WBC世界L・ヘビー級王者。世界戦&その後。レン・ハッチンス戦、マーテ・パルロフ戦ほかを紹介します。
ジョン・コンテ(イギリス)
身長183cm:オーソドックス(右構え)
トム・ボグス戦後のコンテ
ボグスを破って欧州L・ヘビー級王座を防衛したコンテ。その次の試合はクリス・フィネガンとの防衛戦(英国・英連邦・欧州王座)でTKO勝ち。王座返上。ホルヘ・アマウダとの決定戦でWBC世界L・ヘビー級王座獲得。ロニー・ベネットをKOして初防衛。強打者ヤキ・ロペスを判定で下して二度目。レン・ハッチンスと三度目の防衛戦。
①ジョン・コンテ 3R TKO レン・ハッチンス
(WBC世界L・ヘビー級タイトル戦、1977年)
(ダウンシーン)
3R:左フックでハッチンスがダウン
(感想:コンテがタイトル防衛。挑戦者ハッチンスはミシガン州の黒人。アマチュアの大会で優勝経験。プロではビクトル・ガリンデスと空位のWBA世界L・ヘビー級王座を争ってTKO負け。その後はUS王座(L・ヘビー級)を獲得・防衛するなど連勝中。英国リバプール(コンテの出身地)での一戦。互いにジャブ。ハッチンスはややアップライトなところがあり、パンチは手打ち気味(特にフック)。コンテが1Rから強い左フックを当てる。ハッチンスは攻められてクリンチで対応するが、3Rに左フックでダウン。立ったが左マユのキズもあり、レフェリーに止められた。コンテが楽勝。ハッチンスはガードの甘さ。良い右パンチを打つシーンもあったが、コンテを仕留めることができるようなパワフルな打ち方ではなかった。ハッチンスはこれが事実上のラストファイト。後、カムバックして数試合。ラストファイトは1982年で、3Rで敗北。相手はウィリー・エドワース(後、北米王座を連続防衛。しかし、ボビー・チェズのIBF世界クルーザー級王座への挑戦はKOで敗北)だった。)
②マーテ・パルロフ 15R 判定 ジョン・コンテ
(WBC世界L・ヘビー級タイトル戦、1978年)
(感想:パルロフがタイトル初防衛。ハッチンス戦で良い勝ち方をしたコンテだが、その後、防衛戦を放棄して王座剥奪(拒否した理由は不明。負傷かもしれない)。復帰戦に判定勝利。王座奪回を目指してパルロフに挑戦。王者パルロフはクロアチア・スプリト出身。アマチュアで大変な実績。1972年のミュンヘン・オリンピックではL・ヘビー級で金メダル。74年の世界選手権でも優勝。プロではデビューから連勝。マシュー・フランクリン(後のマシュー・サァド・ムハマド)に判定負け、初黒星。欧州王座(L・ヘビー級)獲得。フランクリンとドロー。ミゲル・アンヘル・クエーリョを破ってWBC王座獲得。コンテ戦は初防衛戦。ユーゴ スラビア・ベオグラードでの一戦。「いかにもアマチュア」といった感じのパルロフ。サウスポースタイルでディフェンスしながら左ストレートからの右ジャブといった小技、左ストレートでポイントを取ろうとする。コンテはジャブ、ワンツーで前進。右ストレートに強さがあるが空を切り、左ボディ打ちはブロックされる。10R、攻めるコンテだが、左ストレートを食う。11R、コンテはあせりからか、反則連発(相手の頭を押さえて攻撃、キドニーブロー)。14Rにラフ行為で減点。15R、左フックを当てたコンテだが、単発に終わる。15R終了。判定は2-1。パルロフがディフェンス&左ストレートで勝利。共に「当てるテクニック」があるが、この試合ではパルロフの左を当てる巧さが目立った。ただ、パワーはコンテの方があったように見えた。その後のパルロフ。次の試合でマービン・ジョンソン相手に二度目の防衛戦を行ったが、TKOで王座陥落。クルーザー級で二階級制覇を狙ったが、マービン・カメルとのWBC戦に敗れて引退。プロとしてはパワー不足だったか。)
③ジョン・コンテ 10R 引分 ジェシー・バーネット
(L・ヘビー級戦、1979年)
(ダウンシーン)
1R:左フックでコンテがダウン
8R:左ボディでコンテがダウン
(感想:パルロフに敗れたコンテ。再起戦にKO勝ちで、バーネットと再起二戦目。バーネットは経験あるロサンゼルスの黒人。ヤキ・ロペスに判定勝ち、ジェームス・スコットに2-0で敗北、カリフォルニア州王座(L・ヘビー級)を懸けてロペスと一勝一敗、ビクトル・ガリンデスに2-0で敗北、ミゲル・アンヘル・クエーリョとのWBC世界L・ヘビー級王座決定戦でTKO負け。その後はエディ・グレゴリー(後のエディ・ムスタファ・ムハマド)、ロペスらに四連敗するなど不調。直前の試合はTKO勝ち。ロンドン・メイフェアでの一戦(レフェリーはハリー・ギブス)。1R、左のガードを下げた構えからジャブを飛ばすバーネット。フック気味の右ストレートなどフックが得意の様子。コンテは細かくジャブ、得意の左フック。ラウンド終了間際、左フックでコンテがダウン。ゴングに救われる。2R、今度は右フックを食ってピンチ。その後、ディフェンスしながら互いにジャブ。右フックに良さがあるバーネットに対し、コンテは得意の左フックにパワーとキレが無い。6R、サウスポーにスイッチしたバーネットが右フックをヒットさせる。8R、右パンチが効いたコンテ。連打からの左ボディでダウン。その後は比較的静かな展開だが、バーネット優勢。10R終了。レフェリーは両者の手を上げて「引き分け」を宣言(PTSによる判定)。納得いかないバーネット陣営はレフェリーを問いただすが、無駄だった。コンテが地元で負けずに済んだ試合。動きのスピードに欠け、全盛を過ぎた感があった。バーネットは映像では勝ったように見えたが、積極さに欠ける欠点。チャンスに精力的に攻めなかったところに限界があった。その後の二人。バーネットはガリンデスに3-0で勝利したり、レオン・スピンクスに3-0で敗北したり。STゴードンのWBC世界クルーザー級王座への挑戦はTKO負け。世界王者にはなれなかった。コンテは王座奪回を目指してWBC世界L・ヘビー級王者マシュー・サァド・ムハマドに挑戦したが、判定負け。試合はかなりの激戦。試合後、「ムハマドが禁止されている止血剤を使った」とコンテ陣営がクレーム。再び王座を懸けて対戦したが、今度はKOでムハマド勝利。コンテは再起戦にKO勝利して、引退。ボクシング以外の話題としては、現役時代から映画に出演したり、ウィングス(ポール・マッカートニー)のアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』のジャケットに囚人服姿で登場したり。英国から勲章を受ける名誉もあった。)
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