2024年5月5日日曜日

「悲劇の三冠王」ジョニー・タピア②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」  

世界三階級王者。WBO世界J・バンタム級王座防衛戦。ウィリー・サラサール戦、ジョバンニ・アンドラーデ戦、ウーゴ・ソト戦、ホルヘ・バレラ戦を紹介します。

ジョニー・タピア(アメリカ)

身長168cm:オーソドックス(右構え)

ジョニー・タピア 10R TKO ウィリー・サラサール

(WBO世界J・バンタム級タイトル戦、1995年)

「悲劇の三冠王」ジョニー・タピア②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:タピアがタイトル防衛。これまで32勝(18KO)2分のタピア(28歳)。4度目の防衛戦(プロ35戦目。95年最後の試合、12月)。WBO4位の挑戦者サラサール(メキシコ。29歳)は1979年デビューのベテラン。42勝(29KO)21敗1分。デビュー戦に敗北。その後も勝ったり負けたり連敗したり。メキシコ王座(フライ級)獲得。北米王座(J・フライ級)も獲得。柳明佑のWBA世界J・フライ級王座に挑戦したが判定負け(1988年)。メキシコ王座、北米王座戦で勝利、イサイアス・サムディオに勝利。王座陥落後は敗北が目立つようになったが、階級を上げて復調。WBC米大陸王座、メキシコ王座(いずれもJ・バンタム級)獲得。アルマンド・サラサールとの「サラサール対決」に敗れ、王座陥落。その再起戦で当時全勝だったダニー・ロメロに勝利。その次の試合でタピアに挑戦。起伏の激しいキャリア。実力者と戦ってきた経験がタピアに通用するかどうか? カリフォルニア州インディオでの一戦(会場でシュガー・レイ・レナードが観戦。この日のメインではアズマー・ネルソンがWBC世界J・ライト級王者ガブリエル・ルエラスを粉砕して王座奪回)。口ひげを生やしたサラサール。距離を取ってジャブ、ストレート、左フックのボクサータイプ。首を振ってパンチをかわすテクニック、左フックからの右ストレートが武器(顔つき、戦い方などがヒルベルト・ローマンに似ている)。タピアは強打を振るうが、サラサールはディフェンスが巧い。2R、バッティングでサラサールが出血。その後も左のテクニックが印象的なサラサール。5R、タピアがアピールしながら連打するが、かわされる。9R終了間際、タピアが連打。このラウンド終了後、サラサールが棄権。タピアが攻めの姿勢で勝利。ただ、相手のテクニックに空転するシーンが目立った。映像で見た感じではサラサールはまだ続行できそうな雰囲気もあったが、ギブアップ。タピアの攻撃が相当キツかったのだろう。その後、サラサールは敗北が多い。日本でもおなじみのウィラポンにTKO負けしたり、WBU王座(フライ級)に挑んでTKO負けしたり。ラストファイトは1997年。デンマーク・コペンハーゲンでジョニー・ブレダルに判定負けだった。)


ジョニー・タピア 2R KO ジョバンニ・アンドラーデ

(WBO世界J・バンタム級タイトル戦、1996年)

「悲劇の三冠王」ジョニー・タピア②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

2R:右フックでアンドラーデがダウン

(感想:タピアがタイトル防衛。5度目の防衛戦(プロ36戦目。96年初試合、2月)。挑戦者アンドラーデはブラジルの黒人。これまで18勝(13KO)2敗。地元とアルゼンチンで試合をしてきた。二つの敗北はアルゼンチンで喫したもの。ブラジル王座(J・バンタム級)を獲得しているが、アメリカでの試合はこれが初めて。カリフォルニア「グレート・ウェスタン・フォーラム」での一戦(ゴング前、レナードがリング上で挨拶)。スリムな体型のアンドラーデ。上体を忙しく動かしてジャブ連打、右ストレート。タピアはワンツー、接近して左フック。アンドラーデは打ち合いは避けたいらしく、距離を取ったり、クリンチしたり。2R、ワンツーからの左ジャブを使うアンドラーデだが、タピアが左右フック連打。右フックでアンドラーデがダウン。立ったが、今度はローブローで悶絶。レフェリーはそれを「ダウン」と見なしてカウント、KO。タピアがローブローで勝利。非常に問題のある結末。「レフェリーの裁定」は絶対的なものなのか? 関係者は誰もローブローを指摘しなかったのだろうか? アンドラーデにとって気の毒な結果となった。その後のアンドラーデ。WBU王座(J・バンタム級)を狙ったが、判定負け。地元では強く、ブラジル王座(S・バンタム級)を獲得。海外での北米王座戦、IBO王座戦(S・バンタム級)に敗北。ブラジルの実力者にとどまった。)


ジョニー・タピア 12R 判定 ウーゴ・ソト

(WBO世界J・バンタム級タイトル戦、1996年)

「悲劇の三冠王」ジョニー・タピア②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:タピアがタイトル防衛。7度目の防衛戦(プロ39戦目)。WBO3位の挑戦者ソトはアルゼンチンの選手。アルゼンチン王座、南米王座(いずれもフライ級)を獲得後、ユーリ・アルバチャコフのWBC世界フライ級王座に日本で挑戦してKO負け。その後、IBFインターコンティネンタル王座(J・バンタム級)を獲得してタピアへの挑戦のチャンスを得た。ニューメキシコ州アルバカーキ(タピアの地元。会場ではオスカー・デラ・ホーヤが観戦。当時デラ・ホーヤはフリオ・セサール・チャベスを破ってWBC世界J・ウェルター級王座獲得。絶頂期だった)での一戦。ジャブ連打、ストレート、フックのソト。タピアはワンツーからの左ボディ打ち、左フックからの右ストレートといったコンビネーション。タピアが攻撃するたびにリングサイドの熱狂的なファンが大歓声(かつて薬物問題があったタピア。日本では芸能ファンもスポーツファンも薬物に厳しい態度を取るが、アメリカではそうではないらしい)。ファンの後押しを受けて勢いに乗るタピア。相手をロープ際に追い込んで連打。ソトはタフだが、パンチ力はそこそこ。ワンツー、ボディ連打などで打ち返すが、押される。手数でタピアが優勢のまま12R終了。判定は3-0。タピアが攻めの姿勢で勝利。しかし、ダウンは奪えず。ボクシングというのは面白いところがある。全力で打てば相手をKOできるというものではない。タピアは精力的に連打していたが、ソトは打ち返していた。ソトはタフだったが、そこまで。その後、ソトは意外なことに日本でもおなじみのホセ・ボニージャを2-1で破ってWBA世界フライ級王座獲得。しかし、初防衛戦でレオ・ガメスにKO負け。世界王者としてはあまり活躍できなかったが、多くの地域王座戦に出場した。)


ジョニー・タピア 3R KO ホルヘ・バレラ

(WBO世界J・バンタム級タイトル戦、1997年)

「悲劇の三冠王」ジョニー・タピア②「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

3R:左ボディでバレラがダウン

(感想:タピアがタイトル防衛。ウーゴ・ソト戦後、サム・スチュワート、アドニス・クルスを相手に防衛に成功したタピア(30歳)。10度目の防衛戦(97年初試合、3月)。挑戦者バレラ(24歳)はメキシカン。あのマルコ・アントニオ・バレラの兄(または弟)。これまで18勝(7KO)7敗1分。それほど戦績は良くないが、WBC米大陸王座(J・バンタム級)を獲得している。アルバカーキでの一戦。距離を取ってジャブを打つ慎重なバレラ(顔はマルコには似ていない)。1Rに左フックをヒットさせるなど左フック狙いのアウトボクシング。タピアはいつものように距離を詰めて右ストレート、左ボディフック。3R、ロープ際でタピアが連打。左ボディでバレラがダウン。立ったバレラにマウスピースを入れようとするレフェリー。何かをレフェリーに訴えるバレラ。レフェリーストップ。その措置にバレラは困惑の表情。タピアが一気に連打して勝利。ボディ打ちが効果的だった。バレラは妙な負け方。消極的な試合運びであったうえにレフェリーとのスレ違い。最後のストップは一体何だったのだろう? バレラは再起戦(NABOのJ・バンタム級王座戦)もTKO負け。それが最後のタイトル戦となった。

ジョニー・タピア①

ノルベルト・アヤラ戦、ホセ・モンティエル戦、リカルド・バルガス戦

ジョニー・タピア③

アンディ・アゴスト戦、ロドルフォ・ブランコ戦、カルロス・エルナンデス戦、ホルヘ・エリセール・フリオ戦 

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