2025年7月5日土曜日

「20歳3ヶ月で戴冠」マンド・ラモス①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界ライト級王者。世界王者になる前の試合。ホルヘ・ベビー・サラサール戦、ピート・ゴンザレス戦、徐強一戦を紹介します。


マンド・ラモス(アメリカ)

身長175cm:オーソドックス(右構え)


マンド・ラモス 10R 判定 ホルヘ・ベビー・サラサール

(J・ライト級戦、1966年)

「20歳3ヶ月で戴冠」マンド・ラモス①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ラモスはカリフォルニア州ロングビーチ出身。1965年、ロサンゼルス「オリンピック・オーディトリアム」において17歳でプロデビュー。以来、連戦中。サラサールはメキシカンで、サウスポー。1956年デビューのベテランだが、連勝したり、ビセンテ・サルディバル、イスマエル・ラグナにKO負けしたりといったキャリア。直前の試合は実力者フランキー・クロフォードにアメリカで判定勝ち。「オリンピック・オーディトリアム」での一戦。身長差のある二人。長身のラモスは攻めの姿勢。正確なジャブ、右ストレート、左フック、斜め下からの右フック。サラサールは距離を取って受け身の姿勢を基本とし、接近して左ストレート、ボディ連打。しつこい攻撃が武器のようだ。2Rから激しい接近戦が続く。互いにフックの応酬。ラモスは背を曲げて小柄なサラサールのボディを叩く。サラサールは打たれ、勢いを削がれる。それでも最後まで打ち合いを継続し、10R終了。判定は3-0。ラモスがパンチの正確さ・手数で勝利。ただ、力強いパンチを打っていたが、ダウンを奪えず。サラサールは攻めたがディフェンスされ、攻撃の正確さ敗北。ただ、タフネスはあった。その後もサラサールはリングに上がったが、負けが続いて引退。)


マンド・ラモス 10R 判定 ピート・ゴンザレス

(ライト級戦、1967年)

「20歳3ヶ月で戴冠」マンド・ラモス①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:サラサール戦後も連勝のラモス。ゴンザレスはオレゴン州の選手。アマチュアではフライ級で全米王者に。プロでは勝ったり負けたりで苦戦(サラサールにTKO負け、ラウル・ロハスに判定負け。おそらく体格差の問題だと思われる。アメリカでは小さい選手が活躍する場が少なく、階級が上の選手との試合を強いられることも多い)。直前の試合は2-0で勝利。「オリンピック・オーディトリアム」での一戦。この試合もサラサール戦と同様、身長差。体格で不利なゴンザレスはジャブ連打で接近してフックを打つが、不正確。あまり接近戦は得意ではなさそうなのに加え、ディフェンスされてしまう。ラモスは離れた距離ではジャブ、ワンツー、接近戦ではフック連打、ボディ打ち。パンチを当てるラモスだがサラサール戦と同様、ボディ打ちがローブローになるシーンも。パンチの正確さでラモスがポイント上、優勢。しかし、ゴンザレスはタフネスで最後まで攻めの姿勢。10R終了。判定は3-0。ラモスが右ストレートで勝利。ゴンザレスは相手のディフェンスに飲み込まれた形。その後、ゴンザレスはカリフォルニア州王座(フェザー級)に挑戦して判定負けするなど大きな活躍をすることなく引退(1969年)。)


徐強一 10R 判定 マンド・ラモス

(ライト級戦、1967年)

「20歳3ヶ月で戴冠」マンド・ラモス①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:連勝中のラモスがアジア人と勝負。徐強一(ソ・ガンイル。日本では「じょ・きょういち」と呼ばれたことも)は韓国人(ソウル出身)。朝鮮戦争により家族が崩壊した過去。韓国フェザー級王者になったが、関光徳(東洋フェザー級王座戦)、フラッシュ・エロルデ(世界J・ライト級王座戦)、小林弘に敗北。日本で二連勝してラモス戦。「オリンピック・オーディトリアム」での一戦。似た体格、戦い方。ジャブ、ワンツー、左フック、ボディ打ち。攻めるラモス。やや受け身の徐はなかなかパワーがあり、叩きつけるような右フックからの左フックに迫力。手数を出し、ディフェンスしながら接近戦で互角の打ち合い。この試合、ラモスはジャブ、ストレートが少な目。相手のフック攻撃に付き合ってフックを使うシーンが多い。最後まで打ち合いが続いて10R終了。判定は僅差の3-0。徐がフックの強さで勝利。初黒星のラモスは作戦ミスだったのではないか? いつものようにジャブ、ワンツーで行けば結果は逆だったかも。その後、徐はラウル・ロハス(カリフォルニア州公認世界J・ライト級王座戦)、沼田義明(東洋J・ライト級王座戦)に敗北。世界王者にはなれなかった。)

 

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