2025年7月31日木曜日

「アリゾナ州の二冠王」ルイ・エスピノサ①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界J・フェザー級、フェザー級王者。フリオ・ヘルバシオ戦(WBA王座戦)、アルフレド・ランヘル戦を紹介します。


ルイ・エスピノサ(アメリカ)

身長173cm:オーソドックス(右構え)


フリオ・ヘルバシオ 12R 判定 ルイ・エスピノサ

(WBA世界J・フェザー級タイトル戦、1987年)

「アリゾナ州の二冠王」ルイ・エスピノサ①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

12R:左ジャブでエスピノサがダウン

(感想:ヘルバシオがタイトル獲得。アリゾナ州ウィンケルマン出身のエスピノサ(フィリピンのルイシト・エスピノサとは別人)。高校時代はアマチュア・レスリング。「レナード vs. デュラン」の再戦を観て、ボクシングに挑戦。アマチュアで好戦績(タイトルも獲得)。プロ入り後、一つ敗北を喫したが、正確にジャブ、ストレートを当てていく正統派スタイルで好調。アリゾナ州J・ライト級王座獲得。決定戦でWBA世界J・フェザー級王者に。二度の防衛に成功し、年齢は25。挑戦者ヘルバシオ(20歳)はドミニカ出身の黒人で、プエルトリコ在住。これまで中堅相手に無敗、WBA5位。プエルトリコ・サンフアンでの一戦。互いにジャブ。ヘルバシオは左のテクニックを持つ男で、左フックを斜め下から狙ったり、意表を突くタイミングで打ち込んだり。右ストレートからの左ジャブといったテクニック、パワーのある左ボディ打ち。右ストレート、右アッパーにも速さ。ただ、足を使って距離を取るタイプで、KOを狙って獰猛に攻めるファイターではない。エスピノサは右ストレート、フックで攻めるが、ディフェンスされたり、ホールドされたりで不発。2Rには右アッパーを食ってピンチ。6R開始早々、右ストレートからの左ジャブがヒットしてエスピノサが後退。7R、エスピノサの右ストレートがヒット。中盤以降、ヘルバシオは失速。さらに受け身の姿勢となり、テクニックで隙を突く作戦。12R、この試合で再三披露してきたヘルバシオの「右ストレートからの左ジャブ」でエスピノサがダウン。12R終了。セコンドにかつがれて勝利を確信しているヘルバシオ。判定は3-0。ヘルバシオがテクニックで勝利。中盤以降に勢いが落ちたこと、KOを狙わない姿勢だったことはちょっと残念だったが、一級品のパンチ&テクニックを持っていた。エスピノサは空転。時折良いパンチを当てたが、単発に終わった。その後のヘルバシオ。スリムなテクニシャンのベルナルド・ピニャンゴに3-0の敗北で初防衛ならず。ケニー・ミッチェルに3-0で敗れてWBO世界J・フェザー級初代王者になれず。エクトール・アセロ・サンチェスのWBC世界J・フェザー級王座に挑戦して3-0の敗北。以後、ファン・マヌエル・マルケス、ホエル・カサマヨールらに連敗で引退。素質の割には活躍できなかった。)


ルイ・エスピノサ 10R 判定 アルフレド・ランヘル

(J・ライト級戦、1989年)

「アリゾナ州の二冠王」ルイ・エスピノサ①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ヘルバシオに敗れたエスピノサ。J・フェザー級はなかなか競争が激しい階級で、実力者との対戦が続く。ジェローム・コフィをTKOして空位の北米J・フェザー級王座を獲得したが、ヘスス・ポールに敗北、王座陥落。後のWBC王者ペドロ・デシマをTKO。アリゾナ州フェザー級王座獲得。ホルヘ・パエスのIBF世界フェザー級王座に挑戦したが、ドロー。WBAとIBFで2位にランク。仕切り直し、といった感じでランヘルと勝負。ランヘルはテキサスの選手。兄弟や伯父(または叔父)もボクサーの「ボクシング一族」。ハーリー・スニード(後、世界挑戦)、ヘスス・サルード(後の世界王者)に敗北、スティーブ・クルス(元世界王者)らに三連敗。このところ中堅相手に三連勝でエスピノサ戦。ラスベガス「Showboat Hotel & Casino」での一戦(リングアナはマイケル・バッファ、レフェリーはカルロス・パディーリャ)。互いにジャブ。ランヘル(星条旗トランクス)は距離を取って戦うタイプ。中間距離で相手を待ち構え、左フックからの右ストレート、右フックからの左フックなどで相手の隙を狙う。エスピノサはジャブ連打からの右ストレート、踏み込んで左フック。しかし、一発で相手を倒すパワーの持ち主ではないため、ディフェンスされたりなどで決定力を欠く。9R、エスピノサの連打でランヘルがロープ外に落下したが、レフェリーはこれをダウン扱いせず。攻めるエスピノサ、ディフェンスしながら反撃するランヘル、の展開が最後まで続いて10R終了。判定は2-1。エスピノサは攻勢点で勝利したが、時折打たれた。ランヘルは当てる巧さはあったが、自分から攻めて試合の流れを作るタイプではない。それではプロとして人気が出ないと思うが、どうだろう? その後のランヘル。ホセ・サナブリアらを相手に五連勝で初の世界挑戦。しかし、悲惨な結果。空位のIBF世界フェザー級王座を強打者トロイ・ドーシーと争ったが、何と1RでKO負け。しかもアゴを割られて病院に直行するダメージ。ブランク、カムバック。最後の試合は1995年で、ヘクター・リサラガに1RでのKO負け。引退後の2012年に44歳で死去。胃ガンだったという。)

 

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