WBC世界クルーザー級王者。サミー・リーズン戦、マッシミリアノ・デュラン戦を紹介します。
カルロス・デ・レオン(プエルトリコ)
身長183cm:オーソドックス(右構え)
経歴
プエルトリコ・サンフアン出身のデ・レオン。プロ入り後、好調。WBC世界クルーザー級王者マービン・カメルに挑戦。実力伯仲だったが、活きのいい攻めっぷりで王座奪取(2-0の判定)。カメルとの再戦はTKO勝利。しかし、S.T.ゴードンに2RでTKO負け、王座陥落。ゴードンから3-0の判定で王座奪回。古豪ヤキ・ロペスらを相手に連続防衛。アルフォンソ・ラトリフに敗れて王座を失ったが、再起戦でバーナード・ベントンから王座奪回。連続防衛。WBA・IBF王者イベンダー・ホリフィールドとの「クルーザー級頂上決戦」にTKO負け。ホリフィールドがヘビー級進出のためクルーザー級王座返上。ホリフィールドに敗れてから約一年後の再起戦で空位になったWBC王座を狙う。
①カルロス・デ・レオン 9R TKO サミー・リーズン
(WBC世界クルーザー級王座決定戦、1989年)
(ダウンシーン)
9R:右フック、左フックで2度、リーズンがダウン
(感想:デ・レオンがタイトル奪回。30歳のデ・レオン。26歳のリーズンはロンドン出身の白人サウスポー。デビューから連勝で英国王者に。TKOで初黒星。欧州王座を決定戦で獲得し、防衛にも成功。このところ連勝の勢いで初の世界挑戦。ロンドンのミルウォールでの一戦(レフェリーはアーサー・マーカンテ)。典型的なサウスポーのリーズン。右ジャブ、ワンツー。接近戦は避けたいらしく、クリンチ。デ・レオンは攻めの姿勢で右ストレート、接近して左右フック。右目が腫れていくリーズンはさらに積極さを失う。9R、右フックでリーズンがダウン。立ったがダメージ深く、今度は左フックでダウン。同時にレフェリーは試合を止めた。デ・レオンがパワー&経験で勝利。リーズンはサウスポーのテクニックで相手をコントロールしようとしたが、身体全体のパワーに差があった。これが最後の試合に。)
②マッシミリアノ・デュラン 11R 反則 カルロス・デ・レオン
(WBC世界クルーザー級タイトル戦、1990年)
(ダウンシーン)
11R:右フックでデュランがダウン
(感想:デュランがタイトル獲得。英国のジョニー・ネルソン相手に引き分けで王座を防衛したデ・レオン。二度目の防衛戦はイタリアで。26歳の挑戦者デュランはイタリア・フェラーラ出身の白人。デビュー当初に敗北があったが、その後はイタリア王座(クルーザー級)を獲得するなど連勝中。イタリア・シチリア島のカーポ・ドルランドでの一戦。共に左のガードを下げてジャブ。右ストレート、左フックで攻めるデ・レオンだが、デュランはバックステップでかわしたり、クリンチしたり。接近戦を避けたいデュランは打っては抱きつくかのようにクリンチ。それに付き合って休むデ・レオン(まるでチークダンスのよう)。レフェリーはいちいちブレイクしなければならない(選手よりも忙しい)。時折、左フックを当てるデ・レオン。11R、しつこくクリンチしようとするデュランを突き放して右フック。ダウンしたデュランは立ち上がってボディ連打を見せるが、ローブローも入れてくる。それに怒りのデ・レオン。11R終了後に右ストレート。これをマトモに食ったデュラン。客席から大量のスパゲティ、靴などが投げ込まれて混乱。「反則」でデュランが新王者に。勝ったデュランと地元びいきの観客は大いに喜んでいた(つまらん勝ち方でも勝てば嬉しいものらしい)。デ・レオンが格下に妙な敗北。実力、パワーで勝っていながら相手のクリンチ&ローブローに我を失った。クリンチさせないのもプロの技。デ・レオンは動きの機敏さに欠けていた印象。クリンチは本来、反則。個人的にはプロレスばりに「両者反則」でもよかったのではないかと思う。その後の二人。デュランの初防衛戦の相手はアナクレト・ワンバ。頭から突っ込むワンバの戦いぶりをレフェリーが問題視し、ワンバの反則負け。何と二連続で反則勝ちを拾ったデュランだが、ワンバとの再戦でTKO負け、王座陥落。ワンバとのラバーマッチ(三度目の対戦)もTKO負け。欧州王座(クルーザー級)を獲得したが、カール・トンプソンにKO負け。ラストファイトはWBCインター王座戦でTKO負け。ヨーロッパ風のテクニックはあったが、パワー不足だった印象。デ・レオンは中堅どころを相手に連勝したが、ヘビー級のコーリー・サンダース、ブライアン・ニールセンに二連敗で引退。結局、WBC世界クルーザー級王座戦はデュラン戦が最後となり、同王座を獲得したのは計四度。ホリフィールドに敗れて「真のトップ」にはなれなかったが、「クルーザー級の顔」「最後のWBC戦が反則負け」ということで記憶に残ることとなった。)
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