WBC世界L・ヘビー級王者。世界王者になる前の試合。ルディガー・シュミッケ戦、クリス・フィネガン戦(初戦)ほかを紹介します。
ジョン・コンテ(イギリス)
身長183cm:オーソドックス(右構え)
①ジョン・コンテ 12R TKO ルディガー・シュミッケ
(欧州L・ヘビー級タイトル戦、1973年)
(ダウンシーン)
6R:右フック、右フック、右ストレートで3度、シュミッケがダウン
12R:連打でシュミッケがスタンディングダウン
(感想:コンテがタイトル獲得。リバプール出身のコンテ。母はアイルランド、父はシエラレオネ共和国の人。10歳でボクシングを始める。アマチュアで活躍(大会で優勝したことも)。ロンドンでのプロデビュー以来、一つの敗北を除いて順調。これが初の王座戦。シュミッケはドイツ・フランクフルト出身。ドイツ王座(L・ヘビー級)獲得。欧州王座(L・ヘビー級)は判定負けで獲得ならず。二度目の挑戦で欧州王者に。コンテと初防衛戦。英国ウェンブリーでの一戦。前傾姿勢で相手の隙をうかがうコンテ。パンチに鋭さがあり、ディフェンスしながら左ジャブ、右ストレートをヒットさせる。シュミッケは正統派で、ジャブ、ストレート。悪くはないが、正直なボクシング過ぎて打たれる。6R、右フックでシュミッケがダウン。右フックで二度目。三度目は痛烈なもので、右ストレートでうつぶせにダウン。しかし、ここからシュミッケは粘り強くジャブを出す。ただ、パンチのキレ・正確さでコンテ優勢。12R、コンテが右ストレート、左フック、左ボディ打ち。連打でシュミッケがスタンディングカウントを取られる。戦意喪失で試合終了。同じようにジャブを打ち合ったが、コンテが勝利。パンチの伸び・スピードに差があった。コンテはダッキングなどのディフェンスも巧かった。その後、シュミッケはドイツ王座戦に敗れるなどサッパリ。最後は連敗でキャリア終了。)
②ジョン・コンテ 15R 判定 クリス・フィネガン
(英国・英連邦・欧州L・ヘビー級王座統一戦、1973年)
(感想:コンテがタイトル獲得。シュミッケ戦の次の試合。英国・英連邦王者フィネガンとの統一戦。フィネガンは英国の白人サウスポー。1968年のメキシコ・オリンピックではミドル級で金メダル。プロでは欧州ミドル級王座戦に敗北後、英国・英連邦L・ヘビー級王座獲得。欧州L・ヘビー級王座も獲得して世界L・ヘビー級王者ボブ・フォスターに挑戦。14RでKOされたが、「リング」誌から「1972年、ファイト・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。再起戦でシュミッケに敗れ、欧州王座陥落。コンテを倒してかつて保持していた王座を奪回できるかどうか、といったところ。ウェンブリーでの一戦(ハイライト映像で観戦)。フィネガンはテクニックで勝負するタイプ。右ジャブ、ワンツーからの右ジャブといったテクニック。コンテはテンポ良く右ストレート、左フック。パンチを正確に当て、特にサウスポーを苦手としているような雰囲気はない。パワーとキレのあるパンチをコンテが正確に当てて15R終了。レフェリーはコンテの手を上げた(PTSによる判定)。コンテが勢いではなく、実力で勝利。フィネガンはあまりパワーが感じられない戦いぶり。その後、フィネガンはコンテの統一王座に挑戦して敗北。しかし、英国王座をジョニー・フランカムから奪回して引退。)
③ジョン・コンテ 10R 判定 レス・ステベンス
(L・ヘビー級戦、1974年)
(感想:「ヨーロッパ・ナンバーワン」のコンテ。防衛にも成功し、ステベンスとノンタイトル戦(74年、初試合。2月)。ステベンスは英国の白人。アマチュアではヘビー級で王者に。プロデビューから連勝だったが、TKOで初黒星。ローカル王座(ヘビー級)を獲得してコンテ戦。英国ケンジントン「ロイヤル・アルバート・ホール」での一戦。似たタイプの二人。隙をうかがいながらジャブ、ワンツー、左フック。ショートパンチのステベンスはインサイドからアッパーを狙ったり、ワンツーからのジャブといったテクニックを披露したり。しかしながら、ディフェンスと当てるテクニックでコンテ。左フックにパワー。接近戦では共にクリンチが多い。8R、ステベンスのワンツーでコンテのマウスピースが落下。10R、コンテの右フックがヒット。クリンチするステベンス、攻めるコンテ。10R終了。レフェリーはコンテの手を上げた(PTSによる判定)。クリンチが多い試合となったが、コンテがパワー&当てる巧さで勝利。同じように打ち合っても当たるのはコンテのパンチ。そのキレのあるパンチには微妙な伸びがあるようだ。ステベンスはタフで手数を出して頑張る選手だが、普通。「特別な強さ」がないと上に行くのは厳しい。その後のステベンス。次の試合でジミー・ヤング(後、モハメド・アリの世界王座に挑戦)に判定負け。連勝後、ローカル王座戦(ヘビー級)に敗北して引退。試合は全て英国で、海外では一度も戦わなかった。)
④ジョン・コンテ 7R TKO トム・ボグス
(欧州L・ヘビー級タイトル戦、1974年)
(ダウンシーン)
1R:右ストレートでコンテがダウン
(感想:コンテがタイトル防衛。英国・英連邦・欧州王者コンテが欧州王座防衛戦。挑戦者ボグスはデンマーク・コペンハーゲン出身(そのため英国・英連邦王座に挑戦できない)。1964年の東京オリンピックにライトミドル級で出場(メダルは獲得ならず)。大会後、プロ入り。地元で連戦連勝。欧州王座(L・ヘビー級、次いでミドル級)獲得。エミール・グリフィスに判定負けで初黒星。それからは取りこぼしが出るようになり、カルロス・モンソンの世界ミドル級王座への挑戦はTKO負け。その後は欧州ミドル級王座を奪回するなど連勝でコンテに挑戦。かつて保持していた王座を奪回できるかどうか? ウェンブリーでの一戦。1R、ボグスがフットワーク&手数。前に出る姿勢で、ジャブ連打、ワンツー。コンテはパワーを見せるが、右ストレートでダウン。その後、攻めるボグス、応戦するコンテ。3R、ワンツーでボグスがダウンしたが、レフェリーはダウン扱いせず(パンチが見えなかったか?)。接近戦で打たれるボグス。クリンチするが、6Rには左フックなどをまとめて食らう。このラウンド終了後、ボグスは棄権。コンテが正確な強打で勝利。ダウンを食ったパンチはタイミングの良いものであったため、評価が下がることはないと思われる。ボグスはベテランらしい手数と攻めのボクシング。しかし、強打を浴びた。その後、ボグスは勝ったり負けたりで引退。世界王座には手が届かなかった。)
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