IBF・WBA世界ミニマム級王者。王座戦のデンバー・クエリョ戦、ポンサワン・ポープラムック戦を紹介します。
ムハンマド・ラクマン(インドネシア)
身長160cm:オーソドックス(右構え)
①デンバー・クエリョ 9R TKO ムハンマド・ラクマン
(WBCインターナショナル・ミニマム級タイトル戦、2010年)
(ダウンシーン)
5R:左ストレートでラクマンがダウン
(感想:クエリョがタイトル防衛。インドネシア・メラウケ出身のラクマン。ニックネームは「Predator (捕食者)」。1993年、プロデビュー。連勝だったが、インドネシア・ミニマム級王座の獲得に失敗。しかし、勝つコツをつかんだか、連勝して同王座獲得、防衛。IBFの地域王座も獲得。ようやく世界戦のチャンス。2004年、ダニエル・レイジェス(コロンビア)を2-1で下し、IBF世界ミニマム級王者に。四度目の防衛戦でフィリピンのフローレンテ・コンデスに2-1の判定負け(2007年)。再起戦に勝利したが、ミラン・メリンド、オーレイドン・シスサマーチャイ(WBC世界ミニマム級王座戦、2009年)に敗北。これまで62勝(31KO)8敗5分、年齢は39。オーレイドンに敗れた再起戦でクエリョと対戦。21勝(12KO)4敗5分の王者クエリョ(23歳)はフィリピンのイロイロ州カバチュアン出身。9歳でアマチュアのリングに上がり、17歳でプロに。しかし、まだ身体ができていなかったらしく、デビュー戦は敗北。その後もドロー、敗北。実力を付け、フィリピン・ミニマム級王座を獲得。決定戦でWBCインター王者に。WBC王座挑戦者決定戦で反則負けして後退。「仕切り直し」といった感じで元世界王者ラクマンとインター王座防衛戦。フィリピンのイリガン・シティでの一戦。共にスリムな体型で、似た体格。左右の構えの違いはあるが、共にジャブ連打。パワーも同じくらいか。構え方、右ストレートを伸ばす姿が大場政夫に似ているラクマン。しかし、試合はクエリョがサウスポーのテクニックで優勢。ラクマンのストレート、ショートフックをディフェンスし、左ストレート、連打で手数。斜め下からの左フックにも威力。3R、クエリョの左ストレートがクリーンヒット。5R、左ストレートでラクマンがダウン。その後もクエリョの左構えにラクマンは空転。8R、クエリョの左ストレート&連打。9R、ラクマンが右フックを食ったところでレフェリーストップ。クエリョが積極的な攻めで勝利。一方、ラクマンはこれが初のKO負け。サウスポーが苦手らしく、攻撃が単発に終わった。その後のクエリョ。連勝。インター王座を防衛したり、WBCシルバー王座(ミニマム級)を獲得したり。しかし、熊朝忠に2-0での判定負けでWBC世界ミニマム級王座奪取ならず。アジア王座(バンタム級)に就いたが、世界王者にはなれなかった。)
②ポンサワン・ポープラムック 12R 判定 ムハンマド・ラクマン
(WBA世界ミニマム級タイトル戦、2011年)
(感想:ポンサワンがタイトル獲得。WBA世界ミニマム級王者クワンタイ・シッモーセンをKOして世界王座に返り咲いたラクマンが初防衛戦。挑戦者ポンサワンはタイ・タープラヤー出身。世界を目指すタイのエリートらしくプロ二戦目でPABA王座(ミニマム級)を獲得するなどデビューから連勝。PABA王座を守り続け、タイ王座(ミニマム級)も獲得。全勝のままドニー・ニエテスと空位のWBO世界ミニマム級王座を争ったが、3-0で初黒星。オーレイドン・シスサマーチャイのWBC世界ミニマム級王座、エドガル・ソーサのWBC世界ライトフライ級王座への挑戦も失敗。オーレイドンとの再戦で引き分けた次の試合で、この挑戦。インドネシア・ジャカルタでの一戦。この試合のラクマンはフットワーク&ジャブのアウトボクシング。接近されて打ち合いも展開。しかし、さすがにスピードはそこそこ(キャリア終盤のシュガー・レイ・レナードのような雰囲気だった)。ポンサワンは終始前進し、右ストレート、フック。フックは意外に迫力がなく、ストレートに強さ。アウトボクシングのラクマン、攻めるポンサワン。接近戦では互角に打ち合うが、勢いはやはりポンサワン。ラクマンは当てる巧さを時折見せるが、攻められてクリンチするシーンも。12R終了。共に両手を上げて自身の勝利をアピール。判定は極めて僅差の2-0。ポンサワンが攻勢点で勝利。ラクマンは年齢の割にはよく頑張った。その後の二人。ポンサワンは初防衛戦を日本で行い、八重樫東にKO負け。2012年にWBA世界ミニマム級王座決定戦に出場したが、宮崎亮に2-1の判定負け。PABA戦が中心のキャリアで、世界王者としては活躍できなかった。ラクマンは何とその後もタイトル戦に出場。IBOインターナショナル・ライトフライ級王座を決定戦で獲得。WBA世界ミニマム級暫定王者ノックアウト・CPフレッシュマートに挑戦したが、3-0で敗北。ラストファイトは2016年で、インドネシア・・ライトフライ級王座決定戦で2-1の敗北。長いキャリアを終えた後はボクシングのプロモーターになった。)


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