WBA・IBF世界S・ミドル級王者。世界王座戦。ダグ・サム戦、エマヌエル・オッティ戦、ポーリー・パシレロン戦を紹介します。
朴鍾八(韓国)
身長178cm:オーソドックス(右構え)
①朴鍾八 15R TKO ダグ・サム
(IBF世界S・ミドル級タイトル戦、1987年)
(感想:朴がタイトル防衛。ビニー・クルトとの再戦に勝利した朴はその後、リンデル・ホームズとノーコンテスト、マービン・マックに判定勝ちで王座防衛。サムと六度目の防衛戦。挑戦者サムはオーストラリアの黒人。オーストラリア王座(S・ミドル級)を獲得しているが、ニューカレドニア・ヌメアで判定負け。再起二連勝で朴に挑戦。ソウルでの一戦。機敏な動きを見せるサム。ジャブ&ディフェンスで攻めの姿勢。朴は相手から距離を取ってジャブ。接近戦では互いにボディ打ち。朴が左フック、サムは右パンチ(ストレート、フック)。コンビネーションを使う朴だが、ジャブを食う。サムはディフェンスするが、左目が腫れていく。13R、朴が「左フック、右ストレート」連打(スタミナは充分)。15R、朴が右ストレートからの左ボディ打ちを出したところでレフェリーストップ。目の腫れがストップの理由だが、唐突のストップにサム陣営は大いに不満の様子だった。朴が何とか勝利。ジャブをよく打たれた。サムは良いパンチを持っていたが、畳み掛けるような攻めをしない短所。チャレンジャーはKOを狙うような激しさが必要。もっと積極的になるべきだった。その後のサム。東洋太平洋ライトヘビー王者になったが、初防衛戦で後の世界王者ジェフ・ハーディングにKO負け。その後はブランクがちにローカル王座戦に出場した。)
②朴鍾八 4R TKO エマヌエル・オッティ
(IBF世界S・ミドル級タイトル戦、1987年)
(ダウンシーン)
4R:右フックでオッティがダウン
(感想:朴がタイトル防衛。サム戦の次の試合で再びリンデル・ホームズの挑戦を受けた朴。2-1で何とか防衛。オッティと八度目の防衛戦。挑戦者オッティはウガンダの黒人。ギリシャのアテネでデビュー(KO負け)。しばらくして主戦場をオーストラリアに。マルコス・ヘラルド(マービン・ハグラー、トーマス・ハーンズに敗北)にTKO負けしたが、オーストラリア王座(ミドル級)を獲得。しかし、勝ったり負けたり。このところジェフ・ハーディング、ダグ・サム相手に二連続TKO負け。世界挑戦できる資格は無さそうなチャレンジャーだが、どんな試合を見せるか? 韓国・光州での一戦。ジャブの応酬。オッティは良いジャブの持ち主で、接近して左フック、右ストレート。ただ、パンチのシャープさはあるが、KOを狙うような畳み掛ける攻めではない(ダグ・サムと似たタイプ)。2Rから朴がパワーを込めてボディ攻め。オッティは左フックからの右ストレートを使うが、攻撃しては休む。3Rに右ストレートを決めたオッティ。しかし、4Rに右ボディを食って相手に背を向けてしまい、右フックを叩き込まれてダウン。立ったが、レフェリーストップ。朴がフック、執拗なボディ攻めで勝利。「オッティはボディが弱い」という情報でもあったのだろうか? とにかくしつこいボディ攻撃だった。オッティは決して弱くはなかったが、「倒しに行く意識」が低かったように見えた。そしてこれが事実上のラストファイトに。ダグ・サム同様、ブランクがちにカムバックしてローカル王座戦に出場。勝利することはなかった。)
③朴鍾八 5R TKO ポーリー・パシレロン
(WBA世界S・ミドル級タイトル戦、1988年)
(ダウンシーン)
5R:右ボディでパシレロンがダウン
(感想:朴がタイトル初防衛。オッティ戦後、IBF王座を返上した朴。WBAがS・ミドル級王座を新設し、初代王者決定戦に出場。ヘスス・ガヤルド(メキシコ)を2Rで仕留めて王者に。パシレロンと初防衛戦。挑戦者パシレロンはインドネシア人。試合数は少ないが、東洋太平洋王座、インドネシア王座を獲得(いずれもミドル級)。直前の試合は大和田正春を相手に東洋太平洋王座をTKOで防衛。韓国・全州市での一戦。ワイルドな顔立ちのパシレロン。左のガードを下げた構えからジャブ、右ストレート、左フック。右ストレートに威力があるが、パワーを入れすぎて単発に。また、左フックはパワーが乗らない打ち方。そのため、全体的に隙があり、継続的な攻撃ができない欠点。朴は以前と比べるとジャブのスピードなどが落ちた印象。ただ、左ボディ打ちなどにパンチの重さを感じる。4R終わり頃、朴の右ストレートがヒット。5R、ロープ際に追い込まれるパシレロン。朴が左ボディからの右ボディ。一瞬間を置いてダウンしたパシレロンは立てず、KO。朴が迫力のボディ打ちで勝利。動きのスピードは落ちたが、「ドスン」といった重いパンチは健在。パシレロンは一発狙い的なボクシング。ディフェンスされてそれっきり。これが最後の試合に。その後の朴。次の防衛戦でフリー・オベルに判定負け、王座陥落(かつてオベルにKOされた朴。またしても敗北。雪辱ならず)。再起戦で大一番。ライバルの白仁鉄と対戦したが、KO負けで引退(勝った白はオベルからWBA世界S・ミドル級王座奪取)。現役時代から資産を貯えていたが、事業の失敗などで破産。ボクサーはそういった不幸な話が多い。)
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