WBC世界クルーザー級王者。世界王座陥落後の試合。クレイグ・ボジアノスキー戦(再戦)、ジェフ・ラムキン戦ほかを紹介します。「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」
アルフォンソ・ラトリフ(アメリカ)
身長193cm:オーソドックス(右構え)
①アルフォンソ・ラトリフ 10R 判定 エライジャ・ティレリー
(クルーザー級戦、1982年)
(感想:スリムな長身の黒人ラトリフ(26歳)はテネシー州出身。家庭の都合でミシシッピ州へ。シカゴに移住してボクシングを始める。アマチュアで好調。プロ入り。身体が細いため、ベストウェートはクルーザー級。しかしながら、対戦相手はヘビー級(クルーザー級は不人気クラスのためマネーにならない)。デビューから13連勝(10KO)だったが、後の世界ヘビー級王者ティム・ウィザスプーンにTKO負け(1981年)。再起戦でエライジャ・ティレリーと勝負。ティレリー(24歳)はニューヨークの黒人。デビューから連勝だったが、判定で初黒星。再起戦に勝利してラトリフ戦。アトランチックシティ「Playboy Hotel & Casino」での一戦(リングアナはエド・デリアン、レフェリーはラリー・ハザード)。共にスリムな体型。ティレリーは顔立ち、左のガードを下げる構え、打ち方がどことなくモハメド・アリのような男。思い切りのいい姿勢でワンツー、斜め下からのフック、インサイドからのパンチ、左フックからの右ストレート、アリ式「フットワーク&ジャブ」など。ただ、真っ直ぐ攻めるクセがあり、ディフェンスに甘さが感じられる。ラトリフはディフェンスに気を配りながらジャブ、ストレート、接近してボディ打ち。3R、ラトリフが右アッパーからの左フック。7R、激しい打ち合い。しかし、ティレリーは攻撃が続かず受け身に。10R、攻めるラトリフ。ティレリーはロープを背負いながら応戦(ロープ・ア・ドープ?)。10R終了。判定は3-0。共に良いパンチを持っていたが、終始攻め続けたラトリフが勝利。ティレリーはもったいない。攻めが続かず(スタミナが無いようには見えなかったが)。集中力の欠如、ガードの甘さが原因かもしれない。その後のティレリー。北米クルーザー級王座戦で判定負け。ヘビー級進出。リディック・ボウ相手にヘンな反則負け。ボウとの再戦にTKO負け。ブランク後、元WBA世界ヘビー級王者ジェームス・スミスにTKO負けで引退(1993年)。ムスリムとしてサウジに巡礼して改名。しかし2008年、ショットガンを隠し持っていた罪で懲役9年。)
その後のラトリフ
連勝後、後の世界ヘビー級王者ピンクロン・トーマスにTKO負け(1983年)。カルロス・デ・レオンに2-1で判定勝ちしてWBC世界クルーザー級王座奪取(1985年)。しかし、初防衛に失敗。マイク・タイソンに2RでKO負け(1986年)。英国のヘビー級ゲイリー・メイソンにTKO負け(1988年)。メイソンに敗れた再起戦でクレイグ・ボジアノスキーと再戦。
②アルフォンソ・ラトリフ 10R 判定 クレイグ・ボジアノスキー
(イリノイ州ヘビー級&クルーザー級タイトル戦、1988年)
(感想:ラトリフがタイトル獲得。これまで23勝(17KO)7敗のラトリフ(32歳)。20勝(17KO)1敗のボジアノスキー(27歳)はイリノイ州の白人。プロ入り後、好調だったが事故で片足を失う。義足を着けて現役続行。決定戦でイリノイ州王座(ヘビー級)獲得。その次の試合はラトリフ戦。空位のイリノイ州王座(クルーザー級)を懸けて行われ、ダウンを奪ったラトリフが2-0で勝利。再起三連勝。再戦は自身のヘビー級王座、ラトリフのクルーザー級王座のダブルタイトル戦。二冠王なるか、といったところ。イリノイ州ハーベイでの一戦。開始から攻めるボジアノスキー。接近して連打。ただ、攻めるときのディフェンスに甘さ。それをタフネス&攻める姿勢でカバー。ラトリフは相手から距離を取って長いパンチ(ジャブ、右ストレート)、振りの大きいフック。3R、ラトリフがフックで優勢。その後も前に出るボジアノスキーだが、ラトリフの大きなパンチ、インサイドからの右アッパーなどを打たれる。互いに疲れが見える中、ラトリフのフック、右アッパーがヒット。10R、ラトリフの右フックでボジアノスキーがダウン寸前に。10R終了。判定は2-0。ラトリフが大きなフックで勝利。ボジアノスキーは体力勝負の疲れる打ち方で、攻撃の正確さに欠いた。また、バランスにも問題。ヒザが原因なのかもしれないが真っ直ぐ攻めるところがあり、「体重の移動」ができない。その後のボジアノスキー。後のIBF世界クルーザー級王者ジェームズ・ワーリングに判定負け。WBA世界クルーザー級王者ロバート・ダニエルズに判定負けで王座奪取ならず。その後は連勝で負け無しだったが、世界戦は無し。引退後はスポーツ・インストラクター、建設業、料理人として生計。しかし、2013年に52歳で死去。眠ったまま自然死したそうだ。)
③アルフォンソ・ラトリフ 7R KO リッキー・パーキー
(全米クルーザー級王座決定戦、1988年)
(ダウンシーン)
4R:左フックでパーキーがダウン
7R:右フック、右アッパーで2度、パーキーがダウン
(感想:ラトリフがタイトル獲得。ボジアノスキー戦の次の試合。パーキー(31歳)はテネシー州モリスタウン出身の黒人で、元IBF世界クルーザー級王者。リー・ロイ・マーフィを破ってIBF王座獲得。チサンダ・ムッティ相手に初防衛。しかし、二度目の相手は強すぎた。WBA王者イベンダー・ホリフィールドとの統一戦で、3RでTKO負け。ヘビー級転向。強打者ジョニー・デュプロイ、ゲイリー・メイソンに二連続KO負け。ホリフィールド戦から三連続KO負けの状況でラトリフ戦。ウィスコンシン州ミルウォーキーでの一戦。互いにジャブ。パーマ頭のパーキーは左のガードを下げた構えから大きな右フック。しかしながら、動きにキレがなく緩慢。打ち終わった後にバランスを崩したり、隙ができたり。ラトリフは右ストレートにキレがあり、接近して得意のボディ打ち。3R、モハメド・アリ式「フットワーク&ジャブ」のパーキーだが、動きの鈍さは変わらず。4R、右ストレートでピンチのパーキー。右フックからの左フックでダウン。7R、右フックでパーキーがダウン。立ったが、今度は右アッパー。片ヒザをキャンバスに着いたままカウントアウト。「元世界クルーザー級王者対決」はラトリフに軍配。左マユ付近をカットしてしまったが(右フックを食ったときのものか?)、試合自体は難しいものではなかった。パーキーは連続KO負けのダメージが残っていたのだろう。引退した方が良い、と思えるような動きだった。その後のパーキー。WBF王座(クルーザー級)を獲得できたが、ドワイト・ムハマド・カウィらを相手に12連敗で引退。)
④ジェフ・ラムキン 5R TKO アルフォンソ・ラトリフ
(全米クルーザー級タイトル戦、1988年)
(感想:ラムキンがタイトル獲得。ラトリフの初防衛戦。挑戦者ラムキン(27歳)はオハイオ州の黒人。アマチュアでは数々の大会優勝。しかし、プロではデビューから連勝だったが、ジョニー・デービス、フリー・オベル、チャールズ・ウィリアムスらに敗北するなど勝ったり負けたりに。全米クルーザー級王座決定戦で2-1の敗北。今回が二度目の同王座へのチャレンジ。これまで30勝(24KO)14敗1分。アトランチックシティでの一戦(リングアナはエド・デリアン、レフェリーはトニー・オーランド)。互いにジャブ。身長で上回るラトリフは距離を取ってワンツー、左フックからの右ストレート。ラムキンは筋が良く、なかなか良い打ち方。ウィービングしながら前進して右フック、左ボディ打ち。実にパワフルで、コンビネーション(右アッパーからの左フック、ほか)も使う。パワーで押すラムキン。ラトリフは反撃するが、ディフェンスされたりでラムキンの前進を止められず。4R、ラムキンが強打で優勢。5R、左フックからの右フックでラトリフが打たれたところでレフェリーストップ(ラトリフはストップに不満のようだったが、押され気味の展開が続いていたためやむを得ない)。ラムキンがパワフルな攻めで勝利。これまで14敗しているのが信じられないほどの強さ。負けながらも努力したのだろう。ラトリフも良いパンチ(ワンツーほか)を打っていたが、元々パワーがあるタイプではないため相手の勢いに押されてしまった。その後の二人。ラムキンはIBF世界クルーザー級王者に。防衛後、ヘビー級に進出するため王座返上。しかし、ハービー・ハイド、アンドリュー・ゴロタに敗北。ヘビー級では通用せず。ラトリフはリー・ロイ・マーフィ(元IBF世界クルーザー級王者)とイリノイ州ヘビー級王座戦を行い、KO負けで引退。コチラもヘビー級では通用せず。ラスト三試合がIBF世界クルーザー級王座がらみだったのが「ラトリフのキャリア」を物語っているような気がする。)
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