2025年5月15日木曜日

「日本で世界王者に」デビー・ムーア「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

WBA世界J・ミドル級王者。世界王者になる前の試合&その後。ケビン・ルーニー戦、ジョン・D・ジャクソン戦ほかを紹介します。


デビー・ムーア(アメリカ)

身長178cm:オーソドックス(右構え)


デビー・ムーア 6R 判定 ヘスス・サウセド

(J・ミドル級戦、1980年)

「日本で世界王者に」デビー・ムーア「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ボクシング界には二人の「デビー・ムーア」が。世界フェザー級王者だったデビー・ムーアはリングでのダメージで死去。今回紹介するムーアはニューヨーク・ブロンクス出身の黒人。アマチュアで優秀な成績。モスクワ・オリンピックに出場予定であったが、アメリカがボイコットで果たせず。プロ入り。これがデビュー戦。サウセドは何者なのだろう? ネバダ州の選手のようだが、記録が無い(これがデビュー戦で唯一の試合だったか?)。ネバダ州ステートライン「Caesars Tahoe」での一戦(ボブ・アラム「トップランク・ボクシング」)。互いにジャブ。ムーアはアマチュアで優秀だったことを物語る試合ぶり。ジャブ、ワンツー、左フックからの右ストレート。パンチには伸びがあり、ショートパンチも使いこなす。サウセドは受け身。ジャブを出すが、足で距離を取ったり、特に意味もなくサウスポーにチェンジしたり。4R、ムーアが激しいラッシュ。サウセドは肩をムーアにぶつけてレフェリーから警告。その後も攻めるムーア、ジャブ、フックで応戦するサウセド。6R終了。判定でムーア。攻めの姿勢で勝利。ダウンは奪えなかったが、パンチ自体はシャープで良かった。サウセドは積極さが足りず。判定まで粘ればOK、という意識だったのだろうか?) 


デビー・ムーア 7R TKO ケビン・ルーニー

(J・ミドル級戦、1981年)

「日本で世界王者に」デビー・ムーア「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:デビューから6連勝のムーアが後に話題になる人物と対戦。ルーニーはニューヨークの白人。アマチュアの大会で優勝経験。プロではこれまで中堅相手にデビューから15連勝中。アトランチックシティ「Playboy Hotel & Casino」での一戦(5Rからの映像で観戦)。ガッチリした身体のルーニー。ブロックを固めてダッキングしながらジャブ、踏み込んでフック。ムーアはパターンができている。ジャブ連打、左フックからの右ストレート。互いにディフェンスし、打ち合いでは互いに譲らず。7R、ムーアの右ストレートがヒット。それをキッカケにムーアが激しい連打。レフェリーストップ。勝って大喜びのムーア。爆発力でフィニッシュに持ち込んだ。一方、打ちのめされたルーニーは消耗し切った表情。5Rに右ストレートを当てたが、ムーアはクリンチでしのいだ。その後のルーニー。連勝したが、アレクシス・アルゲリョに2RでキレイにKO負け。その後は中堅との試合が続き、王座戦の経験が無いままキャリア終了。引退後はマイク・タイソンを指導。タイソンの全盛期はルーニーが指導していた時期、と今でもルーニーのトレーナーとしての手腕は高く評価されている。)


その後のムーア

プロ9戦目で三原正のWBA世界J・ミドル級王座に挑戦(1982年)。「時期尚早」とも言われた挑戦だったが、速いパンチでKO勝利、王座奪取。元王者アユブ・カルレらを相手に三連続KO防衛を果たしたが、大ベテランのロベルト・デュランにKO負けで初黒星、王座陥落。バスター・ドレイトンのIBF世界J・ミドル級王座に挑戦してTKO負け。強打者ルペ・アキノ(メキシコ)にもTKO負け。王者だった頃が遠い過去のようになってしまった状況でジョン・デビッド・ジャクソンと対戦。 


ジョン・デビッド・ジャクソン 10R 判定 デビー・ムーア

(ミドル級戦、1987年)

「日本で世界王者に」デビー・ムーア「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

1R:右ボディフック(?)でジャクソンがダウン

6R:右ボディフック(?)でジャクソンがダウン

(感想:ジャクソンはコロラド州デンバー出身の黒人サウスポー。若手のホープで、これまで全勝。ただ、ペンシルベニア州王座(J・ミドル級)を獲得しているが、対戦相手は中堅どころばかり。アトランチックシティでの一戦(リングアナはマイケル・バッファ、レフェリーはルディ・バトル)。1R、右ジャブでアウトボクシングするジャクソン。ムーアはジャブを使って右フックを狙う。右ボディ(?)でジャクソンがダウン(映像ではパンチがよく見えなかった。ダウンするほどのパンチではなかったような気がする)。その後もジャクソンは右ジャブ&左のテクニック(カウンターのストレート、インサイドからのフック、ワンツー、ほか)。4R、連打するジャクソン。右フックでムーアのマウスピースが吹っ飛ぶ。5R、ジャクソンのグローブが破れるハプニング。新しいグローブで再開。6R、1Rと同じようなパンチでジャクソンがダウン(これも大したパンチではなかった。ダメージも無し)。8R、互いのストレートがヒット。その後も軽快な動きのジャクソン、イマイチ加速しないムーア。10R終了。判定は大差の3-0(二度のダウンがあったが、ジャッジはどうやらそれを「ダウン」とは見なさなかったようだ。試合を裁くのはレフェリー、試合を評価するのはジャッジ。レフェリーとジャッジは独立した関係)。ジャクソンがポイント狙いのボクシングで勝利。退屈な戦いぶりではあったが、インサードからのフックを連打するなど実力、パワーは感じられた。ムーアは基本スタイルは昔と変わらなかったが、かつての速さに欠けていた。その後の二人。ジャクソンはWBO世界J・ミドル級王座、次いでWBA世界ミドル級王座獲得。ムーアは中堅どころに二連続TKO勝利。1988年6月、自動車事故で死去。28歳の若さだった。)

 

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