2024年1月17日水曜日

「全勝のタイ人」ピチット・シスバンプラチャン「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

IBF世界フライ級王者。世界王座防衛戦。アントニオ・ペレス戦、ラディスラノ・バスケス戦、ホセ・ルイス・セペダ戦を紹介します。

ピチット・シスバンプラチャン(タイ)

身長 cm:オーソドックス(右構え)

ピチット・シスバンプラチャン 4R TKO アントニオ・ペレス

(IBF世界フライ級タイトル戦、1993年)

「全勝のタイ人」ピチット・シスバンプラチャン「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

4R:左フックでペレスがダウン

(感想:ピチットがタイトル初防衛。キャリアの全試合を地元タイで行い全勝で引退したピチット。弟ピチットノイも世界王者になった「兄弟ボクサー」。タイ人ボクサーにはパターンがあるが、ピチットは小柄ながらパワーのあるファイタータイプ(他に、ソット・チタラダのようなボクサータイプ、カオサイ・ギャラクシーのようなサウスポーファイター、など)。ロドルフォ・ブランコ(コロンビア)を3Rで仕留めてIBF世界フライ級王座獲得。ノンタイトル戦を消化してペレスと初防衛戦。IBF7位のペレスはメキシカン。メキシコ王座(J・フライ級)を獲得しているが、実力者アレハンドロ・モンティエルにKO負けで王座陥落。その後、三連勝でこの初の世界挑戦のチャンス。ガードを上げてジャブ、右ストレートのペレス。動き、パンチを出すタイミングはリズミカルだが、パンチにキレ、勢いが無い。ピチットはダッキングしながらジャブ、踏み込んで右ストレート。左ボディ打ちに良いものがあるペレスだがパンチが軽いため、ピチットは前進。距離を取って勝負したいペレス。しかし、4Rに左フックでダウン。立ったが、連打を浴びてレフェリーストップ。パワーの差で決着。ただ、ピチットは攻撃が単発で右パンチを食うシーンも。その後のペレス。タイでサマン・ソーチャトロンのWBC世界J・フライ級王座に挑戦したがTKO負け。それが最後の試合となった。) 


ピチット・シスバンプラチャン 5R TKO ラディスラノ・バスケス

(フライ級戦、1993年)

「全勝のタイ人」ピチット・シスバンプラチャン「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:李敬淵をわずか1Rで仕留めて二度目の防衛に成功したピチットがノンタイトル戦。バスケスはメキシカン。まだ王座戦の経験が無く、戦績からすると「中堅選手」といったところ。バンコクでの一戦。距離を取るバスケス。ジャブにスピードがあり、左フックを連打。しかしながら、下がりながらの攻撃であるため効果が薄い。ピチットはタフネスで前進。右ストレート、左フックにパワー。5R、バスケスをコーナーに追い込んで連打するピチット(コーナーマンたちがエプロンサイドでピチットを応援。後ろの観客は全く試合が見えなかったに違いない)。レフェリーが突然試合ストップ。バスケスが負傷、TKO負け。映像ではよく見えなかったが、バスケスのキズが悪化したらしい。ピチットがいつものように精力的な攻めで勝利。バスケスは頑張って応戦していたが、勝てるような攻撃ではなかった。その後、バスケスはWBC米大陸王座(フライ級)獲得。サマン・ソーチャトロンのWBC世界J・フライ級王座に挑戦したが判定負け。世界王座は獲れなかった。)


ピチット・シスバンプラチャン 12R 判定 ホセ・ルイス・セペダ

(IBF世界フライ級タイトル戦、1994年)

「全勝のタイ人」ピチット・シスバンプラチャン「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ピチットがタイトル防衛。ミゲル・マルチネス、アーサー・ジョンソンを破って防衛に成功したピチットが五度目の防衛戦。IBF1位のセペダはメキシカン。勝ったり負けたり連敗したりで良い戦績ではない。しかしながら、メキシコのフライ級は激戦区。ウンベルト・ゴンザレス、ホルヘ・ルイス・ローマン(ヒルベルト・ローマンの弟)、リカルド・ロペス、ヘルマン・トーレスといった実力者と対戦経験。WBC米大陸王座(ストロー級)獲得。スコッティ・オルソンを破って全米王座(フライ級)獲得。その次の試合でこの初の世界挑戦。御輿に乗ってリング入場のピチット。実に派手な演出。試合の方は激戦。似たタイプ同士が開始から接近戦。ジャブ、右ストレート、フック、左ボディ打ち。一歩も引かない打撃戦。互いのパンチがヒット。8R、セペダの右がヒットしてタフなピチットがクリンチ。9Rにもセペダの右ストレート。ピチットも左フックを決めるが、劣勢。11R、打たれるピチットがKO負け寸前。12Rにも打たれ、クリンチ。最終ラウンド終了時、共に両手を上げて自身の勝利をアピール。判定は2-1。この微妙な結果は当時、議論を呼んだ。中盤までは一進一退。そういう場合は王者がポイントを取るのがボクシング界の習慣。王者がセペダだったら「セペダ防衛」だったかも。その後の二人。セペダは再起戦で空位のIBF世界フライ級王座に挑戦してTKO負け。以後、連敗。ラストファイトはホセ・アントニオ・アギーレのWBC世界ミニマム級王座への挑戦で、KO負け。ピチットはセペダ戦で脳にダメージを負い、休養。王座返上。ブランク後、三勝。世界戦はセペダ戦が最後に。パワフルなボクサーだったが、やや一本調子。「地元に守られた」感もある王者だった印象も。) 

0 件のコメント:

コメントを投稿