南ア、期待の星。ベニー・ノエツ戦、ジェームズ・ブロード戦、その後を紹介します。
ジョニー・デュプロイ(南アフリカ)
身長191cm:オーソドックス(右構え)
①ジョニー・デュプロイ 1R KO ベニー・ノエツ
(ヘビー級戦、1987年)
(ダウンシーン)
1R:右ストレートでノエツがスタンディングダウン
(感想:南アフリカ・ハウテン州出身の白人のデュプロイ。アマチュアでは196勝4敗。南アフリカ・ヨハネスブルグで1985年にプロデビュー(1RでTKO勝ち)。右のパンチが強く、アメリカの中堅選手デビッド・ジャコ(背が高く、多くの名のある選手と対戦)、デビッド・ベイ(ラリー・ホームズのIBFタイトルに挑戦したことがある)に勝利するなどこれまで全勝。ノエツもハウテン州出身。実力者カリー・ノエツの弟。1980年にデビュー。連勝だったが、TKOで初黒星。ピエール・コーツァーとの南アフリカ王座決定戦でKO負け。このところローカル王座を獲得するなど連勝中。ただし、これまでの試合は全て南アフリカで、相手は中堅選手がほとんど。ヨハネスブルグでの一戦。足でリズムを取るサウスポー、ノエツ。右フック、左ストレート。デュプロイは相手がサウスポーということで右ストレートを狙い、打つときはまとめて連打。デュプロイが左フックからの右ストレート、そして左ボディ打ち。これが効いたノエツは動きが止まる。デュプロイは容赦無く攻撃し、右ストレートでノエツがスタンディングカウントを聞く。完全に効いて戦意喪失のノエツはそのままカウントアウトされたらしく、KO(レフェリーの措置がわかりにくかった)。デュプロイが快勝。何とも凶暴な攻めを見せた。ノエツは左ボディ打ちが脇腹に当たったようで、猛打を浴びてしまった。これが最後の試合に。)
②ジョニー・デュプロイ 4R KO ジェームズ・ブロード
(ヘビー級戦、1988年)
(ダウンシーン)
4R:連打でブロードがダウン
(感想:ノエツ戦の次の試合でリッキー・パーキー(前IBF世界クルーザー級王者。イベンダー・ホリフィールドとの世界王座統一戦に敗れた再起戦だった)に勝利したデュプロイ。しかし、元WBA王者マイク・ウィーバーにTKOで初黒星。再起戦の相手はアメリカの巨漢。ブロードはノースカロライナ州出身の黒人。アマチュアで活躍。プロ入り。後のWBA王者ジェームス・スミスをKOするなど連勝。マービス・フレージャーに判定負け、初黒星。北米王座獲得。ティム・ウィザスプーンにKO負けで王座陥落。トニー・タッカー、フランチェスコ・ダミアニ、グレグ・ペイジに三連敗。実力者に勝てない苦しい状況。直前の試合は判定勝ち。ヨハネスブルグでの一戦(レフェリーはスタンリー・クリストドーロー)。互いにジャブ。デュプロイは慎重に相手から距離を取って右ストレート、左フック。太っているブロードはモタモタしてスピードが無いが、タフネスで前に出る姿勢。ジャブは良いが、打たれる。4R、右ストレートが効いたブロード。デュプロイが一気に畳み掛ける。ロープにもたれるように倒れたブロードは立てず、KO。デュプロイがまたしても凶暴な攻めで快勝。チャンスのときに一気に攻めるシーンに迫力があった。ブロードは残念。太りすぎ。アマチュアで優秀だったのを物語る良いジャブを打っていたが、全体的な動きはサッパリ。引退すべきレベルだったが、その後もリングへ。次の試合でドノバン・ラドックに惨敗。巨体を買われてマイク・タイソンのスパーリング・パートナーを務めるなど話題にはなったが、プロではあまり活躍できず。2001年に43歳で亡くなった。)
その後のデュプロイ
ブロード戦の次の試合でマイク・ウィーバーを2RでKOして雪辱を果たしたデュプロイ。その次の試合はジェームス・プリチャードと引き分け。そしてスナイプス戦でTKO負け。プリチャードをTKOするなど三連勝でフランチェスコ・ダミアニとWBO世界ヘビー級王座決定戦(1989年)。何と 3RでKO負け。元IBF世界クルーザー級王者リー・ロイ・マーフィに判定勝ち、南アのライバルであるピエール・コーツァーとコーリー・サンダースにTKO負け。間違いなく強さと獰猛さを持っていたが、上位陣には敵わず。残念なことに引退後は太ってしまったらしく、心臓発作で48歳で死去(2013年)。
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