2025年5月10日土曜日

「傷だらけのミドル級」ビト・アンツォフェルモ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界ミドル級王者。世界王者になる前の試合。デニー・モイヤー戦、ユージン・ハート戦、ウィリー・クラッセン戦を紹介します。


ビト・アンツォフェルモ(イタリア)

身長171cm:オーソドックス(右構え)


ビト・アンツォフェルモ 10R 判定 デニー・モイヤー

(ミドル級戦、1974年)

「傷だらけのミドル級」ビト・アンツォフェルモ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:アンツォフェルモはイタリア人。17歳の時、一家でアメリカへ。デビューから好調だったが、ハロルド・ウェストン(ウェルター級の実力者)に2RでTKO負け、初黒星。しかし、その敗北は負傷によるもの(アンツォフェルモらしい)。そこから連勝でモイヤー戦。モイヤーはオレゴン州ポートランド出身の白人。1957年、デビュー。エミール・グリフィス、シュガー・レイ・ロビンソンに勝利。決定戦で初代世界ジュニアミドル級王者になったが、初防衛ならず。世界王座陥落後、北米ミドル級王座を獲得して連続防衛。カルロス・モンソンの世界ミドル級王座に挑戦したが、敗北(1972年)。ピークを過ぎて勝ったり負けたりになったが、精力的に試合。このところ三連勝中。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦(レフェリーはアーサー・マーカンテ)。この頃はまだ口ヒゲが無いアンツォフェルモ(まるで別人)。ジャブを使いながら前進し、ショートパンチ。モイヤーもまたショートパンチを使うタイプ。距離を取って戦おうとするが、距離を詰められて応戦したり、クリンチしたり。互いに右ストレート、左フック。パワーはあまり感じられないが、左フックに良さ。攻めるアンツォフェルモ、対抗するモイヤー、といったパターンで10R終了。判定は3-0。似た戦い方をするタイプの対決は攻勢点でアンツォフェルモ。実力差はあまり感じられず。若いアンツォフェルモの方が体力的に有利だったか。ただ、アンツォフェルモは攻撃の正確さに欠け、地味な印象。その後もモイヤーはリングへ。1975年3月に判定負けしてそれがラストファイトに。通算戦績98勝(25KO)38敗4分。KO勝ちは少な目だった。)


ビト・アンツォフェルモ 5R KO ユージン・ハート

(ミドル級戦、1977年)

「傷だらけのミドル級」ビト・アンツォフェルモ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

5R:フック連打、右ボディで2度、ハートがダウン

(感想:モイヤー戦後、エミール・グリフィスに勝利したアンツォフェルモ。連勝でエックハルト・ダッゲを下して欧州王座を獲得したが、モーリス・ホープに敗北で王座陥落。再起戦に勝利してハート戦。ハートはペンシルベニア州フィラデルフィア出身の黒人で、ニックネームは「サイクロン」。デビューから連勝だったが、TKOで初黒星を喫してからはウィリーモンロー、ボビー・ワッツ、後の世界王者エディ・グレゴリーに連敗するなど不調。ベニー・ブリスコには1RでKO負け。マービン・ハグラーに敗北した再起戦でアンツォフェルモ戦。フィラデルフィアでの一戦(リングアナはエド・デリアン)。ジャブ、フックのハート。左フックに良さがあるが、一発にパワーを込めるタイプ。そのためバランスが崩れ、クリンチになるシーンが目立つ。口ヒゲのアンツォフェルモは踏み込んで右ストレート、左フックのしつこい攻撃。4R、左フックを食ってハートがピンチ。アンツォフェルモは得意のヘディングを使いながら接近戦を仕掛ける。5R、フック連打でハートがダウン。立ったが、連打からの右ボディで再びダウン。立てず、KO。アンツォフェルモがしつこく攻めて勝利。数多くパンチを当てて、相手を参らせるのがパターン。ハートは粗いボクシング。力加減をコントロールできれば良い選手なのだが、これが事実上のラストファイトに。その後は息子ジェシー・ハートがアマチュアで優秀な成績。プロでは世界王座は獲れなかったが、スーパーミドル級で活躍した。)


ビト・アンツォフェルモ 10R 判定 ウィリー・クラッセン

(ミドル級戦、1978年)

「傷だらけのミドル級」ビト・アンツォフェルモ「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ハート戦後、ベテランのベニー・ブリスコに勝利したアンツォフェルモ。クラッセンはプエルトリコの黒人。ニックネームは「Macho」(後のヘクター・カマチョ(プエルトリコ)と同じ)。エディ・グレゴリーに2-0で判定負け後は負け無し。「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦(ハイライト映像で観戦)。接近戦。しつこく攻めるアンツォフェルモに参ったらしく、クラッセンは右ストレート、インサイドのフックで攻撃してはクリンチ。無骨なアンツォフェルモがショートのストレート、フックで攻めの姿勢。判定は3-0。アンツォフェルモが攻勢点で評価されたと思われる(ただ、雑な攻め。個人的にはあまり好きなタイプではない。時折、良いパンチを入れる意外さはあったが)。クラッセンはテクニックはあったが、体力負け。ミドル級でそれでは厳しい。実際、その後は苦戦。トニー・シブソンにKOされ、ウィルフォード・サイピオンにもKO負け。そのダメージで死去(1979年11月28日、29歳)。アンツォフェルモは連勝の勢いで ウーゴ・コーロを破って世界ミドル級王者に。あのマービン・ハグラー相手に引き分けで王座防衛。アラン・ミンターに判定負けで王座陥落。再戦はTKO負けで王座奪回ならず。ミンターを破って新王者になったハグラーに挑戦したが、ダウンを食って完敗。ブランク、カムバックして連勝。マシュー・ヒルトン(後、IBF世界J・ミドル級王者に)にTKO負けで引退。引退後は俳優に転身。『ゴッドファーザーPARTIII』にも出演。息子はアマチュア選手として活躍した。) 

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