2025年5月17日土曜日

「槍の右ストレート」カルロス・モンソン「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界ミドル級王者。王座防衛戦のトム・ボッグス戦、トニー・リカタ戦、グラシアン・トナ戦を紹介します。


カルロス・モンソン(アルゼンチン)

身長181cm:オーソドックス(右構え)


カルロス・モンソン 5R TKO トム・ボッグス

(世界ミドル級タイトル戦、1972年)

「槍の右ストレート」カルロス・モンソン「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

5R:左フックでボックスがスタンディングダウン、右ストレートで2度ダウン

(感想:モンソンがタイトル防衛。アルゼンチン・サンタフェ州出身のモンソン。強力な右ストレートを持つことからニックネームは「Escopeta(ショットガン)」。アマチュアで活躍後、プロ入り。敗北やドローを経験しながらアルゼンチン王座、南米王座(いずれもミドル級)獲得。81戦目でニノ・ベンベヌチの王座に挑戦して世界王者に。ノンタイトル戦を挟みながらニノ・ベンベヌチ(再戦)、エミール・グリフィス、デニー・モイヤーらを相手に防衛。ボッグス戦は5度目の防衛戦となる。挑戦者ボッグスはデンマーク・コペンハーゲン出身の白人。1964年の東京オリンピックにライトミドル級で出場(メダルは獲得ならず)。プロでは地元で連勝。欧州王座(ライトヘビー、ミドル級)獲得、防衛。エミール・グリフィスに判定で初黒星。判定で欧州王座(ミドル級)陥落。このところマット・ドノバンらを相手に四連勝でモンソンに挑戦(ドノバンはボッグス戦の次の試合で輪島功一の世界王座に挑戦して惨敗)。コペンハーゲンでの一戦。ウィービングしながら前進し、左フックを狙うボッグス。モンソンは距離を取りながらジャブで相手の接近を阻み、得意の右ストレート。左フック、左ボディ打ちも巧い(力むことなく自然に打つ)。ジャブが少ないボッグスは前に出るが、ディフェンスされてパンチが当たらない。5R、左フックでボックスがスタンディングダウン。右ストレートで二度目。左フック(やや斜め下から打つタイプ)からの右ストレートで仕留めに掛かるモンソン。右ストレートでボックスが三度目のダウン。立ったが、レフェリーストップ。モンソンが楽勝。ボッグスは残念。ジャブを出さず、パワーもない挑戦者では話にならない。その後のボッグス。地元中心に試合。欧州王座(ミドル級)に返り咲いたが、後の世界王者ジョン・コンテとの欧州王座戦(ライトヘビー級)でTKO負け。ローカルな実力者としてキャリアを終えた。)


その後のモンソン

当時のトップ選手ベニー・ブリスコ、エミール・グリフィス(再戦)、ホセ・ナポレス、トニー・ムンディン(オーストラリアのアボリジニ。実力者ルイス・ロドリゲス、ベニー・ブリスコにKOされているが、オーストラリア王座(ミドル級、ヘビー級)、英連邦王座(ミドル級)を獲得するなどの実績。動きに乏しく、7RでモンソンにKO負け。息子アンソニー・ムンディンはWBA世界スーパーミドル級王者に)を相手に王座防衛。


カルロス・モンソン 10R TKO トニー・リカタ

(WBA世界ミドル級タイトル戦、1975年)

「槍の右ストレート」カルロス・モンソン「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

8R:右ストレートでリカタがダウン

10R:右ストレートで2度、リカタがダウン

(感想:モンソンがタイトル防衛。11度目の防衛戦。挑戦者リカタはルイジアナ州ニューオーリンズ出身。イタリア系と中国系の血を引いているらしい。1969年のデビュー以来、頻繁にリングへ。デニー・モイヤー、エミール・グリフィスに勝利。北米王座、次いで全米王座獲得。無敗だったが、イタリア・ミラノで初黒星(2-0)。再起戦に勝利してモンソンに挑戦。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦(レフェリーはトニー・ペレス)。パターンを確立しているモンソン。ジャブ連打。左フック、左ボディ打ちといった左のテクニックを使いながら強力な右ストレート(フック気味の場合も)。リカタはジャブに良さ。リズミカルにジャブを連打して意表を突くかのように右ストレート、左フック。モンソンがディフェンス(ブロック、スウェーほか)&強打(左フックからの右ストレートなど)で優勢。リカタは打たれてクリンチしたり、打ち返したり(なかなかタフ)。8R、右ストレートでリカタがダウン。立ったが猛攻されてKO負け寸前。粘るリカタだが、10Rに右ボディからの右ストレートでダウン。立ったが、右ストレートで再び。今度も立てたが、レフェリーストップ。モンソンが右強打で快勝。クリンチされてもみ合いになるシーンも多かったが、最後は得意パンチでフィニッシュ。リカタはジャブを当て、右クロスをヒットさせたシーンもあったが、その他のパンチに正確さとパワーを欠いた。その後のリカタ。パリでの再起戦にKO負け。マイナー王座を獲得後、アラン・ミンターに敗北。モンソン戦が唯一の世界戦となった。)


カルロス・モンソン 5R KO グラシアン・トナ

(WBA世界ミドル級タイトル戦、1975年)

「槍の右ストレート」カルロス・モンソン「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

5R:右フックでトナがダウン

(感想:モンソンがタイトル防衛。リカタ戦の次の試合はプロ100戦目(正確には違うかも。中南米の選手は滅法試合数が多いため)で、11度目の防衛戦。挑戦者トナはチュニジアのチュニス出身で、フランス国籍。敗北を経験しながらフランス王座獲得。ロドリゴ・バルデスのWBC王座に挑戦してKO負け。再起戦で欧州王座を獲得して、今度はWBA王座に挑戦。パリでの一戦。相手から距離を取って丹念にジャブを突くモンソン。得意の左フックからの右ストレート。トナは接近してストレート、フック。攻めが単発であるが、大振りのフックには威力がある。3R、トナの左フック、右ストレートがヒットしてモンソンがクリンチ。5R、それまでと同じような展開の中、モンソンの右フックでトナがダウン。立てず、KO。モンソンが右パンチで勝利。後頭部に当たったように見えたが、後ろから殴ったワケではないため反則にはならないのだろう。トナはよく頑張ったがジャブが少なく、そのせいで攻撃が不正確だったのが惜しい。その後の二人。トナは欧州王座戦でアラン・ミンターに勝利。しかし、ミンターとの再戦に敗れるなど全盛を過ぎていった。モンソンはロドリゴ・バルデスを破ってかつて剥奪されたWBC王座を奪回し、再び統一王者に。バルデスとの再戦にも勝利して引退。その後は事件、服役。仮出所中に交通事故を起こして死去。52歳没。) 

0 件のコメント:

コメントを投稿