2023年11月30日木曜日

「豪快なワンツー」ルイシト・エスピノサ①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界バンタム、フェザー級王者。長いパンチが武器。カオコー・ギャラクシー戦、イスラエル・コントレラス戦ほかを紹介します。

ルイシト・エスピノサ(フィリピン)

身長173cm:オーソドックス(右構え)

ルイシト・エスピノサ 1R KO カオコー・ギャラクシー

(WBA世界バンタム級タイトル戦、1989年)

「豪快なワンツー」ルイシト・エスピノサ①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:カオコーがダウン

(感想:エスピノサがタイトル獲得。マニラ出身のエスピノサ。12人兄弟の貧しい家庭の出。彼の伯父はフライ級の強豪だったレオ・エスピノサ。その縁もあってプロ入り。後の世界王者ファン・ホセ・エストラーダ(六車卓也をKOしてWBA世界J・フェザー級王座を防衛したことも)に敗北するなど、取りこぼしも目立つ。しかしながら、試合を観戦した人の話によると「不運な負け」が多かったという(エストラーダ戦はローブローされたうえに負けにされたとか)。ニックネームは「ゴールデン・ボーイ」。ツイてない負けはあったが、ついに世界初挑戦。直前の試合では尾崎恵一に判定勝ち。王者カオコーはあのカオサイ・ギャラクシーの双子の兄。文成吉に敗れてWBA世界バンタム級タイトルを失ったが奪回。これが初防衛戦となる。バンコクで行われた実力者同士の注目カード。フットワークと速いジャブのエスピノサ。カオコーはジリジリと前に出る。両者が構えて向かい合っているタイミングで突然カオコーが後ろにひっくり返ってロープにもたれる。「KO」で試合終了。実に不思議な勝ち方で世界王者になったエスピノサ。左フックを当てたシーンもあったが、それが決定打というわけではなさそう。突然気を失って倒れたカオコーは「てんかん」だったという。これがカオコーのラストファイトになった。)


ルイシト・エスピノサ 9R TKO ハーリー・スニード

(WBA世界バンタム級タイトル戦、1990年)

「豪快なワンツー」ルイシト・エスピノサ①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:右ストレートでスニードがダウン

2R:左フックでスニードがダウン

7R:左ジャブでエスピノサがダウン(レフェリーはダウン扱いせず)

8R:右ストレートでスニードがダウン

(感想:エスピノサがタイトル初防衛。カオコー戦後、ノンタイトル戦でTKO勝ちしたエスピノサ。それから少し間隔が空いて初防衛戦。挑戦者はアメリカの黒人選手スニード(WBA1位)。スピードで勝負する男。フィリピンのエスピノサとアメリカのスニードがバンコクで世界戦(オプションの関係?)。1R、ジャブ、左右フックで前に出るスニード。エスピノサはフットワークを使って伸びるジャブ、ストレートを打ち、連打をまとめる。右ストレートでスニードがダウン。2Rには左フックでダウン。その後もスニードは厳しい試合。エスピノサのフットワークとディフェンスによりパンチがあまり当たらない。しかも目が腫れていく。8Rにこの試合、三度目のダウン。その時の右ストレートで目をさらに痛めて8R終了で棄権。エスピノサが快勝。7Rに微妙なシーンはあったが、初回からダウンを奪うなどエスピノサの動きは軽く、パンチには伸びがあってパワフルだった。その見事な動きにスニードが平凡な選手に見えたほどであった。スニードは次の試合でウェルカム・ニシタのIBF世界J・フェザー級王座に挑戦して判定負け。それが最後の試合となった。)


ルイシト・エスピノサ 12R 判定 タルーンサク・シスボーベー

(WBA世界バンタム級タイトル戦、1990年)

「豪快なワンツー」ルイシト・エスピノサ①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

4R:ワンツーでタルーンサクがダウン

(感想:エスピノサがタイトル防衛。スニード戦後、ノンタイトル戦でKO勝ちしたエスピノサ(世界王者にしてはよくノンタイトル戦をやる選手)。二度目の防衛戦。挑戦者タルーンサクは「タノムサク・シスボーベー」の名で日本ではおなじみのタイ人。戦績は良いが、日本で松村謙二に敗れ、東洋太平洋フライ級王座陥落。敗北はそれのみ。バンコクでの一戦。エスピノサが軽快なフットワーク&ジャブ、そして右フック。タルーンサクは様子見なのか、なかなか手を出さない。4R、ワンツーでタルーンサクがダウン。その後、エスピノサは右ストレートからの左フックなどを豪快に振るう。タルーンサクは右ストレート、左フックに良いものがあるが、相手の勢いとディフェンスにより攻撃が単発に終わる。6R、エスピノサが右フックをヒット。8R、接近戦での打ち合い。終盤、攻めるタルーンサク。エスピノサはフットワーク、ジャブ、連打。12R終了。判定は3-0だが、二人のジャッジは2ポイント差。エスピノサはもう少しで引き分け、または負けにされるところだった。タルーンサクは残念。思い切りの良さが足りない。後に日本で鬼塚勝也に二連敗したのはそれが原因。)  


イスラエル・コントレラス 5R KO ルイシト・エスピノサ

(WBA世界バンタム級タイトル戦、1991年)

「豪快なワンツー」ルイシト・エスピノサ①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

2R:連打、左フックで2度、コントレラスがダウン

5R:連打、左フックで2度、エスピノサがダウン

(感想:コントレラスがタイトル獲得。エスピノサが三度目の防衛戦。これまでの世界戦は全てタイで行ってきたが、今回は地元。キッチリ勝ちたいところ。挑戦者コントレラスはベネズエラ人。パワーが売り物。デビュー以来、無敗でカオサイ・ギャラクシーのWBA世界J・バンタム級王座に挑戦したが5RでKO負け。再起して連勝。新興団体WBOの初代バンタム級王者に。ノンタイトル戦であのウィルフレド・バスケス(プエルトリコ)を何と1RでKO(当時バスケスはWBA世界バンタム級タイトルを失ったばかりだった。この敗北後、三階級制覇達成)。エスピノサに挑戦するためにWBO王座を返上。こちらも絶対に勝ちたいところ。フィリピン・ケソン市での一戦。ジャブとフットワークのエスピノサを強打で追うコントレラス。しかし、2Rに二度のダウン。それでも前進するコントレラス。5Rに逆転のダウンを奪う。最後、うずくまったエスピノサは立てなかった。強打者対決はコントレラスに軍配。共にハードパンチャーではあるが、打たれ弱さがある。そのためスリリングな試合になった。その後、減量苦のエスピノサは階級を上げフェザー級へ。コントレラスは初防衛戦でエディ・クックにKO負け、王座陥落。5RでKO勝ちして獲得した王座を5RでのKO負けで失った。)

エデュアルド・ロハス戦、イブゲニー・ブルチャック戦、アレハンドロ・ゴンザレス戦(初戦)、岩佐智昭戦、ラウル・ペレス戦

マヌエル・メディナ戦(初戦)、アレハンドロ・ゴンザレス戦(再戦)、セサール・ソト戦(初戦)、平仲信敏戦

マヌエル・メディナ戦(再戦)、カルロス・リオス戦、ケネディ・マッキニー戦、セサール・ソト戦(再戦)

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