2025年7月15日火曜日

「強烈なフック攻撃」セサール・ソト「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

WBC世界フェザー級王者。世界王者になる前のホセ・ルイス・カスティージョ戦、ホルヘ・モンソン戦ほかを紹介します。


セサール・ソト(メキシコ)

身長168cm:オーソドックス(右構え)


セサール・ソト 2R TKO ホセ・ルイス・カスティージョ

(メキシコ・フェザー級王座決定戦、1993年)

「強烈なフック攻撃」セサール・ソト「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ソトがタイトル獲得。「La Cobrita」(意味不明)と呼ばれるソトはメキシコのシウダー・レルド出身。パワフルなフック攻撃が売り物。プロデビュー戦は1986年で1RでKO勝ち。アルマンド・カストロ、ウィリー・サラサール(共に世界挑戦の経験アリ)といった実力者に勝利。あのビクトル・ラバナレスに判定負け(1990年)。初の世界挑戦はデューク・マッケンジーのWBO世界バンタム級王座で、判定負け。そこから好調。WBC米大陸王座、メキシコ王座(いずれもJ・フェザー級)を獲得。これまで36勝(29KO)4敗1分。カスティージョと決定戦。カスティージョはメキシコ・グアイマス出身で18連勝(17KO)。ローカル王座を負傷判定で獲得した試合以外は全てKO勝ち。メキシコ・シウダードファレスでの一戦。共にガードを固めてジャブ。身長で上のカスティージョは左のテクニックの持ち主で、左フック、左ボディ打ち。また豪快さもあり、斜め下からの左右フックに迫力。ソトはプロらしい力強さ。相手との距離を詰めてパワーを込めたフック。1Rから右アッパー、左フックを当てる。2R、右フックが効いたカスティージョ。ロープ際で右ストレート、左右フックで連打されたところでレフェリーストップ。ソトが豪快さで勝利。カスティージョはややおとなしいボクシング。ストップ後にヨロけるなど完敗。この試合の時点では「線が細い選手」といった雰囲気だったが、その後、WBC世界ライト級王者に。)


セサール・ソト 2R TKO ホルヘ・モンソン

(フェザー級戦、1997年)

「強烈なフック攻撃」セサール・ソト「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

2R:右アッパー、右フックで2度、モンソンがダウン

(感想:カスティージョ戦後、メキシコ王座を防衛し、ルイ・エスピノサに勝利してNABOフェザー級王座を獲得するなど好調だったソトだが、アレハンドロ・ゴンザレスとのWBC世界フェザー級王座挑戦者決定戦で判定負け。ルイシト・エスピノサのWBC世界フェザー級王座に挑戦できたが、判定負け(1996年)。そこから連勝中。モンソンもメキシカンで、これまで12勝(8KO)5敗。ルイ・エスピノサ、アガピト・サンチェスらに敗北の中堅どころ。テキサス州エル・パソでの一戦(リングアナはマイケル・バッファ。モンソンのセコンドにナチョ・ベリスタイン)。開始から攻撃するソト。右ストレート、左右フック、ボディ打ち。パンチにはパワーとキレ。モンソンは距離を取りたいところだが、接近されて応戦したり、クリンチしたり。2R、ソトがさらに加速。猛烈な攻めからの右アッパーでモンソンがダウン。二度目のダウンは右フック。今度もモンソンは立ったが、レフェリーは続行を許さなかった。ソトが猛打で圧勝。試合ぶりは荒っぽいが、当てる巧さと鋭さがあった。モンソンは気の毒。単なる「いけにえ」だった印象。その後もモンソンは勝ったり負けたりでキャリア終了。)


セサール・ソト 10R 判定 ホセ・アヤラ

(フェザー級戦、1998年)

「強烈なフック攻撃」セサール・ソト「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:これまで49勝(38KO)7敗2分のソト。「大ベテラン」のような雰囲気があるが、年齢はまだ25。18勝(8KO)4敗のアヤラもまた25歳。プエルトリコ・カイエイ出身。ムブレロ・ボティーレに判定負け、プエルトリコ王座(J・フェザー級)獲得、NABO王座戦(J・フェザー級)に判定負け。直前の試合はマヌエル・メディナにTKO負け。カリフォルニア州インディオの屋外リングでの一戦(メインはヘナロ・エルナンデスの世界戦で、エルナンデスが王座防衛。エリック・モラレスはホセ・ルイス・ブエノをKOしてWBC世界J・フェザー級王座を防衛)。いつものようにジャブで前進してストレート、フックのソト。アヤラは「打ち合わないボクシング」。フットワークで相手の攻撃をかわしながら応戦。攻めるソトだが、ディフェンスされる。噛み合わない状況が続き、10R終了。判定は3-0。ソトが攻勢点で勝利。パンチは良かったが、相手に上手く逃げられた。今後の参考になるだろう。アヤラは自分から攻めない。善戦はできるが、それでは勝てない。これが事実上のラストファイトに。)


その後のソト

ルイシト・エスピノサとの再戦に勝利してWBC世界フェザー級王座奪取(1999年)。初防衛戦は何とWBO王者ナジーム・ハメドとの統一戦で、判定負け(両者反則連発のなかなかヒドい試合だった)。その後はオスカー・ラリオス、ジョニー・タピアらに敗れるなど多くの敗北(世界戦に敗れるとかなり落ち込むらしいが、ソトもそうだったのかもしれない)。負けが込むようになっていったが、2011年までリングに上がり続けた。 

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