世界ライト級王者。世界王座陥落後の李昌吉戦、ジム・ワット戦、フランキー・オテロ戦ほかを紹介します。
ケン・ブキャナン(イギリス)
身長171cm:オーソドックス(右構え)
①ケン・ブキャナン 2R TKO 李昌吉
(ライト級戦、1972年)
(ダウンシーン)
2R:フック連打で李がダウン
(感想:イスマエル・ラグナとの再戦を制してWBA世界ライト級王座を防衛したブキャナンだが、その次の防衛戦でロベルト・デュランの急所攻撃でKO負け(反則打で決着した問題のある裁定。ローブローのダメージで試合再開に応じられない姿を「戦意喪失」と見なされてしまった)。元世界王者カルロス・オルチスにTKO勝ちで再起(オルチスのラストファイト)。再起二戦目の相手はアジア人。李(韓国・ソウル出身)はこれまで全勝。韓国王座(ライト級)、東洋太平洋王座(J・ウェルター級)を獲得、防衛。日本選手にも勝利するなど「アジアのトップ選手」。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦。互いにジャブ。李は右ストレート、左フックに力を入れるが、攻めるときのバランスが悪い。ブキャナンは王座転落の影響は特に感じられない動き。ディフェンスしながらワンツー、右ストレートからの左フック。2R、右ストレートを食って李がピンチ。フック連打でダウン。立ったが、さらに連打されてレフェリーストップ。ブキャナンが楽勝。バランスが良く、ディフェンスもできるブキャナンにとって李はイージーなターゲットにすぎなかった。その後の李。アジアのトップであり続けたが、WBA世界J・ウェルター級王者アントニオ・セルバンテスへの挑戦はKO負け。世界レベルではなかった。)
②ケン・ブキャナン 15R 判定 ジム・ワット
(英国ライト級タイトル戦、1973年)
(感想:ブキャナンがタイトル獲得。李戦の次の試合。王者ワットはスコットランド・グラスゴー出身の白人サウスポー。二度目の挑戦(決定戦)で王座獲得。ブキャナンと初防衛戦。グラスゴーでの一戦。慎重なワット。相手から距離を取って右ジャブ、左ストレート、右フックカウンター。受け身なボクシングだが、ブキャナンと同様、ディフェンスしながら当てる巧さで隙を狙うタイプ。接近戦。互いにフック、ボディ打ち。映像で見た印象では互角の二人だが、パワーではブキャナンか。13Rに強烈な左右フック連打をヒットさせる。その後もブキャナンが攻めの勢いで15R終了。レフェリーはブキャナンの手を上げた(PTSによる判定)。ブキャナンが攻勢点で勝利。ワットは実に地味な男だが、当てる巧さ。もう少しパワーと積極さがあれば勝てた。その後のワット。敗北しながらも英国王座を奪回したり、欧州王者になったり。そしてWBC世界ライト級王座獲得。アメリカ期待のハワード・デービス・ジュニア、ショーン・オグラディらを相手に防衛。しかし、アレクシス・アルゲリョに判定負けで王座陥落、引退。地味ながら辛抱強い選手だった。)
③ケン・ブキャナン 10R 判定 フランキー・オテロ
(ライト級戦、1973年)
(ダウンシーン)
7R:右フックでオテロがダウン
(感想:英国王者になったブキャナンだが、防衛戦は行わず(狙うのは世界王座のみ、ということか?)。英国を離れ、海外武者修行。オテロはキューバ・ハバナ出身。ニックネームは「キューバン・ボンバー」。フィデル・カストロの革命から逃れ、一家でキューバからアメリカに亡命。18歳でプロに転向し、KO勝ちの連続で主戦場フロリダ州マイアミで人気者に。北米J・ライト級王座を獲得、防衛。2-1で北米王座を失った後、二勝一分でブキャナン戦。フロリダ州マイアミ・ビーチでの一戦(ゴング前、元世界ヘビー級王者ジミー・エリスがリング上であいさつ、両選手激励)。どこで戦っても基本形は変わらないブキャナン。ジャブ連打、ワンツー、フック。オテロは意外なことに雑な攻め方。ガードに隙がある不器用なタイプ。1Rに相手ともつれ合って転倒。タフさと積極的な連打で試合運びのまずさをカバー。ジャブで主導権を取るブキャナン。オテロはボディ連打で対抗。5R、連打するブキャナン。オテロはストレート、フックで反撃(意外に当たる)。7R、連打、ワンツーからの右フックでオテロがダウン。8R、オテロが右カウンターをヒットさせる。10R終了。判定は3-0。ブキャナンが端正なボクシングで先手を取って勝利。残念なオテロ。いきなりのストレート、フックをかわされて空転。せっかくのタフネスとパワーが生かされない試合ぶりだった。その後のオテロ。アルフレド・エスカレラ、ブキャナン(再戦)にTKO負け。ビロマー・フェルナンデス(しぶとい選手で、後にあのアルゲリョに判定勝ち)には二連続判定負け。中堅相手には強かったが、上には敵わないキャリア。引退後は不動産業を営んだり、マッチメーカーやマネージャーとしてボクシング界と関わったり。ロベルト・デュラン、トーマス・ハーンズといった名のある選手のプロモーションにも関与したとか。2010年、フロリダ・ボクシング殿堂入り。)
その後のブキャナン
連勝。欧州ライト級王座をKOで獲得。ガッツ石松のWBC世界ライト級王座に挑戦したが、判定負けで王座奪回ならず。再起戦は欧州王座の二度目の防衛戦で、TKO勝ち。王座返上、引退(1975年)。1979年、デンマークで復帰戦。相手はベニー・ベニテスで、8回戦。
④ケン・ブキャナン 8R 判定 ベニー・ベニテス
(ライト級戦、1979年)
(感想:ベニテスはマサチューセッツ州の黒人。ヒルマー・ケンティにTKO負けしている。デンマーク・ラナースでの一戦。凄いアフロヘアーのベニテス(黒いマリモ?)。足でリズムを取ってディフェンスしながらジャブ、右ストレート、左フック、右アッパー。大きく振るう左フックが主武器らしい。ブキャナンは動きは悪くない。ジャブ、パワーを込めたワンツー、ボディ打ち。攻めるブキャナン。ベニテスは受け身。最終8Rにハプニング。ブキャナンのややラフな行為にベニテスが右ストレートで仕返し(気が強い。ラウンド中の消極さと対照的な行為だった)。レフェリーから警告。8R終了。判定はPTS。攻勢点でブキャナン勝利。パンチはまずまずだったが、打たれるシーンも。動きの機敏さがさすがに落ちていた。ベニテスは良いパンチを持っていた。もっと攻めるべきだったが、終始、後手に回った(何が原因?)。その後もリングに上がったが、さしたる実績は無し。ブキャナンもまたもう一つ。欧州ライト級王座に挑戦して判定負け。最後は連敗で引退。あまり意味のないカムバックだったような気がする結果となったが、本人はどんな気分だったか? 引退後、「国際ボクシング殿堂」入り。)
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