2025年7月28日月曜日

「右手のハンデを克服」ハワード・ウィンストン「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

WBC世界フェザー級王者。世界王者になる前のベビー・ルイス戦、ラロ・ゲレロ戦、レニー・ウィリアムス戦を紹介します。


ハワード・ウィンストン(イギリス)

身長165cm:オーソドックス(右構え)


ハワード・ウィンストン 10R 判定 ベビー・ルイス

(J・ライト級戦、1964年)

「右手のハンデを克服」ハワード・ウィンストン「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ウェールズ出身の白人ウィンストン。10代の頃に工場での仕事中に右の手指3本を事故で失った過去。左パンチを中心とした戦いでアマチュアでは立派な戦績(大会で優勝したことも)。プロではこれまで二つの敗北があったが、英国王座、欧州王座(いずれもフェザー級)を獲得。ルイスはキューバのサンチアゴ・デ・クーバ出身。ホセ・レグラ、ビセンテ・サルディバル(共に後、ウィンストンと対戦)に勝利。サルディバルとの再戦にTKO負け。直前の試合はメキシコで判定負け。英国ウェンブリーでの一戦。左ジャブ連打、左フックのウィンストン(ややアップライトスタイル)。右フックは横殴りだが、ワンツーを時折ヒットさせる。ルイスはジャブ、ワンツー、左右フックボディ連打。バランスが良く、左フックをダブルで打ち込んだり、右クロスを狙ったり。中間距離での応酬。左フック連打からの右ストレートなど良い攻めを見せるルイスだが、ウィンストンはクリンチで接近戦をなるべく避けようとする。共に良いところを見せて10R終了。レフェリーはウィンストンの手を上げた(PTSによる判定)。ウィンストンがジャブ、ワンツーで勝利。やはり右パンチは軽めだったが、良いワンツーを決めるシーンもあった。ルイスは惜しい。KOを狙って激しく攻めるタイプではないため、相手のクリンチで攻撃がとぎれがちになってしまった。その後のルイス。アントニオ・アマヤらに連敗するなどスランプ。アメリカに主戦場を移し、連勝。カリフォルニア州ライト級王者に。その次の試合でTKO負けして引退。)


ハワード・ウィンストン 5R TKO エデュアルド・ラロ・ゲレロ

(フェザー級戦、1965年)

「右手のハンデを克服」ハワード・ウィンストン「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ルイス戦後、欧州王座を防衛したウィンストンがノンタイトル戦。ゲレロはメキシコ・パチュカ出身。1956年、デビュー。ジョー・メデルに判定負け&KO負け、米倉健司に判定勝ち。メキシコ王者(フェザー級)になったが、防衛できず。イスマエル・ラグナに判定負け、小林弘に判定勝ち、ビセンテ・サルディバルに判定負け。このところ三連敗でウィンストン戦。英国ウェンブリーでの一戦。手数で押すウィンストン。足でリズムを取りながらジャブ連打、ワンツー、左右フックボディ連打。左フックでカウンターを取る巧さも。ゲレロはジャブ、右ストレートを出すが、単発。攻めるが、クリンチされて不発。5R、ワンツーが入ったところでレフェリーストップ。ウィンストンが手数&クリンチで勝利。ゲレロはもう一つ。実力者に勝ったことがあるとは思えない不器用さ。続行可能だったが、打たれていたためストップされた。次の試合もKO負けで引退。)


ハワード・ウィンストン 8R TKO レニー・ウィリアムス

(英国&欧州フェザー級タイトル戦、1966年)

「右手のハンデを克服」ハワード・ウィンストン「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ウィンストンがタイトル防衛。ゲレロ戦の次の試合でホセ・レグラを判定で下したウィンストン。ビセンテ・サルディバルの世界フェザー級王座に挑戦して判定負け。引き続き欧州王座を防衛。英国王者でもあり、ウィリアムスと二つの王座を懸けて対戦。挑戦者ウィリアムスはウェールズ・マエステッグ出身。デビューから連勝。フランキー・テイラーに二度のKO負け。ウェールズ王座(フェザー級)獲得、防衛。ウェールズのポート・タルボットでの一戦。ウィリアムスはトリッキーなサウスポー。ダッキングしながら右ジャブ、フック。パワフルだが、粗い攻め。そんなウィリアムスにウィンストンは正確なパンチ。ジャブ、ワンツー、右ストレートからの左フック。特に効果的なのはインサイドからのアッパー気味右フック。打たれるウィリアムスは強引に接近してフック、ボディ攻撃を狙うが、ディフェンスされる。8R、ウィンストンがインサイドからのパンチで攻めたところでレフェリーストップ(ゲレロ戦と同様、当時の英国のボクシングはストップが早めだったようだ)。ウィンストンが当てる巧さで快勝。ウィリアムスは力強さはあったが、パワーを込める分、ディフェンスに隙があった。これが最後の試合に。)


その後のウィンストン

サルディバルの世界フェザー級王座にさらに二度挑戦して判定負け、TKO負け(結局、サルディバルには三敗)。その再起戦は関光徳とのWBC世界フェザー級王座決定戦。これにTKO勝ちしてついに世界王者に。ノンタイトル戦に勝利できたが、初防衛戦でホセ・レグラと再戦してTKO負け、王座陥落、引退。右手のハンデがあり、本来は世界王者どころかプロの選手にもなれなかったはずのウィンストン。ハンデを克服し、歴史に残る選手となった。   

 

0 件のコメント:

コメントを投稿