WBA世界J・ウェルター級王者。世界王者になる前のケン・シェパード戦、アンソニー・ブライアント戦ほかを紹介します。
ジーン・ハッチャー(アメリカ)
身長170cm:オーソドックス(右構え)
①ジーン・ハッチャー 1R TKO ケン・シェパード
(J・ウェルター級戦、1981年)
(ダウンシーン)
1R:右フックでシェパードがダウン
(感想:テキサス州フォートワース出身の白人ハッチャー(「Mad Dog(狂犬)」と呼ばれる。いつからそう呼ばれるようになったのかは不明)。アマチュアで優秀な成績。これがプロデビュー戦。シェパードはテキサスの黒人サウスポー。これまで1勝5敗。ロケ・モントヤに2-1で敗北している(モントヤは後、メキシコ・ライト級王者に。ヘクター・カマチョ、エドウィン・ロサリオといった有名選手と対戦)。フォートワースでの一戦。口ヒゲのハッチャーが地元の声援を受けてリングイン。シェパードは見事なアフロヘアー(髪型へのこだわりを強く感じるスタイル)。ゴング。ボクサータイプのシェパードが距離を取りながら右ジャブ、時折、左ストレートを決める。ハッチャーは打たれても前進。右ストレート、接近してショートフック。接近戦。互いにフック、シェパードはワンツー。右フックでシェパードがダウン。立ったが、ストップ。ハッチャーが攻めの姿勢で勝利。フックとタフネスを活かす試合ぶりだった。シェパードはパワー不足。相手の勢いに屈した。その後、シェパードは中堅どころと勝ったり負けたり。)
②ジーン・ハッチャー 2R TKO チャーリー・アレン
(J・ウェルター級戦、1982年)
(ダウンシーン)
2R:右フックでアレンがダウン
(感想:連勝のハッチャーがホープ対決。アレンはテキサスの黒人サウスポーで、デビューから9連勝中。ルイジアナ州レイク・チャールズでの全勝対決。アウトボクサーのアレン。フットワーク&ジャブ連打の「軽いボクシング」。ハッチャーは左を使いながら前進し、ワンツー、左ボディ打ち。2R、ロープ際で左フックからの右フックでアレンがダウン。立ったが、ストップ。ハッチャーがパワーで快勝。相手がサウスポーでも特に問題ないようだ。アレンは軽かった。それではハッチャーを止めることはできない。その後のアレン。連勝してテキサス州王座(J・ウェルター級)獲得。ここまでは良かったが、その後はパトリツィオ・オリバらに連敗するなど苦戦。1989年まで戦った。)
③ジーン・ハッチャー 3R TKO アンソニー・ブライアント
(J・ウェルター級戦、1982年)
(感想:元世界王者アルフレド・エスカレラに勝利するなど連勝だったハッチャーだが、タイロン・クローリーに2-0で敗北(クローリーは後、リビングストン・ブランブルのWBA世界ライト級王座に挑戦してTKO負け)。ブライアント戦はその再起戦となる。ブライアントはテネシー州の黒人で、これまで中堅相手に8勝(5KO)3敗。テキサス州ブラウンウッドでの一戦(ゴング前、ドナルド・カリーがリング上であいさつ。カリーもまたフォートワース出身で、当時は初の世界挑戦を控えた状況だった)。ボクサータイプのブライアント。ジャブ連打、ワンツー、左フック。ワンツーを打ち終わった後に間が空く欠点。ハッチャーはダッキングしながら攻め。右アッパーなどインサイドのパンチに良さ。3R、左フックからの右ストレートといった攻めを見せるハッチャー。コーナー付近でブライアントを連打したところでレフェリーストップ。ハッチャーが精力的な攻めで勝利。このパターンが通用する相手なら勝てるだろう。ブライアントはその後、多くの試合。タイロン・トライス、ロニー・ブラッドリーに敗れるなど敗北が多いキャリアとなったが、2003年までリングに上がった。)
④ジーン・ハッチャー 6R TKO ロメロ・サンドバル
(J・ウェルター級12回戦、1983年)
(感想:ハッチャーが「ESPN Light Welterweight Title」なるタイトル戦に出場。サンドバルはメキシコ・チアパス出身。ロベルト・エリゾンド、リビングストン・ブランブルにTKO負けしている中堅選手。ラスベガス「Showboat Hotel & Casino」での一戦(リングアナはチャック・ハル)。ジャブ、ワンツーからの左フック、連打のサンドバル。パンチのキレ、動きのスピードはそこそこ。ハッチャーも同じような状況。得意の右ストレート、左フックを出すが、かわされたりする。5R、接近戦。パワーで上回るハッチャーが右ストレートをヒットさせて一気に優勢に。打たれたサンドバルがラウンド終了時、フラつきながら自身のコーナーへ。そして棄権。ハッチャーがパワーで勝利。ただ、動きのキレがもう一つだった印象(小柄なファイターは機敏さが必要)。サンドバルはよくジャブを出していたが、そこまで。その後、フリオ・セサール・チャベスに2RでKO負け。)
その後のハッチャー
サンドバル戦の次の試合でエスカレラと再戦したが、判定負け。後にIBF世界J・ウェルター級王者になるジョー・マンリーに判定勝ち。全勝のジョニー・バンフスをTKOして WBA世界J・ウェルター級王座奪取(1984年)。ウバルド・サッコを相手に初防衛に成功。しかしサッコとの再戦に敗れ、二度目の防衛に失敗。その後もリングに上がり続けたが、ロイド・ハニガンの世界ウェルター級王座に挑戦して何と45秒でKO負け。世界王者としては長く活躍できなかった。
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