WBA世界J・ミドル級王者。朱虎戦、モンティ・ベサム戦、マリアン・ベネス戦(WBA戦)を紹介します。
アユブ・カルレ(ウガンダ)
身長175cm:サウスポー
①アユブ・カルレ 2R KO 朱虎
(ミドル級戦、1979年)
(ダウンシーン)
2R:左ストレートで朱がダウン
(感想:カルレはウガンダ・カンパラ出身の黒人サウスポー。アマチュアでは世界ボクシング選手権で優勝(ライトウェルター級)。デンマークに移住し、プロ転向。連戦連勝。英連邦ミドル級王座獲得、防衛。これまで全勝。ニックネームは「Gentleman」(後にミドル級でセンセーションを巻き起こす「野獣」ジョン・ムガビ(ウガンダ・カンパラ出身)とは大違いの呼ばれ方)。朱虎は韓国人。韓国王座(ミドル、J・ミドル級)、東洋太平洋王座(J・ミドル級)を獲得、防衛してきたアジアのトップ選手。日本の選手も破ってきたが、工藤政志のWBA世界J・ミドル級王座に挑戦して判定負け。その再起戦でカルレと勝負。デンマーク・ラナースでの一戦。リズミカルなカルレ。ディフェンスしながら右ジャブ、左ストレート、フック。朱虎は力むタイプ。左フックにパワーを込めるが、かわされる。2R、テンポの良い攻めを見せるカルレ。左ストレートで朱がダウン。立てず、KO。カルレが力強いKO勝利。テクニックに定評があるカルレだが、パワーもある。朱虎はパワーはあったが、空転。相手のスムーズな動きに対応できなかった。そして再起戦で三原正にKOされて引退。)
②アユブ・カルレ 4R TKO モンティ・ベサム
(ミドル級戦、1979年)
(感想:朱虎戦の次の試合。ベサムはサモア・トゥアシビ出身で、ニュージーランド国籍。ニュージーランドが主戦場。オーストラリア王座戦(ライトヘビー級)に敗れたが、英連邦ミドル級王座獲得、防衛(英連邦ミドル級王者としてカルレより先輩にあたる)。王座陥落後、オーストラリア王座(ミドル級)を獲得してカルレ戦。デンマーク・ブレンビーでの一戦(ハイライトで観戦)。リズミカルな動きで自在にパンチを打ち込むカルレ。右ジャブ連打、左ストレート。特に右パンチが多彩で、打つときはまとめて連打。ベサムはフックで応戦するが受け身の姿勢で、ロープ際に追い込まれる。4R、ベサムが連打されたところでレフェリーストップ。まだ、続行できたようにも見えたが、ここはヨーロッパ。ストップが早め。カルレがサウスポーのテクニックで勝利。リズムに乗って相手のガードの隙を突く攻めだった。ベサムは次の試合でアラン・ミンターに敗北(ミンターはその後、世界ミドル級王者に)。以後はニュージーランドで地域王座戦に勝利するなどの活躍。ローカルな実力者としてキャリアを終えた。)
③アユブ・カルレ 15R 判定 マリアン・ベネス
(WBA世界J・ミドル級タイトル戦、1980年)
(感想:カルレがタイトル防衛。工藤政志を破ってWBA王者になったカルレが三度目の防衛戦。挑戦者ベネスはセルビア・ベオグラード出身。アマチュアで活躍。1976年、モントリオール・オリンピック出場(メダルは獲得ならず)。1977年、プロデビュー。敗北はあったが、欧州王座(J・ミドル級)を獲得、防衛している。デンマーク・ラナースでの一戦。リズミカルなカルレ。ジャブ、ワンツー、フック。左ストレートからの右ジャブといったテクニックも披露。ベネスはウィービングしながらゴツい腕でパワフルな右ストレート、左フック。しかし、攻撃のリズムが単発でよくないためディフェンスされる。攻めるベネスにカルレがジャブ、カウンター。手数でカルレ優勢。15R終了。判定は3-0。カルレがテンポの良い攻撃で勝利。しかし、軽いパンチで、KOを狙うようなエキサイティングな試合ぶりではなかった(ヨーロッパのファンが喜びそうなスタイル)。ベネスは最終ラウンド終了後、両手を上げて自身の勝利をアピールしていたが、空転。終盤に強いパンチを当てたが、全般的には攻めが粗すぎてディフェンスされた。その後のベネス。ルイジ・ミンキロに敗れ、欧州J・ミドル級王座奪回ならず。その試合、またはそれ以前に左目を痛め、引退。その後、波瀾万丈。ボスニア紛争で兄を失ったり、離婚したり。2017年にアルツハイマー病を発症。2018年9月4日、67歳で死去。世界王者にはなれなかったが、「ユーゴスラビア史上最高のボクサー」の一人とされている。)
0 件のコメント:
コメントを投稿