世界フライ級、J・バンタム級王者。フライ級時代のファン・エレラ戦、イラリオ・サパタ戦ほかを紹介します。「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」
サントス・ラシアル(アルゼンチン)
身長155cm:オーソドックス(右構え)
①チャーリー・マグリ 10R 判定 サントス・ラシアル
(J・バンタム級戦、1980年)
(ダウンシーン)
1R:右フックでマグリがダウン
(感想:アルゼンチンのウインカ・レナンコ出身のラシアル。小柄であるが、ガッチリした身体。まるで「エネルギーの塊」であるかのように猛烈な連打で実力者を下し、世界二階級制覇。17歳でプロデビュー。アルゼンチンの選手は滅法試合数が多いが(よくそんなに選手がいるもんだ)、ラシアルもハイペースでリングへ(月に二度、試合したことも)。ローカル王座(フライ級)を獲得後、判定で初黒星。後の世界王者グスタボ・バリャスにも判定負け。それからは負け無しで、アルゼンチン王座、南米王座(いずれもフライ級)を獲得。これまでの海外試合はチリで一試合のみ。マグリはチュニジアのチュニス出身で、英国籍。ジャブ、ストレートの典型的な英国ボクサー。1976年のモントリオール・オリンピックにフライ級で出場するなどアマチュアで経験を積んでプロ入り。これまで全勝。英国王座、欧州王座(いずれもフライ級)を獲得。元WBA世界フライ級王者アルフォンソ・ロペスに判定勝ちしている。英国ケンジントン「ロイヤル・アルバート・ホール」での一戦(ハイライト映像で観戦。レフェリーはシッド・ネイサン)。開始からパワフルなラシアル。大きめの右フックでマグリをダウンさせる(しかし、レフェリーはカウントを取らず)。オーバーライトな右フック、左ボディ打ちなどで攻撃。マグリはクリンチしながら左ジャブ、右ストレート、フックで応戦。インサイドから隙を突くアッパーに良さ。その後、パワフルながら1Rのような激しい攻めが少なくなっていくラシアル(大きなフックを振る戦い方は疲れるのだろう)。マグリはインサイドからのパンチ、右ストレートからの左フックといったテクニック。10R終了。両者とも両手を上げて自身の勝利をアピール。判定はPTS。レフェリーが採点し、わずか1ポイント差。イーブンのラウンド多し。ボクシングはディフェンスが物を言う。映像ではどの程度パンチが当たっているのかがわかりにくい。ラシアルがクリンチで休むシーンもあったが、映像ではラシアルがパワーで押していたように見えた。どうやら英国にひいきな判定だったようだが、マグリには巧さがあった。その後のマグリ。KO負けで急ブレーキ。さらにTKO負け。欧州王座を防衛後、エレオンシオ・メルセデスをTKOしてWBC世界フライ級王者に。しかし、初防衛戦でフランク・セデニョにTKO負け。新WBC王者ソット・チタラダに挑戦したが、TKOで王座奪回ならず。それが最後の世界戦となったが、ラストファイトの相手は後の三階級制覇王者デューク・マッケンジー。英国王座と保持する欧州王座を懸けたダブルタイトル戦だったが、TKO負けだった。)
その後のラシアル
マグリ戦後、地元での再起戦でKO勝ち。その次の試合は南アフリカ・ヨハネスブルグでのWBA世界フライ級王座への挑戦。ピーター・マセブラをTKOして世界王者に。しかし、初防衛戦でルイス・イバラ(パナマ)に判定負けで王座陥落。ファン・エレラにTKO勝ちでWBA王座奪回。そこから安定王者の道。ベツリオ・ゴンザレス、穂積秀一、申喜変(後のIBF世界フライ級王者)らを相手に防衛。六度目の防衛戦は前王者エレラとの再戦。
②サントス・ラシアル 15R 判定 ファン・エレラ
(WBA世界フライ級タイトル戦、1984年)
(感想:ラシアルがタイトル防衛。挑戦者エレラはメキシコ・メリダ出身。二度の判定負けはあったが、ローカル王座を獲得するなどデビューから好調。ルイス・イバラをTKOしてWBA王者に。ベツリオ・ゴンザレスをTKOして初防衛。二度目の防衛戦でラシアルにTKO負け、王座陥落。それから四連勝でラシアルと再戦。イタリア・マルサラでの一戦(レフェリーはラリー・ハザード)。足で距離を取りながらアウトボクシングのエレラ。ジャブ中心で、時折右ストレート、左フック。ラシアルはいつものように前進し、ストレート、フック。互いにディフェンス。次第にタフな接近戦に。しゃくり上げる左フックなど相手の隙を突くパンチを狙うラシアル。エレラは右ストレートからの左フック、左フック連打といったコンビネーション。ラシアルの右ストレート、左フックがヒットする。15R終了。判定は2-1。最後まで打ち合った試合。なかなか激しい内容となったが、ラシアルの左フックが効果的だったか。エレラはよく頑張ったが、ディフェンスされるシーンが多かったように見えた。その後のエレラ。勝ったり負けたりに。マグリと同様、デューク・マッケンジーと対戦(1987年。判定でマッケンジー勝利)。その次の試合にTKO負けで引退。)
③サントス・ラシアル 15R 判定 イラリオ・サパタ
(WBA世界フライ級タイトル戦、1984年)
(感想:ラシアルがタイトル防衛。八度目の防衛戦。挑戦者サパタは日本でもおなじみ。パナマシティ出身の黒人サウスポー。中島成雄を判定で下してWBC世界J・フライ級王座獲得(1980年)。中島(再戦)、後の世界王者ジョーイ・オリボ、ヘルマン・トーレスらを相手に防衛後、アマド・ウルスアにKO負けで王座陥落。しかし、新WBC王者の友利正から判定で王座奪回。その王座を張正九に奪われた後、 北米バンタム級王座に挑戦してTKO負け。ファン・ポロ・ペレス(後、IBF世界J・バンタム級王座獲得)らを相手に四連勝でラシアルに挑戦。二階級制覇なるか、といったところ。アルゼンチン・ブエノスアイレスでの一戦。身長差のある二人。背が高いサウスポーのサパタはアップライトスタイルで右ジャブ、ワンツー。基本的にはアウトボクシングだが、相手の接近には右ボディ打ち、左フックで対応。ただ、J・フライ級時代はまだパワーがあったが、フライ級ではまるでパワーが感じられない打ち方。ラシアルは左右に小さくダッキングしながら接近し、右ストレート、フック、ボディ打ちを振るうが、ディフェンスされる。サパタもまた軽いパンチをブロックされる。盛り上がるシーンがあまり見られないまま15R終了。判定は中差の3-0。互いに手数を出したが、ディフェンスし合った試合。ラシアルが攻勢点で勝利。サパタにパワーがなかったため世界戦としてはもう一つ。ただ、テクニックはあった。その後のサパタ。ラシアルが返上したWBA世界フライ級王座を決定戦で獲得。穂積秀一、ドディ・ボーイ・ペニャロサらを相手に防衛成功。全盛を遙かに過ぎた1993年に文成吉のWBC世界J・バンタム級王座に挑戦して1RでTKO負け。日本選手には強かったが、韓国人には苦戦したキャリアだった。)
その後のラシアル
WBA世界フライ級王座を9度防衛後、王座を返上。階級を上げてヒルベルト・ローマンからWBC世界J・バンタム級王座を奪って二階級制覇。しかし、初防衛に失敗。J・バンタム級王者としてはあまり活躍できなかったが、その後も王座奪回を目指してローマンと三戦目を行ったり、後に世界挑戦する選手(ルイス・オカンポ、ファン・カラーソ)と対戦したり。ラストファイトの相手は同じアルゼンチンのウーゴ・ソトで、判定負け。ソトは後、ラシアルがかつて保持していたWBA世界フライ級王座を獲得した。
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