アルゼンチンのヘビー級。強打が爆発したマヌエル・ラモス戦、ジェームズ・J・ウッディ戦を紹介します。
オスカー・ボナベナ(アルゼンチン)
身長179cm:オーソドックス(右構え)
①オスカー・ボナベナ 1R KO マヌエル・ラモス
(ヘビー級戦、1970年)
(ダウンシーン)
1R:ラモスがダウン
(感想:1968年、ジョー・フレージャーのニューヨーク州公認世界ヘビー級王座に挑戦したボナベナだが、判定負け(3-0)。その後、地元、ドイツ、ウルグアイのリングに上がってきたが、引き分けや反則負けに終わったりするなど勢いに乗れていない印象。ラモスはメキシカン。サッカーを楽しむ少年だったが、ケンカ好きなところがありボクサーに。プロデビュー当初の記録に不備があるらしく、連敗していた時期も。エディ・マッチェン、アーニー・テレルに勝利。「リング・マガジン」から「世界ヘビー級4位」として評価。ところがフレージャーのニューヨーク州公認世界ヘビー級王座に挑戦してKO負け。その後はジョージ・シュバロ、チャック・ウェプナーらに敗北。直前の試合ではジョー・バグナーに英国で判定負け。ブエノスアイレスでの一戦。互いにジャブ。フットワークを使うラモスをボナベナが襲う。ワンツーからの左フックを食ってピンチのラモスがコーナー付近でダウン(映像では何のパンチが当たったのかよく見えなかった。左フックのように見えたが)。立ったが、レフェリーは続行を許さなかった。ボナベナがハンマーパンチで勝利。粗い攻めではあるが、当たったらスゴイのがボナベナ。ラモスは「いけにえ」にすぎなかった。その後、ラモスはさらに負けが込んでいく。ロン・スタンダー、ロン・ライル、デュアン・ボビックらに連敗して引退。メキシコ映画に数本出演。しかし健康問題に悩まされ、56歳で死去。モハメド・アリ、フロイド・パターソンなどこの時代の選手は現役時代の後遺症に苦しむケースが多い。)
②オスカー・ボナベナ 5R KO ジェームズ・J・ウッディ
(ヘビー級戦、1970年)
(ダウンシーン)
5R:ウッディが左フックでダウン
(感想:ラモス戦の次の試合。ウッディはノースカロライナ州ダーラム出身の黒人。デビューから連勝。しかし、マヌエル・ラモス、ブライアン・ロンドン、バスター・マシスらに敗北。ニューヨーク州ヘビー級王座を獲得したが、ジョージ・フォアマンに3RでTKO負け。ボナベナ戦はその再起戦となる。ブエノスアイレスでの一戦(ダイジェストで観戦)。勢いのある動きを見せるウッディ。ジャブ、ストレート、フック。ボナベナは接近してゴツいフックを叩きつける。5R、ウッディが左フックでダウン。立ったが戦意喪失らしく、レフェリーは試合を止めた。ボナベナが強打で勝利。勝つ時は実にヘビー級らしい勝ちっぷり。ウッディは機敏な動き、気合いを見せたが、これまでのダメージがあったのだろう。その後、二連勝したが、ケン・ノートン、ジェリー・クォーリーらに連敗で引退。)
その後のボナベナ
ニューヨーク「マジソン・スクエア・ガーデン」でモハメド・アリと対戦。兵役拒否からカムバックして二戦目のアリに最終15RでKO負け。フロイド・パターソンに判定負け。強打者ロン・ライルにも判定負け。中堅どころには強かったが、トップ中のトップには敵わず。パワーは文句無しだったが。)
0 件のコメント:
コメントを投稿