2024年6月30日日曜日

「強打の三男」ジェリー・ペニャロサ①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

WBC世界J・バンタム級、WBO世界バンタム級王者。WBC王座戦。イポリト・サウセド戦、趙英柱戦、ホルヘ・ルナ・サラテ戦を紹介します。

ジェリー・ペニャロサ(フィリピン)

身長163cm:サウスポー


ジェリー・ペニャロサ 10R 判定 イポリト・サウセド

(バンタム級戦、1997年)

「強打の三男」ジェリー・ペニャロサ①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

10R:ワンツーでサウセドがダウン

(感想:ペニャロサはフィリピンの有名な「ペニャロサ三兄弟」の三男(長兄のドディ・ボーイ・ペニャロサはIBF世界J・フライ級、フライ級で二階級制覇。次兄のジョナサン・ペニャロサは世界挑戦の経験)。デビュー以来、連勝でIBFのインター王座(J・フライ級)を獲得。しかし、サムエル・デュラン(日本で辰吉と戦ったり、オルランド・カニザレスのIBF世界バンタム級王座に挑戦したりで有名)のフィリピン・バンタム級王座に挑戦して判定負け、初黒星。その後、ローランド・ボホール、ローランド・パスクワといった選手を相手に連勝。「WBC1位」として初の世界挑戦。川島郭志から判定でWBC世界J・バンタム級王座獲得。李承九(韓国)を相手にKOで初防衛。その次の試合がこのノンタイトル戦。これまで37勝(23KO)1敗1分。13勝(5KO)3敗1分のサウセド(29歳)はメキシカン。デビュー戦はTKO負け。その後も敗北はあったが、北米王座(J・バンタム級)獲得。ダニー・ロメロのIBF世界J・バンタム級王座挑戦はTKO負け。再起戦に勝利して、このペニャロサ戦。コネチカット州マシャンタケットでの一戦(リングアナはマイケル・バッファ。会場ではモンテル・グリフィンが観戦。当時、グリフィンはWBC世界ライトヘビー級王者。しかし、このすぐ後、ロイ・ジョーンズ・ジュニアとの再戦でKO負けして王座陥落)。右ジャブで慎重に相手の様子を見るペニャロサ(25歳)。サウセドも相手を警戒してジャブ。2Rから攻めるサウセド。長いジャブ、右ストレート、フック、左ボディ打ち。なかなかシャープなパンチ。ペニャロサはジャブ、ワンツーでカウンター。右フックにパワーがある。しかしながら、ペニャロサは全体的に受け身。右フック、左ボディ打ちに良さがあるサウセドは攻めの姿勢で手数が多い。10R、ワンツーでサウセドがダウン。ラウンド終了後にも打ち合う。判定は3-0。意外なことにフルマークでペニャロサ。パワーで勝っていたが、受けに回るシーンが多かった。サウセドは手数が全く評価されなかった。シャープなパンチであったが、パワー不足だったか。その後のサウセド。再起戦に勝利(1997年10月)。しかし、1998年2月に自ら命を絶った。思うようにならない人生に悲観したようだ。)


ジェリー・ペニャロサ 10R TKO 趙英柱

(WBC世界J・バンタム級タイトル戦、1997年)

「強打の三男」ジェリー・ペニャロサ①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:右フックでペニャロサがダウン

10R:ボディ連打で趙がダウン

(感想:ペニャロサがタイトル防衛。二度目の防衛戦(97年最後の試合、11月)。WBC9位の挑戦者、趙(韓国)は無敗。これまでの試合は全て地元で王座戦はこれが初めて。韓国での一戦(リングサイドにWBC会長ホセ・スライマン)。共にサウスポー。右ジャブ、左ストレート、右フック。しかしながら、「パンチの伸び」でペニャロサ。1Rから左ストレートを当て、ボディ打ちも力強い。ところが右フックでペニャロサがダウン(大いに盛り上がる会場)。しかし、趙は1Rから左マブタをカットするハンデ。その後も趙は上体を忙しく動かしながら前進。ペニャロサはディフェンスしながらジャブ、ストレートでカウンター。6R、ペニャロサが右フック、連打で優勢。10R、ボディ連打で趙がダウン。立ったが、レフェリーストップ。ペニャロサが粘り強い試合ぶりで勝利。相手の攻撃をブロックし、伸びとパワーのあるパンチを打ち込み続けた。趙はよく頑張ったが、ブロックされた。相手のガードを突破するような攻撃が少なかった印象。これが最後の試合に。)


ジェリー・ペニャロサ 2R 負傷引分 ホルヘ・ルナ・サラテ

(WBC世界J・バンタム級タイトル戦、1998年)

「強打の三男」ジェリー・ペニャロサ①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ペニャロサがタイトル防衛。三度目の防衛戦(98年初試合、4月)。挑戦者サラテはメキシカン。あのカルロス・サラテの甥。デビューから全勝でフリオ・セサール・ボルボアのIBF世界J・バンタム級王座に挑戦したが、判定負け(1993年)。再起戦でメキシコ王座(J・バンタム級)を獲得。それから時が過ぎ、この二度目の世界挑戦。フィリピン・パサイでの一戦(レフェリーはリチャード・スティール)。左右の構えの違いはあるが、共にガードを上げてジャブ、ストレート。サラテはカルロスに似た構えからジャブ、右ストレート。しかし、1Rからペニャロサが左ストレートを当てる。2Rには左カウンター。そしてバッティング。右目付近を負傷したペニャロサがドクターチェック。試合終了。注目の対決だったが、あっけなく終わってしまった。左ストレートでペニャロサが優勢ではあったが、その後もそのパターンが続くとは限らない。ただ、サラテはカルロスほどパワーは感じられず。結局、両者の再戦は無し。その後、サラテは二度の世界挑戦のチャンスを得たが、いずれも判定負け。世界王者にはなれなかった。)

ジェリー・ペニャロサ②

曺仁柱戦(初戦・再戦)、ラモン・ウルタド戦

ジェリー・ペニャロサ③

ポーン・シンモロコット戦、山口圭司戦、徳山昌守戦(初戦)

ジェリー・ペニャロサ④

ジョエル・アビラ戦、オスカー・アンドラーデ戦、田中聖二戦、徳山昌守戦(再戦)

ジェリー・ペニャロサ⑤

トマス・ロハス戦、マウリシオ・マルチネス戦、ラタナチャイ・ソーウォラピン戦(再戦)、ファン・マヌエル・ロペス戦 

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