J・ミドル級。事件前と事件後の試合。ホセ・ルイス・バルタザール戦、トニー・メネフィ戦ほかを紹介します。
トニー・アヤラ・ジュニア(アメリカ)
身長184cm:オーソドックス(右構え)
①トニー・アヤラ・ジュニア 2R TKO ホセ・ルイス・バルタザール
(J・ミドル級戦、1981年)
(ダウンシーン)
2R:左フックでバルタザールがダウン
(感想:テキサス州サンアントニオ出身のアヤラ。兄弟もボクサーの「ボクシング一家」(兄マイク・アヤラは世界王者にはなれなかったが、北米王座を獲得)。アマチュアの大会で優勝。プロでは「明日の王者たち」というキャッチフレーズでミッチ・グリーン、アレックス・ラモス、ドナルド・カリー、ジョニー・バンフスらと共に売り出され、非常に期待されている。これまで7連勝。バルタザールはメキシカン。1965年デビューのベテラン。ヘッジモン・ルイス、アーニー・ロペスに敗北後、メキシコ・ウェルター級王者に。防衛にも成功。連敗後、王座陥落。直前の試合はKO勝ちだが、それから約一年ぶりのリングとなる。サンアントニオでの一戦。互いに慎重姿勢で相手をうかがう。先に攻めたのはバルタザール。左右フックを振るうが手打ち気味で、攻めるときのディフェンスに甘さ。アヤラが右ストレート、フックで反撃。打ち方が良く、左フックをダブルで打ち込んだりする。接近戦。互いにフックを出し合うが、打たれるのはバルタザール。2R、左フックでバルタザールがダウン。立ったが連打を浴びてセコンドからタオル投入、TKO。それに納得いかないバルタザールは悔しそうだったが、そのまま続けても打たれるだけだったろう。これが最後の試合に。)
その後のアヤラ
KOの山を築き、世界ランク上位に。WBA世界ジュニアミドル級王者デビー・ムーアに挑戦が決まった矢先に強盗。それに加え、女性への暴行。とんでもないことをやらかし、懲役35年。ボクサーとして完全に終わった、と思われたが・・・。
②トニー・アヤラ・ジュニア 8R TKO トニー・メネフィ
(S・ミドル級戦、1999年)
(ダウンシーン)
7R:左フックでメネフィがダウン
(感想:1999年に仮釈放で出所したアヤラ。サンアントニオでカムバックして二連勝。戦績は24勝(22KO)に。年齢は36。メネフィ(27歳)はネブラスカ州の白人。プロになったのは17歳の時。以来、多くの試合。これまで67勝(37KO)6敗1分。93年にロベルト・デュランにTKO負け、ローカル王座(J・ミドル級)に挑戦してTKO負け、ヘクター・カマチョに判定負け。数字の上ではなかなかの戦績だが、実力の方はどうか? サンアントニオでの一戦(アヤラのセコンドにシニア。会場ではアヤラの妻リサが観戦)。メネフィがジャブ、ストレート、フック。しかし、パンチにキレが無く、動きの機敏さにもやや欠ける。アヤラ(前髪が寂しい)はメネフィと同じようなスピードだが、ディフェンス、当てるテクニック(左フック、右ストレートからの左ジャブ、ほか)で優勢。2R終了直前、アヤラの左フックからの右ストレートがクリーンヒット。7R、右フックが効いたメネフィ。左フックでダウン。8R、打ち合いの中、レフェリーが突然試合ストップ(どうやらメネフィのセコンドが棄権を申し入れたらしい)。アヤラが正確なパンチで勝利。しかし、スピード、勢いの無さ。そんな状態でリングに上がってどうしようというのか? メネフィは残念ながらトップクラスに通じる動きの鋭さは無い。その後、ヨリボーイ・カンパス、ラウル・マルケス、ドニー・ラロンデらに敗北。一定のレベルより上の選手には勝てないキャリアだった。)
③トニー・アヤラ・ジュニア 2R TKO マヌエル・ロペス
(S・ミドル級戦、2001年)
(ダウンシーン)
1R:右フックでロペスがダウン
2R:右フック、左フックで2度、ロペスがダウン
(感想:復帰後、連続KO勝ちだったアヤラだが、ヨリボーイ・カンパスにTKO負けで初黒星。再起戦でサントス・カルドナ(数度の世界挑戦経験)に判定勝ちしてロペス戦。ロペスはコロラド州デンバー出身(メキシコ系アメリカ人らしい)。ニックネームは「The Raging Bull」(ジェイク・ラモッタと同じ)。NBAのミドル級王座を獲得したことがあるが、マルクス・バイエルとのWBCインター王座戦(S・ミドル級)でKO負け。アヤラ戦はその再起戦となる。サンアントニオでの一戦。似た体型の二人(少しズングリ)。残念ながら共にスピードが無い。サウスポーのロペスが右ジャブ、左パンチ(ストレート、フック)。アヤラは左を使いながら右ストレート、左フックで攻撃。コーナー付近での右フックでロペスがダウン。2R、左フックからの右フックでロペスがダウン。立ったロペスだが、強烈な左フックで二度目のダウン。倒れると同時にレフェリーは試合を止めた。アヤラが快勝。スピードは無いが、コブシ自体は頑丈なようだ。ロペスはイマイチ。スピードが無いとサウスポーのテクニックも発揮できまい。これが最後の試合に。その後のアヤラ。連勝後、2003年に空位のIBA王座(S・ミドル級)に挑戦してTKO負け、引退。2015年、薬物により52歳で死去。勢いのあった頃にデビー・ムーアとの対戦が実現しなかったのが残念。)
0 件のコメント:
コメントを投稿