2025年8月1日金曜日

「アリゾナ州の二冠王」ルイ・エスピノサ②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界J・フェザー級、フェザー級王者。世界王座陥落後のジェシー・ジェームズ・レイハ戦(北米王座戦)ほかを紹介します。


ルイ・エスピノサ(アメリカ)

身長173cm:オーソドックス(右構え)


ルイ・エスピノサ 2R KO フレディ・サントス

(J・ライト級戦、1992年)

「アリゾナ州の二冠王」ルイ・エスピノサ②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:左フックでサントスがダウン

2R:左ボディでサントスがダウン

(感想:元WBA世界J・フェザー級王者エスピノサ。当時全勝だったマウリシオ・ステッカをTKO してWBO世界フェザー級王座獲得。IBF王者ホルヘ・パエスと統一戦を行ったが、判定負け。(1990年)。そこから連勝したが、北米フェザー級王座決定戦でKO負け。全米フェザー級王座をKOで獲得。サントスとノンタイトル戦。これまで42勝(36KO)5敗2分。24勝(17KO)15敗2分のサントスはメキシカン。ヒルベルト・ローマン、ヘスス・サルード、マーク堀越、ガブリエル・ルエラスらに敗れている二線級。ニューメキシコ州アルバカーキでの一戦(リングアナはマイケル・バッファ)。共に口ヒゲ。1R、小柄なサントスが接近して右ストレート、振りが大きめのフック攻撃。エスピノサは安定したボクシング。ディフェンスしながらジャブ、ストレート、フックで隙を突く。この試合ではサントスが低い位置から攻めるため、フックで迎え撃つ戦法。かするような左フックでサントスがダウン。立ったサントスにエスピノサは左ボディ打ち。2R、攻めるサントスだが、左ボディでダウン。立ったが、ギブアップするような態度でカウントアウト。エスピノサが楽勝。トップクラスには苦戦するが、隙のある中堅には負けない安定感。サントスは大振りのパンチを見抜かれて敗北。ボクシングは相手に隙を見せてはならない。これが最後の試合に。) 


フランシスコ・セグラ 10R 判定 ルイ・エスピノサ

(J・ライト級戦、1992年)

「アリゾナ州の二冠王」ルイ・エスピノサ②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:セグラはカリフォルニア州ロサンゼルス出身。ニックネームは「Pancho」(「フランシスコ」の愛称らしい)。身長は小柄で164cm。これまで21勝(11KO)5敗。ヘクター・ロペス戦、カリフォルニア州王座決定戦(J・ライト級)に敗北の中堅どころ。アリゾナ州フェニックスでの一戦。開始から思い切った攻めをするセグラ。接近して右ストレート、左右フック連打。エスピノサはブロックしながらジャブで応戦し、ワンツーからの左フックといったコンビネーション。中途半端にサウスポーにスイッチするセグラ。これはほぼ効果無しだが、「右ストレートからの左ジャブ」が有効。ガードするエスピノサだが、打たれる。互いにディフェンスしながらの打ち合いが続いて10R終了。判定は僅差の2-1。セグラが積極さで勝利。エスピノサは残念。かつてWBA世界J・フェザー級王座から陥落した試合でフリオ・ヘルバシオの「右ストレートからの左ジャブ」でダウンしたシーンがあったが、そのときと同じ手でやられた。セグラはおそらくその試合を観たのだろう。その後のセグラ。この勝利が認められたか、ジョンジョン・モリナのIBF世界J・ライト級王座に挑戦。これにTKO負け。再起戦で全米フェザー級王者に。トム・ジョンソンのIBF世界フェザー級王座に挑戦したが、3-0の敗北。後の世界王者ロベルト・ガルシアと北米J・ライト級王座を争ってTKO負け。一定の実力はあったが、トップには立てなかった。)


ジェシー・ジェームズ・レイハ 12R 判定 ルイ・エスピノサ

(北米フェザー級タイトル戦、1993年)

「アリゾナ州の二冠王」ルイ・エスピノサ②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:レイハがタイトル初防衛。セグラに敗れたエスピノサが再起戦で王座に挑戦。王者レイハはテキサス州サンアントニオ出身で、これまで25勝(12KO)1分。デビューから中堅相手に好調。スティーブ・マクローリー、トロイ・ドーシーにも勝利するなど対戦相手のレベルを上げてきている状況で、WBC3位、IBF4位。テキサス州サン・アントニオでの一戦(会場ではレイハの父、WBC・IBF世界J・フライ級王者マイケル・カルバハルが観戦)。互いにジャブ連打。レイハは短髪でこじんまりした身体であるため地味に見えるが、ショートパンチが巧く、ダッキングなどディフェンスもしっかり。エスピノサはいつものようにワンツー、左フック、斜め下からの右フックを出すが、セグラ戦と同様、微妙に打たれる。レイハがショートフックを当てる巧さ、「右ストレートからの左ジャブ」でポイント上、やや優勢。11R、エスピノサがバッティングで減点。レイハは左眉付近をカット。12R、ドクターチェックを受けたレイハだが、続行。エスピノサの左フックがヒットして12R終了。判定は中差の3-0。レイハがブロッキング&当てるテクニックで勝利。エスピノサは動きの鋭さに欠け、細かいパンチを食っていた。このあたりが限界だろう。その後の二人。レイハは次の試合でアズマー・ネルソンのWBC世界J・ライト級王座に挑戦したが、ドローで奪取ならず。再戦でタフなネルソンからダウンを奪って判定勝ち、王座獲得。しかし、ガブリエル・ルエラスに判定負けで初防衛ならず。その後もリングに上がり続けたが、世界王座返り咲きならず。在位期間は短かった。エスピノサはアレハンドロ・ゴンザレス(WBC世界フェザー級王座戦)、ケビン・ケリー(WBUフェザー級王座戦)らとタイトル戦を行ったが、勝てず。パワーがある方ではなかったため、階級を上げて苦戦したキャリアだった印象。J・フェザー級時代が全盛期だった。) 

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