2025年4月5日土曜日

「英国の番狂わせ男」ロイド・ハニガン①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

世界ウェルター級王者。世界王者になる前の試合。ジャンフランコ・ロッシ戦、シルベスター・ミッティ戦ほかを紹介します。


ロイド・ハニガン(イギリス)

身長173cm:オーソドックス(右構え)


ロイド・ハニガン 12R 判定 クリフ・ギルピン

(英国ウェルター級タイトル戦、1983年)

「英国の番狂わせ男」ロイド・ハニガン①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(感想:ハニガンがタイトル防衛。ジャマイカ出身の黒人で、イギリス国籍のハニガン。英国に移住後、11歳でボクシングを始める。アマチュアを経験しプロへ。これまで全勝。英国王座をギルピンとの決定戦で獲得し、初防衛戦はギルピンとの再戦。挑戦者ギルピンは英国テルフォード出身の黒人。デビューから連勝だったが、カークランド・レインに判定で初黒星。英国のローカル王座を獲得後、ハニガンとの英国王座決定戦。ダウンを奪ったが、判定負け。再戦で雪辱を狙う状況。英国ケンジントンでの一戦。共に上体でリズムを取ってジャブ、右ストレート。パンチの速さはギルピン。ハニガンはコンビネーション(左フックからの右ストレート、ワンツーからの左フック、など)。接近戦では互いにフック。ギルピンが右クロスを狙い、ハニガンはクリンチが多い。4Rに試合の流れが変わる。ハニガンの右カウンター。これが効いたギルピンは以降、攻められてクリンチに逃げるシーンが増えていく。コンビネーション、ボディ打ちでハニガン優勢。ギルピンはサウスポーにスイッチしたりしながら対抗するが左目が腫れていき、反撃も単発に終わる。11R、ハニガンが左ボディからの左フック。ハニガン優勢のまま12R終了。レフェリーはハニガンの手を上げた(PTSによる判定)。ハニガンがコンビネーション(特に「左フックからの右ストレート」)で勝利。4Rの右カウンターまではクリンチ多用で「セコい戦い」のように見えたが、それは作戦だったようだ。ギルピンは攻めが単調。一発にパワーを入れ過ぎだったように見えた。その後、ギルピンはスンブ・カランベイ、マイケル・ワトソンらを相手に負けが込むようになっていった。)


ロイド・ハニガン 3R KO ジャンフランコ・ロッシ

(欧州ウェルター級タイトル戦、1985年)

「英国の番狂わせ男」ロイド・ハニガン①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

3R:右フックでロッシがダウン

(感想:ハニガンがタイトル獲得。英国王者のハニガンだが、ギルピン戦の次の試合(ロベルト・メンデス戦)で勝ったが親指を骨折。1984年は結果的にその試合のみに。英国王座は返上したらしく、欧州王座を狙う(85年、初試合。1月)。王者ロッシはイタリア人。デビュー六戦目でKO負けしてしまったが、以降は連勝。ペリコ・フェルナンデス(スペイン。元WBC世界J・ウェルター級王者)と欧州ウェルター級王座の決定戦を行い、3-0で獲得。ハニガンと初防衛戦。イタリア・ペルージアでの一戦。共にリズムカルな動き。アップライトスタイルのロッシ。足で相手から距離を取りながらジャブ連打、右ストレート。上半身のパワーを使う。ハニガンは伸びのあるジャブ、ストレートで攻めの姿勢。2R、ロッシの右パンチで会場が沸く。3R、力強いハニガン。ワンツーからの左フック。そして強烈な右フックでロッシがダウン。身体の半分がロープ外に飛び出るほどの痛烈なダウンで、ロッシは立てず。ハニガンが凄まじいKOで勝利。積極さ、パンチ力、コンビネーション、タイミングを捉える巧さがあった。ロッシはいつもの戦いぶり。パンチをマトモに食らって沈んだ。その後、ロッシはルペ・アキノからWBC世界J・ミドル級王座奪取。ドナルド・カリーに敗れて、王座陥落。ダーリン・バン・ホーンからIBF世界J・ミドル級王座獲得。11連続防衛を果たした。) 


ロイド・ハニガン 8R TKO シルベスター・ミッティ

(欧州、英連邦、英国ウェルター級王座統一戦、1985年)

「英国の番狂わせ男」ロイド・ハニガン①「世界チャンピオン列伝:ボクシングブログ」

(ダウンシーン)

2R:左フックでミッティがダウン

6R:右フックでミッティがダウン

(感想:ハニガンが王座統一。ロジャー・スタフォードをTKOで下すなどこれまで25戦全勝の欧州王者ハニガン。しかし、マネージャーとモメて決裂。新マネージャー(ミッキー・ダフ)と再スタート。英連邦、英国王者のミッティと王座統一戦。ミッティはカリブのセントルシア出身の黒人(身長170cm)。アマチュアで実績。ただ、1976年のモントリオール・オリンピックに「英国代表」としてライト級で出場したが、メダル獲得ならず。プロでは英国を主戦場に概ね快調。ローカル王座戦で敗れたこともあったが、連勝。英連邦王座、次いで英国王座獲得。ハニガンと「欧州ナンバーワン」を懸けて勝負。ロンドンのマスウェル・ヒルでの一戦(レフェリーはジョン・コイル)。ミッティが先制攻撃。ハニガンは負けじと応戦。接近戦でフックの打ち合い。共に良いジャブ、ストレートを思い切って打つ。2R、左フックでミッティがダウン。ディフェンスとパンチを当てるテクニックではハニガンの方が上か。5R、ハニガンがサウスポーにスイッチし、右フックを強振する。6R、右フックでミッティがダウン。その後、次第に勢いが落ちてきたミッティはクリンチでしのぐ。8R、目の負傷によりTKO。ハニガンがハードな試合に勝利(なかなか強かった)。ミッティは力強く攻めたが、パンチの正確さに欠いた。その後、ミッティはカークランド・レインとの英国ウェルター級王座決定戦に敗れて王座返り咲きならず。それが最後のタイトル戦となった。)

 

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