミッチェルもKO。しかし、ミゲル・アンヘル・ゴンザレスのWBC世界ライト級王座に挑戦してTKO負け(1994年)。IBO王座(ライト級)を獲得できたが、オルズベック・ナザロフのWBA世界ライト級王座への挑戦はTKO負け(1997年)。これまで27勝(23KO)2敗1分。世界王座を目指して再起ロード中。オシールズはテキサスの選手。フロイド・メイウェザー・ジュニアに判定負けするなど勝ったり負けたりの中堅どころ。ミシシッピ州ビロクシでの一戦。1R開始から伸びる左ジャブ、右ストレートのジョンソン。オシールズはガードを上げて右ストレート、フック。右ストレートからの左ジャブといったテクニックも披露。右ストレートで「ガクン」となったオシールズがスタンディングカウントを取られる。その後もジョンソンが右ストレートからの左フックなど離れても接近しても良いパンチ。オシールズは打たれるが前進し、右ストレートをヒットさせる。4R、右アッパーをタイミングよく入れたジョンソン。連打されたオシールズがスタンディングダウン。どうやらセコンドが棄権を申し入れたらしく、試合終了。ジョンソンが素晴らしいパンチで勝利。しかし、接近戦で打たれた。プロらしい強さを見せようと接近戦に応じたのだろうが、あまり打たれ強くないのを考慮して試合する必要がある。オシールズは頑張ったが、そこまで。その後、一勝二敗で引退。タイトル戦を経験することはなかった。)


レバンダー・ジョンソン 10R 引分 エマニュエル・オーガスタス

(ライト級戦、2002年)

「伸びるパンチ」レバンダー・ジョンソン「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:オシールズ戦後、決定戦でWBC米大陸ライト級王者になったジョンソン。しかし、この男はどこかツイてない。バッティングによる相手の負傷により初防衛に失敗。再起戦に判定勝ちしてオーガスタス戦。オーガスタスはイリノイ州シカゴ出身の黒人で、本名は「エマニュエル・バートン」。ニックネームは「The Outlaw」(プロレスラーみたいだ)。「旅人」とも呼ばれるほど各地を転戦する名物男でもある。ヘスス・チャベスにTKO負け、アイバン・ロビンソン、ディオスベリース・ウルタドに判定負け、IBF&WBOインターコンティネンタル王座(J・ウェルター級)獲得、フロイド・メイウェザー・ジュニアにTKO負け、といったキャリア。連戦連勝とはいかないが、実力者相手に試合をしてきた経験がある。アリゾナ州スコッツデールでの一戦(8Rからの映像。TV解説者の採点によると前半はオーガスタス、中盤はジョンソン、といった試合展開)。疲れが見えるジョンソン。得意のジャブ、斜め下からのフック、ワンツーからの左ボディなどを出すが、押され気味。オーガスタスはなかなか積極的で、打ち方も良い。前進し、右ストレート、左右フック攻撃。互いのパンチがヒット。ジョンソンはクリンチさせてもらえず、左フックで何とか応戦。10R終了。共に両手を上げて自身の勝利をアピール。判定はドロー。よく攻めたオーガスタスだが、ジョンソンはディフェンス&正確な強打。ただ、スタミナではオーガスタスが勝っていた印象。その後の二人。オーガスタスは実に多くの試合。勝ったり負けたりだったが、IBA王座(J・ウェルター級)や地域王座を獲得する活躍ぶり。そして最後の試合から数年後の2014年。乱射事件に巻き込まれて後頭部を撃たれ重傷。何とか回復したが、「自分はボクシングしかできない」とカムバックを検討。しかし、ラストファイトは2011年の判定負けのままである。ジョンソンは次の試合で全米ライト級王座獲得。しかし、IBF世界ライト級王座決定戦でハビエル・ハウレギにTKO 負け。四度目の世界挑戦のチャンス到来。決定戦でIBF世界ライト級王者に。ようやく苦労が報われたジョンソンだが、悲劇。2005年9月17日、ヘスス・チャベスとの初防衛戦でTKO負け。そのダメージにより9月22日に死去(享年35)。マーク・ブリーランドのようなパンチの持ち主で才能ある選手だったが、アゴがやや細め。タフすぎるぐらいタフでないとプロボクサーになるのは危険である。)

 

2025年7月6日日曜日

「マスター・ブラスター」レスター・エリス「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

IBF世界J・ライト級王者。世界王座陥落後の試合。トミー・コルドバ戦、アンソニー・ムンディン戦を紹介します。


レスター・エリス(オーストラリア)

身長    cm:オーソドックス(右構え)


レスター・エリス 10R TKO トミー・コルドバ

(J・ウェルター級戦、1987年)

「マスター・ブラスター」レスター・エリス「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

8R:右ストレートでコルドバがダウン

10R:左ボディでコルドバがダウン

(感想:「オーストラリアの鉄人」といった感じの長いキャリアだったエリス。英国ブラックプール出身。一家でオーストラリアに移住したが、家庭に問題があったらしい。(そのうっぷんを晴らすためか)12歳でボクシングを始める。アマチュアで好成績を上げた後、プロ入り。地元メルボルンを中心に試合をし、連戦連勝。「Master Blaster」(「倒し屋」という意味らしい)と呼ばれるようになり、英連邦J・ライト級王座獲得。19歳で世界初挑戦。柳煥吉(韓国)を判定で下し、IBF世界J・ライト級王座奪取(1985年)。ロッド・セクエナンをKOして初防衛に成功したが、次の防衛戦でバリー・マイケル(同じオーストラリアの白人)に判定負け、王座陥落。しかし、そこからがむしろ本番。階級を上げながら地元を中心に多くの試合。元WBA世界ライト級王者エルネスト・エスパニャに判定勝ち。KOでオーストラリア・ライト級王座獲得。コルドバ戦はノンタイトル戦。コルドバはニューメキシコ州の選手で、小柄(身長160cm)。デビューから連勝だったが、ケニー・ベイスモアに判定で初黒星。フレディ・ローチに2-1の勝利、アリゾナ州王座戦(フェザー級)で判定負け、ケルビン・シーブルックスに3-0の勝利、北米フェザー級王座決定戦で2-0の敗北、スティーブ・クルスにTKO負け。このところ連敗中で、直前の試合はトニー・タイガー・ロペスに3-0で敗北。ただ、タフネス、経験など一定の実力はある。オーストラリア・メルボルン「フェスティバル・ホール」での一戦(レフェリーはマルコム・ブルナー)。リング上で美女二人が大きなトロフィを持って観客に見せる(何のトロフィなのだろう? タイトル戦ではないが)。ゴング。身長差のある二人。足でリズムを取りながらジャブを連打するエリス。小柄なコルドバはダッキングしながらワンツー、接近して思い切りのいいフック。特に左フックにパワー。積極的に攻めるコルドバにエリスは打ち下ろすような右ストレート、右アッパー、コンビネーション(右ストレートからの左ボディ)で対抗。激しい攻防が続く。5R開始早々、左ボディでコルドバがダウンしたが、「スリップ」の裁定。8R、エリスが踏み込んで打ち込んだ右ストレートでコルドバがダウン。9R、エリスがコルドバを押し倒したが、レフェリーはそれをダウン扱いしてカウント。右ストレートでコルドバがダウンしたが、「スリップ」の裁定。最終10Rにも右ストレートでコルドバがダウンしたが、「スリップ」。そして左ボディでコルドバがダウン。立ったが、右ストレートで追撃されてレフェリーストップ。互いに思い切りのいい打ち方で勝負した好試合。コルドバのフック攻撃にエリスはよく頑張って応戦した。それにしてもレフェリー。ダウンとスリップを混同したかのような裁き(リング上は暑かったのか? 試合が行われたのは8月。南半球のオーストラリアでは8月は冬だが)。その後、コルドバはピークを過ぎて負けが増えていった。)


その後のエリス

オーストラリア王座、英連邦王座(いずれもJ・ウェルター級)獲得、大友巌に判定勝ち、オーストラリア・ウェルター級王座獲得ならず、WBFウェルター級王座獲得、カルビン・グローブに2-1の敗北、IBO王座を連続で獲得(J・ウェルター級、ライト級、J・ミドル級)、カルビン・グローブ(再戦)にTKO負け、引退(1996年)。


アンソニー・ムンディン 3R TKO レスター・エリス

(スーパーミドル級戦、2002年)

「マスター・ブラスター」レスター・エリス「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:右ストレートでエリスがダウン

3R:右ストレートでエリスがダウン

(感想:帰ってきたエリス(これまで41勝(28KO)7敗)。スーパーミドル級で復帰戦(大丈夫か?)。13勝(10KO)1敗のムンディンはオーストラリア・ニュータウン出身(先住民の血が入っている)。身長180cm。「元ラグビー選手がボクサーに転向」ということでオーストラリアでは大変な人気者(結果的に全試合がペイ・パー・ビューで放送されたほど)。デビューから連勝でIBFの地域王座(スーパーミドル級)などを獲得。しかし、ドイツでスベン・オットケのIBF世界スーパーミドル級王座に挑戦してKO負け、初黒星。PABAスーパーミドル級王座を決定戦で獲得して防衛中。エリス戦はノンタイトル戦となる。メルボルンでの一戦。まるで別人のようになったエリス。以前は(80年代洋楽アイドルのような)金髪で後頭部付近を伸ばした髪型だったが、この試合では短髪で茶色っぽい。ムンディンはエリスより短い坊主頭。ゴング。ムンディンが左のガードを下げた構えから左ジャブ、突き刺すような右ストレート、左ボディ打ち。構え方と打ち方がロイ・ジョーンズ風。さらにサウスポーにスイッチしたりするなど元ラグビー選手とは思えない意外な器用さ。エリスもまた意外に動きがいい。ダッキングしながら前進し、シャープなストレート、フック。しかしながら、タフネスに問題。右ストレートが効いたエリス。ジャブ連打からの右ストレートでダウン。2R、攻めるエリス。ムンディンは相手の様子を見ながら右ストレート、左フック。3R、右ストレートでエリスがダウン。立ったが、セコンドがリングインして試合終了。ムンディンが伸びのあるストレートで快勝。他のスポーツから来た選手はぎこちなさがあるものだが、ムンディンは動きやパンチがスムーズだった。エリスはバランスの良さなどがあったが、無理なカムバックだった印象。その後の二人。ムンディンは多くの試合。決定戦でWBA世界スーパーミドル級王座を獲得したり、地域王座戦に出場したり。エリスはこれが最後の試合。ラストにふさわしい「オーストラリアの人気者」同士の対戦でキャリアを終えた。)

 

2025年7月5日土曜日

「20歳3ヶ月で戴冠」マンド・ラモス②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界ライト級王者。世界王者になる前の試合&WBC戦。フランキー・クロフォード戦(初戦)、ペドロ・カラスコ(三戦目)戦を紹介します。


マンド・ラモス(アメリカ)

身長175cm:オーソドックス(右構え)


フランキー・クロフォード 10R 判定 マンド・ラモス

(ライト級戦、1967年)

「20歳3ヶ月で戴冠」マンド・ラモス②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:デビューから連勝だったラモスだが、徐強一に3-0で初黒星。再起二連勝でクロフォード戦。クロフォードはペンシルベニア州エリー出身の白人。ラモスと同様、ロサンゼルス「オリンピック・オーディトリアム」が主戦場。敗北はあったが、KO負けは無し。このところ四連続KO勝ち。「オリンピック・オーディトリアム」での一戦。ややアップライトなスタイルのクロフォード。足でリズムを取りながらジャブ連打、右ストレート、左右フック、ボディ打ち。2Rには力強い右ストレートからの左フック。手数が多いが、攻めるときのガードに甘さ。ラモスは徐戦のようにフックで応戦していたが、次第に本来のジャブ、ワンツーで相手を追う展開に。ガードの隙を突いて左フックもヒットさせる。7R、気合いが入ったラモスが「打ってこい!」アピール。8Rにクロフォードが激しい連打(ホントに打ってきた)。その後もジャブで攻めるラモス、足で距離を取りながら打ち返すクロフォード。10R終了。判定は2-0。映像ではラモスがジャブ、ワンツー、左フックで勝ったように見えたが、クロフォード勝利。力強いパンチを打つシーンは確かにあったが、それはラモスも同様。この後、ダイレクト・リマッチが行われ、3-0でラモスが雪辱。その後、クロフォードはカリフォルニア州王座(フェザー級)を獲得したり、来日して西城正三のWBA世界フェザー級王座に二度挑戦したり(2-0、3-0で敗北)。キャリア終盤にはビセンテ・サルディバル、ベン・ビラフロア、ボビー・チャコン、エデル・ジョフレに敗北。ジョフレ戦後に引退したが、カムバック。後の世界王者ホセ・ルイス・ラミレスにTKO負け(1976年)。この後、トラブルによりボクシング関係者に銃で撃たれたらしい。身体に障害が残り、1982年に35歳で死去。「銃での自殺」と報道されている。)


その後のラモス 

当時、世界J・ライト級王者だった小林弘に判定勝ち。カルロス・テオ・クルス(ドミニカ)の世界ライト級王座に挑戦して判定負け。クルスと王座を懸けた再戦。TKO勝利で世界王者に。沼田義明をKOして初防衛。二度目の防衛戦でイスマエル・ラグナにTKO負けで王座陥落。シュガー・ラモス、ラウル・ロハス、ルーベン・ナバロ相手に連勝。ペドロ・カラスコとのWBC世界ライト級王座決定戦で反則負け。再戦は2-1でラモスがWBC王者に。初防衛戦はカラスコとの三度目の対戦で、決着戦。


マンド・ラモス 15R 判定 ペドロ・カラスコ

(WBC世界ライト級タイトル戦、1972年)

「20歳3ヶ月で戴冠」マンド・ラモス②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:左フックでカラスコがダウン

2R:右フックでカラスコがダウン

(感想:ラモスがタイトル初防衛。挑戦者カラスコはスペイン・アロスノ出身。1962年にイタリアでプロデビュー。スペインを主戦場に移して連戦連勝で欧州ライト級王者に。王座を連続防衛後、欧州J・ウェルター級王座も奪取。そのまま勢いで、ラモスに勝利してWBC王者に。しかし、その試合ではダウンを喫する厳しい内容。再戦は2-1の敗北。王座奪回なるか、といったところ。スペイン・マドリードでの一戦。1R、似たタイプの二人。互いにジャブ、ワンツー、フック。攻める姿勢で前進するラモスは踏み込んで左フック。カラスコは相手と距離を取りながら戦おうとするが、右ストレートが効いた。フォローの左フックで痛烈なダウン。2Rには強烈な右フックでダウン。そこから粘るカラスコ。ワンツーからの左ジャブ、左フックダブルといったテクニック、パワフルな左ボディ打ち。ラモスはディフェンスしながら得意のジャブ、ワンツー。右ストレート、左フックを時折ヒットさせる。15R終了。判定は2-1。実力的には互角のものを感じた試合。攻勢点でラモス勝利。カラスコの受け身の試合ぶりは挑戦者としては不利だった印象。その後の二人。カラスコは二連続TKO勝ちで引退。ラモスは次の防衛戦でチャンゴ・カルモナにTKO負け。どうやら私生活に問題(薬やアルコール)があったらしく、王者として長く活躍することができなかったうえに王座陥落後は連続KO負けするなどの不安定さ。引退後は妻のサポートで回復。青少年組織を設立し、アルコール、薬物、ボクシングについて指導する生活。しかし2008年、59歳で死去。晩年は心臓が不調だったという。) 

「20歳3ヶ月で戴冠」マンド・ラモス①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界ライト級王者。世界王者になる前の試合。ホルヘ・ベビー・サラサール戦、ピート・ゴンザレス戦、徐強一戦を紹介します。


マンド・ラモス(アメリカ)

身長175cm:オーソドックス(右構え)


マンド・ラモス 10R 判定 ホルヘ・ベビー・サラサール

(J・ライト級戦、1966年)

「20歳3ヶ月で戴冠」マンド・ラモス①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ラモスはカリフォルニア州ロングビーチ出身。1965年、ロサンゼルス「オリンピック・オーディトリアム」において17歳でプロデビュー。以来、連戦中。サラサールはメキシカンで、サウスポー。1956年デビューのベテランだが、連勝したり、ビセンテ・サルディバル、イスマエル・ラグナにKO負けしたりといったキャリア。直前の試合は実力者フランキー・クロフォードにアメリカで判定勝ち。「オリンピック・オーディトリアム」での一戦。身長差のある二人。長身のラモスは攻めの姿勢。正確なジャブ、右ストレート、左フック、斜め下からの右フック。サラサールは距離を取って受け身の姿勢を基本とし、接近して左ストレート、ボディ連打。しつこい攻撃が武器のようだ。2Rから激しい接近戦が続く。互いにフックの応酬。ラモスは背を曲げて小柄なサラサールのボディを叩く。サラサールは打たれ、勢いを削がれる。それでも最後まで打ち合いを継続し、10R終了。判定は3-0。ラモスがパンチの正確さ・手数で勝利。ただ、力強いパンチを打っていたが、ダウンを奪えず。サラサールは攻めたがディフェンスされ、攻撃の正確さ敗北。ただ、タフネスはあった。その後もサラサールはリングに上がったが、負けが続いて引退。)


マンド・ラモス 10R 判定 ピート・ゴンザレス

(ライト級戦、1967年)

「20歳3ヶ月で戴冠」マンド・ラモス①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:サラサール戦後も連勝のラモス。ゴンザレスはオレゴン州の選手。アマチュアではフライ級で全米王者に。プロでは勝ったり負けたりで苦戦(サラサールにTKO負け、ラウル・ロハスに判定負け。おそらく体格差の問題だと思われる。アメリカでは小さい選手が活躍する場が少なく、階級が上の選手との試合を強いられることも多い)。直前の試合は2-0で勝利。「オリンピック・オーディトリアム」での一戦。この試合もサラサール戦と同様、身長差。体格で不利なゴンザレスはジャブ連打で接近してフックを打つが、不正確。あまり接近戦は得意ではなさそうなのに加え、ディフェンスされてしまう。ラモスは離れた距離ではジャブ、ワンツー、接近戦ではフック連打、ボディ打ち。パンチを当てるラモスだがサラサール戦と同様、ボディ打ちがローブローになるシーンも。パンチの正確さでラモスがポイント上、優勢。しかし、ゴンザレスはタフネスで最後まで攻めの姿勢。10R終了。判定は3-0。ラモスが右ストレートで勝利。ゴンザレスは相手のディフェンスに飲み込まれた形。その後、ゴンザレスはカリフォルニア州王座(フェザー級)に挑戦して判定負けするなど大きな活躍をすることなく引退(1969年)。)


徐強一 10R 判定 マンド・ラモス

(ライト級戦、1967年)

「20歳3ヶ月で戴冠」マンド・ラモス①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:連勝中のラモスがアジア人と勝負。徐強一(ソ・ガンイル。日本では「じょ・きょういち」と呼ばれたことも)は韓国人(ソウル出身)。朝鮮戦争により家族が崩壊した過去。韓国フェザー級王者になったが、関光徳(東洋フェザー級王座戦)、フラッシュ・エロルデ(世界J・ライト級王座戦)、小林弘に敗北。日本で二連勝してラモス戦。「オリンピック・オーディトリアム」での一戦。似た体格、戦い方。ジャブ、ワンツー、左フック、ボディ打ち。攻めるラモス。やや受け身の徐はなかなかパワーがあり、叩きつけるような右フックからの左フックに迫力。手数を出し、ディフェンスしながら接近戦で互角の打ち合い。この試合、ラモスはジャブ、ストレートが少な目。相手のフック攻撃に付き合ってフックを使うシーンが多い。最後まで打ち合いが続いて10R終了。判定は僅差の3-0。徐がフックの強さで勝利。初黒星のラモスは作戦ミスだったのではないか? いつものようにジャブ、ワンツーで行けば結果は逆だったかも。その後、徐はラウル・ロハス(カリフォルニア州公認世界J・ライト級王座戦)、沼田義明(東洋J・ライト級王座戦)に敗北。世界王者にはなれなかった。)

 

2025年7月4日金曜日

「ピッツバーグのサウスポー」ポール・スパダフォーラ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

IBF世界ライト級王者。世界王者になる前の試合&世界王者時代の試合。デニス・ホルバエク・ペーダーセン戦ほかを紹介します。


ポール・スパダフォーラ(アメリカ)

身長175cm:サウスポー


ポール・スパダフォーラ 4R TKO マイケル・ロペス

(J・ライト級戦、1996年)

「ピッツバーグのサウスポー」ポール・スパダフォーラ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

3R:右フックでロペスがダウン

(感想:ペンシルベニア州ピッツバーグ出身の白人スパダフォーラ。貧困と薬物に苦しむ家庭の出。11歳でボクシングを始める。アマチュアで優秀な戦績。プロ入り後、これまで4連勝(2KO)。ロペスはフロリダ州マイアミの黒人だが、1勝(1KO)6敗の「かませ犬」的なキャリア。マイアミでの一戦(会場でビニー・パジェンザが美女(奥さん?)と観戦)。ゴング前、ちょっとしたダンスを披露するロペス(明るい人)。試合ではトリッキーな動きを入れながら勢いで連打(左右フックなど)。ただ、真っ直ぐ攻めるクセがあり、攻めているときのガードに甘さ。スパダフォーラはマジメなボクシング。「いかにもサウスポー」といった感じで、ダッキングしながら前進。右ジャブ、ワンツー、右フックを正確に入れようとする(パーネル・ウィテカーのようなタイプ)。2R、スパダフォーラの左ストレートがクリーンヒット。3R、左フックからの右フックでロペスがダウン。その後も左を打たれるロペスはこのラウンド終了後に棄権。スパダフォーラが正統派スタイルで勝利。当てるテクニックを見せた。ロペスは手数で頑張るタイプだが、ガードに問題。その後も若手時代のビビアン・ハリスにTKO負けするなど負け続けて引退。)


ポール・スパダフォーラ 10R 判定 チャールズ・チョニオウスキー

(J・ウェルター級戦、2001年)

「ピッツバーグのサウスポー」ポール・スパダフォーラ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

10R:左ストレートでチョニオウスキーがダウン

(感想:ロペス戦後のスパダフォーラ。さらに連勝後、王座決定戦で判定勝ちしてIBF世界ライト級王座を獲得。連続防衛。これまで33連勝(14KO)、25歳。チョニオウスキーとノンタイトル戦。チョニオウスキー(24歳)はペンシルベニア州フィラデルフィア出身の白人。デビューから概ね好調(「アリ・モハメド」なる選手に二連勝)で20勝(11KO)3敗1分。中堅どころに勝利してきたが、直前の試合は判定負け。ウェストバージニア州チェスターでの一戦。ゴツいパンチ&タフネスで勝負するチョニオウスキー。攻めの姿勢でジャブを連打し、右パンチ(ストレート、フック)を狙う。また、打つときはフックをまとめるなど手数も多い。スパダフォーラは左のテクニック。ジャブ、ワンツー、パワーを込めた右フック、コンビネーション(ワンツーからの右フック)。4R、スパダフォーラの左ストレートがヒット。チョニオウスキーは打たれても前進して逆にパンチを当てる勇ましさ。しかし、右目下を負傷。10R、スパダフォーラが右フックを決め、左ストレートでチョニオウスキーのマウスピースを落下させる。そしてラウンド終了間際、左ストレートでチョニオウスキーがダウン。立ち上がり、10R終了。判定は3-0。打たれるシーンもあったが、スパダフォーラがディフェンス&パンチの正確さで勝利。チョニオウスキーは最後まで前に出るなどよく頑張った。その後のチョニオウスキー。アイバン・ロビンソンに2-0で勝利できたが、マイケル・スチュワートとの全米スーパーライト級王座決定戦にTKO負け。以後は勝ったり負けたりでキャリア終了。)


ポール・スパダフォーラ 12R 判定 デニス・ホルバエク・ペーダーセン

(IBF世界ライト級タイトル戦、2002年)

「ピッツバーグのサウスポー」ポール・スパダフォーラ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:スパダフォーラがタイトル防衛。チョニオウスキー戦の次の試合でエンジェル・マンフレディ相手にIBF王座を防衛したスパダフォーラ。次の挑戦者ペーダーセンはデンマーク・コリング出身の白人で、IBCライト級王者でもある。ニックネームは「The Menace(脅威の男)」。これまでの試合は全てデンマーク。IBC王座(ライト級、スーパーフェザー級)、欧州王座(スーパーフェザー級)を獲得しているが、欧州王座戦でKO負け。その後は連勝で、IBFインターコンティネンタル王座(スーパーフェザー級)を獲得し、欧州王座を奪回している。ウェストバージニア州チェスターでの一戦(一応「IBF・IBCライト級王座統一戦」。「団体の格」が違いすぎるが)。細かい打ち合い。坊主頭のスパダフォーラはジャブが多く、ワンツー、右フック。ペーダーセンは細かい打ち方で左フックからの右ショートなどに当てる巧さ。4R、ペーダーセンの右フックで足に来たスパダフォーラだが、ジャブで体勢を立て直す。その後は互いにパンチを当てるが、スパダフォーラがジャブで試合をリード。ペーダーセンは単発のヒットに終わる。12R終了。判定は3-0。スパダフォーラがジャブ、左ストレート、ディフェンスで勝利。細かいパンチの応酬となったが、スパダフォーラは長いパンチ(左ストレート)も効果的だった。その後の二人。この試合後、ペーダーセンはブランク。カムバックしたが、リッキー・ハットンとWBU王座(スーパーライト級)を争ってTKO負けだった。スパダフォーラは次の試合でWBA王者レナード・ドーリンとIBF・WBA世界ライト級王座統一戦を行ったが、引き分け(2003年)。その後もリングに上がり続けたが、トラブル(刑務所に収監されたことも)などにより試合間隔が長めに。2013年、WBA世界スーパーライト級暫定王座戦で判定負け、プロ初黒星。ボクサーとして成功したが、数々のトラブル。キャリアを台無しにしてしまった。)