IBF世界J・ウェルター級王者。世界王者になる前の試合。トロイ・スミス戦、サミー・フエンテス戦ほかを紹介します。
チャールズ・マレー(アメリカ)
身長178cm:オーソドックス(右構え)
①チャールズ・マレー 3R TKO トロイ・スミス
(ウェルター級戦、1989年)
(ダウンシーン)
2R:右ストレートでスミスがダウン
(感想:ニュージャージー州サウス・オレンジ出身の黒人マレー。ニックネームは「The Natural」(素質のある選手に付けられることが多い)。残念ながらソウル五輪に出場ならず。プロ入りし、レイ・マーサー、アルフレド・コールらとトリオ「トリプル・スレット(脅威の三人)」で売り出されてきた(結果的に三人とも世界王者に)。これまで4連勝。スミスはペンシルベニア州フィラデルフィア出身の黒人。試合数は少ない。アトランチックシティでの一戦(リングアナはマイケル・バッファ、レフェリーはルディ・バトル)。1Rから手数が多い両者。ジャブ、ストレート、接近戦でフック、ボディ攻撃。マレーはワンツー、スミスはアッパー気味フックに良さ。マレーは右ストレートからの左ジャブといったテクニックも持っている。2R、右ストレートでスミスがダウン。3R、距離を取って戦うスミスだが、右ストレートを食う。そして左マブタのキズのドクターチェック、試合終了。マレーが相手の負傷で勝利。ハイテンポな攻めで、右をよく当てていた。左ボディ打ちの巧さもあった。スミスも積極的で良かった。ただ、同じパンチを何度も食うのは問題。その後、中堅相手に勝ったり負けたり後、連敗で引退。)
②チャールズ・マレー 7R TKO ロバート・ガイ
(J・ウェルター級戦、1990年)
(ダウンシーン)
7R:右フックでガイがダウン
(感想:これまで14連勝(9KO)のマレー。ガイはテキサスの黒人で、13勝(9KO)3敗2分。額に大きなキズがあるのが特徴。アマチュア王者からプロへ。デビューから無敗だったが、実力者ジョン・ミーキンスに判定で初黒星。このところ二連続判定負けでマレー戦。ニューヨーク・ロチェスターでの一戦(リングアナはマイケル・バッファ)。開始から積極的なガイ。ジャブで前進し、ワンツー、左フック。左パンチに特に自信があるらしく、左フックにパワーを込め、左ボディ打ち、アッパー気味の左フックなどを使う。マレーは相手の様子をうかがいながら、ジャブ、ワンツー。相変わらず右を当てるのが巧い(どうやらマレーの「ナチュラル」とは「右パンチを自然に当てる巧さ」のことのようだ)。また、右ストレートからのワンツーなどのコンビネーションも巧い。概ね同じぐらいのパワーの両者だが、マレーが右パンチ&ディフェンスでポイント上、優勢。7R、左ジャブからの右フックでガイがダウン。立とうとするが立てず、KO。マレーがテクニックで快勝。先に試合を終えたレイ・マーサー、応援に駆け付けたアルフレド・コールがマレーを祝福。家族と思われる人たちもマレーの勝利に大興奮だった。ガイは良い選手。しかし、ディフェンスされて得意の左フックで勝つことができず、これが事実上のラストファイトに。1992年にカムバックしたが、二連続ドローで引退。)
③チャールズ・マレー 1R TKO カーロス・ベイツ
(J・ウェルター級戦、1991年)
(ダウンシーン)
1R:左フックでベイツがダウン
(感想:デビューから連勝のままミッキー・ウォードを決定戦で破って全米J・ウェルター級王者になったマレーだが、北米王者テレンス・アリに2-1で判定負けで初黒星。これまで20勝(13KO)1敗。ベイツと再起戦。ベイツはインディアナ州エルクハート出身の黒人で、ニックネームは「サイコ」(ヤバい奴? 単に映画『サイコ』の「ノーマン・ベイツ」と掛けているだけか?)。24勝(8KO)2敗で、戦績はまずまず。インディアナ州王座(ライト級)を獲得するなどローカルなキャリア。ロドルフォ・アギラル(フリオ・セサール・チャベスのWBA世界ライト級王座に挑戦してTKO負け)には判定負けしている。アトランチックシティ「Trump Taj Mahal」での一戦(リングアナはマイケル・バッファ、レフェリーはトニー・オーランド)。共に速いジャブ。ベイツが積極的に攻める。左右フック連打。しかし、真っ直ぐ攻めるクセがあり、ディフェンスに甘さ。マレーは変わらない。右を当てる巧さ、左ボディ打ち。右フックが特に効果的で、右アッパーもヒットさせる。そして左フックカウンターでベイツがダウン。立ったが、レフェリーストップ。マレーがガードの甘い相手をKO。テクニック指向のマレーだが、パンチもあるところを見せた。ベイツはその後も多くの試合。ハロルド・ブレージャー、クリストフ・ティオーゾ、マイケル・ナン、バージル・ヒルにKOで敗北。WBC米大陸王座、IBA王座(いずれもスーパーミドル級)に挑戦してKO負け。負けが多くなっていったが、2006年までリングに上がり続けた。)
④チャールズ・マレー 10R 判定 サミー・フエンテス
(ウェルター級10回戦、1992年)
(感想:ベイツ戦後、元WBA世界ライト級王者リビングストン・ブランブルに判定勝ちするなど連勝のマレー。フエンテスはプエルトリコ出身。アマチュアで活躍したが、プロでは苦戦。ファン・ナサリオ、フランキー・ウォーレン、フランキー・ランドール、ロジャー・メイウェザーに敗北。フレディ・ペンドルトンには何と15秒でKO負け。ロドルフォ・アギラルを破ってWBC米大陸王座(J・ウェルター級)獲得。チャベスのWBC世界J・ウェルター級王座に挑戦してTKO負け。ホープのロドニー・ムーア、デビッド・カマウに二連敗。再起二連勝でマレー戦。実力者には負けてきたが、その分、経験はある。アトランチックシティ「Trump Taj Mahal」での一戦(リングアナはマイケル・バッファ、レフェリーはジョー・コルテス)。開始から実に積極的なフエンテス。ジャブ、ストレート、左フック、ボディ連打。マレーはディフェンスしながらジャブ、ストレートで応戦。2R、サウスポーにチェンジしたフエンテスが左ストレートを当てるが、マレーが右フック、右アッパーでお返し。その後も両者、手数が多い接近戦。攻めるフエンテスだが、ややガードが甘いらしく、マレーの右ストレート(まるでジャブのように出せる。その分、軽いが)、コンビネーション(右アッパーからの左フック、ボディ連打からの右アッパー、ほか)を食う。最終10R、互いの左フックがヒットするなど激しく競り合って終了。判定は3-0。マレーがディフェンス&コンビネーションで勝利。フエンテスはよく頑張ったが、真っ直ぐ攻めるクセ。そのため打たれてしまった。その後のフエンテス。次の試合でコンスタンチン・チューに1RでTKO負け。苦闘の日々が続いたが、決定戦でWBO世界J・ウェルター級王者に。一度だけ防衛に成功できた。)
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