WBO・IBF世界ヘビー級王者。ティム・ピュラー戦、ジョン・サージェント戦、ダバリル・ウィリアムソン戦を紹介します。
クリス・バード(アメリカ)
身長183cm:サウスポー
①クリス・バード 5R TKO ティム・ピュラー
(ヘビー級戦、1995年)
(ダウンシーン)
5R:左ボディでピュラーがダウン、連打でスタンディングダウン
(感想:ミシガン州フリント出身の黒人サウスポー、バードは「ボクシング一族」。レイモン・ブリュースターは従兄弟。ニックネームは「Rapid Fire(速射)」。1992年バルセロナ・オリンピックではミドル級で銀メダルを獲得。プロではこれまで11連勝(8KO)で、24歳。試合数はまだ少ないが、全米ヘビー級王座を獲得。直前の試合ではアーサー・ウィリアムス(後、IBF世界クルーザー級王者に)に2-1で勝利。ピュラー(24歳)はイスラエル出身で、主戦場はアメリカ。中堅どころを相手に13勝(7KO)2敗。バードの地元フリントでの一戦(バードのパンチが当たるたびに客席が沸いた)。受け身の姿勢のバード。右ジャブ、左ストレート。動きはそれほど速くなく、身体も特に絞られておらず、見た感じではあまり強そうに見えない。ピュラー(星条旗&イスラエルの「星」トランクス)はジャブを使いながら前進し、右ストレート、フックを狙う。しかし、ディフェンスされて空転。バードは打つときはまとめて打つタイプで、一気にコンビネーション(「左ストレートからの右フック」「右ジャブ、左ストレート、右ジャブ」など)。細かいパンチを当てる。5R、一気にラッシュするバード。左ボディでピュラーがダウン。立ったが、連打でスタンディングダウン。左目のキズのチェックを受けたピュラーだが、連打(Rapid Fire)を浴びてレフェリーストップ。バードが爆発力で勝負。のらりくらりとしたボクシングをしながら攻めるときは一気。これが彼の強味か。ピュラーはボディ攻めは良かったが、ディフェンスされた。その後、ピュラーはティム・ウィザスプーン、ルー・サバリースに敗れて三連敗。その後は中堅どころに連勝したり、ピークを遙かに過ぎたジェームス・ティリスに勝利したり。ローカルな実力者としてキャリアを全うした。)
②クリス・バード 2R TKO ジョン・サージェント
(ヘビー級戦、1999年)
(ダウンシーン)
1R:ワンツーでサージェントがダウン
2R:連打でサージェントがスタンディングダウン
(感想:好調のバード。ナサニエル・フィッチ、ユーライア・グラント、バート・クーパー、ジミー・サンダーらを相手に連勝。しかし、アイク・イベアブチ(ナイジェリア)にTKO負け(初黒星)。その再起戦でサージェントと勝負。サージェントはミネソタ州の白人。ニックネームは「Hogman」(「豚男」の意。なぜこんなヒドい呼ばれ方?)。1990年にデビューして中堅相手に連勝。ブランクを作り、判定で初黒星。その後もブランクがちにリングに上がり、連勝。そしてこのバード戦。ペンシルベニア州フィラデルフィアでの一戦。とても太っているサージェント(「四回戦チャンピオン」のバタービーンに似た体型)。ジャブ、フックを出すが踏み込みが甘く、打ち方も微妙。バードはジャブ、連打。軽いパンチをまとめる。ワンツーでサージェントがダウン。2R、バードが連打。左ストレートを食って後退したサージェントが連打を浴びてスタンディングダウン。再開に応じることはできたが、連打されてレフェリーストップ。バードが楽勝。勝っても自慢にならない相手だったが、ボディ打ちを交えた連打には勢いがあった。サージェントは太りすぎ。マトモにパンチも打てず、動きも鈍かった。この後、サージェントはブランク。カムバックして無名相手に連勝したが、シャノン・ブリッグスとのIBU王座決定戦で1RでTKO負け。サージェントはアルコール依存症だったらしく、ブランクと敗北はそれが原因。デビュー当初、好調だった頃はどんな動きをしていたのだろう?)
その後のバード
ホセ・リバルタらに連勝後、ビタリ・クリチコのWBO王座に挑戦して王座獲得。しかし、ビタリの弟ウラジミールに敗れて初防衛ならず。全米王座返り咲き。デビッド・トゥアを相手に初防衛。イベンダー・ホリフィールドとのIBF世界ヘビー級王座決定戦に判定勝ちして世界王座返り咲き(2002年)。初防衛に成功し、アンドリュー・ゴロタと二度目の防衛戦。
③クリス・バード 12R 引分 アンドリュー・ゴロタ
(IBF世界ヘビー級タイトル戦、2004年)
(感想:バードがタイトル防衛。二度目の防衛戦。これまで38勝(31KO)4敗の挑戦者ゴロタはポーランド・ワルシャワ出身の大型選手。体格の割には細かいパンチを使う男。リディック・ボウ相手に優勢に試合を進めながら不可解な二連続反則負け。レノックス・ルイスのWBC王座に挑戦して何と1RでKO負け(1997年)。そこから連勝後、マイケル・グラントにTKO負け。そこから連勝で、この二度目の世界挑戦。ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」での一戦(レフェリーはランディ・ニューマン)。体格差を意識しているのか、バードはエラい慎重。相手から距離を取って右ジャブ、左カウンター。実に受け身でディフェンンシブな試合ぶり。ゴロタは前進し、右ストレート、ショート連打。しかし、バードは柔軟な動きでパンチをかわしたり、ブロックしたり。ゴロタは以前ほどパンチのキレが無くなった印象。2R、バードの左カウンターがヒット。3R、ゴロタの左フックがヒット。その後も距離を詰めるゴロタ、カウンター狙いのバード。6R終了のゴング後、ゴロタが後ろからバードの後頭部を殴るハプニング(バードが相手に背を向けたことによるもの。ゴングが鳴ったからといって油断してはならない)。最後まで受け身のバード。ゴロタは攻めるが、中途半端にクリンチ(スタミナが続かないようだ)。12R終了。判定はドロー。何とも盛り上がらなかった試合。バードは「世界ヘビー級王者」らしくない戦いぶり。ゴロタも燃料不足。90年代は最高に盛り上がった世界ヘビー級もスッカリ落ちてしまった。その後のゴロタ。レイモン・ブリュースターのWBO王座に挑戦して1RでTKO負け。地域王座は獲得できたが、世界王者にはなれなかった。)
④クリス・バード 12R 判定 ダバリル・ウィリアムソン
(IBF世界ヘビー級タイトル戦、2005年)
(感想:バードがタイトル防衛。三度目の防衛戦でジャミール・マクラインを破ったバード。これまで38勝(20KO)2敗1分。四度目の防衛戦。挑戦者ウィリアムソンはワシントンD.C.出身の黒人。元々はフットボールをやっていたが、25歳でボクシングを始める。アマチュアの大会に数多く出場。2000年、プロデビュー。ジョー・メシ、ウラジミール・クリチコらには敗れたが、北米王座、NABO王座、WBC米大陸王座などを獲得。22勝(18KO)3敗。「IBF3位」としてこれが初の世界挑戦。ネバダ州リノでの一戦(会場ではウィリアムソンの妻シャリファが観戦)。左右の構えの違いはあるが、似たタイプ。慎重姿勢でジャブ、ストレート。踏み込んで左ストレートのバード。ウィリアムソンは右ストレート。パンチのキレはバード。しかしながら、実に残念な試合。特にウィリアムソン。自分から攻めない。パンチのキレがないうえに打ち方も微妙。「おっかなびっくり」な試合ぶりで、クリンチを多用。王者バードも元々一発で相手を倒すようなパンチャーではないため試合を盛り上げることができず、接近してもクリンチされてそれっきり。全く盛り上がらないまま12R終了。判定は3-0。前に出たバードが勝っただけの実に残念だった「世界ヘビー級タイトル戦」。マイク・タイソンが王者の時代だったらウィリアムソンが挑戦することはなかったろうし、挑戦したとしても2R以内に終わっていただろう。カネを払って観戦していたリングサイドの客が気の毒に思えたほどの凡戦だった。その後の二人。ウィリアムソンは地域タイトル戦、WBC王座挑戦者決定戦に敗れてキャリア終了。二度目の世界挑戦ならず。バードは次の試合でまたしてもウラジミール・クリチコに王座を奪われ、王座陥落。その後もリングに上がったが、それが最後の世界戦に。連打の回転は速かったが、そのため「軽いボクシング」のイメージを残した。)
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